10日目 そのU

アーヘン〜ケルン


アーヘンはカール大帝の好んだ王宮のある町である。

もともとケルト人の古い集落があったところで温泉がみつかっており、ローマ時代から温泉保養地であった。フランク時代には王たちの居住地となり、とくにカール大帝は晩年この地を好み、ここの王宮で亡くなり王宮礼拝所(今の大聖堂)に埋葬された。 
この大聖堂では936年(オットー1世)から1531年(フェルディナンド1世)まで30人のドイツ国王、皇帝の戴冠式が行われてきた。
そのさい使われた玉座がどうしても見たかった。

アーヘン劇場の前で バスを降りて少し歩いて観光案内所へ。添乗員さん 何か手続きがあるらしいのでその間に少し先のショッピングモールのお手洗いへ 

 
 

アーヘンは温泉のでるところ、エリゼンブルンネン。チェス大会をやっていた。

   
   

後ろ側は 遺跡公園ともいうべき場所。石器時代から 1300年頃までの遺構が見られたが具体的に何があったところかはよくわからなかった。
小さな池があった。 彫刻が面白い。(Money Fountain) 

   
   
もう大聖堂が見えている。 
 
 

46 アーヘン名物プリンテンのお店 ノービス。 プリンテンは香辛料の効いたぶ厚めクッキー

 
 

大聖堂と市庁舎の間の広場 (ミュンスタープラッツ)で大聖堂と市庁舎を眺める。カール大帝の時代ここに柱廊があり、現在の市庁舎の場所にあった王宮をつないでいた。大聖堂、 市庁舎

 
 
 
 

大塔(グランヌストゥルム、グランヌスはケルト系の神) 

   
   カール大帝のモノグラム

カール大帝の宮殿の塔。788年に建てられた、アーヘンでもっとも古い建造物。文書館だったが、牢屋として使われたこともあった。
カール大帝のモノグラムが 舗道に

市庁舎の反対側マルクト広場へ
 
 
   
   市庁舎のドア (部分)

市庁舎に入らせていただいた。 会議中だが、どうぞということで。議員さんたち 普段着のセーター姿だった。

市庁舎広場では ゲイパレード
 
 

いよいよ 大聖堂へ。

アーヘン大聖堂  https://www.aachenerdom.de/

西塔は1350年 軒破風部分は 13世紀

   
   

ところがここで問題発生、夕方6時からの音楽会準備で入場お断り! だったのです。

ええーっ!!そこで花田さん頑張りました。
この日はアーヘン街歩きガイドと教会ガイドと宝物館ガイドとガイドが三人もいたのですが、彼らも頑張ってくれました。
「今日音楽会があることは承知で、何度も確認したはず、そういってくれれば昨日と予定を入れ替えたのに」花田さんは言い張ります。
入りたくても入れないほかの観光客も様子をうかがっています。
門番が何度も中へ入って相談しに行って、結局ガイドが持っていた入場許可書がモノを言って
「10分だけ、階上にだけ入ってよい」ということになりました。私たちだけです。入りたがっていらした他の方たちにとっても申し訳ないと思いながら、横の入口からそそくさと入り、すぐ階段をあがって上階へ。
(ツアーのいいところです。前にもどうやら入れなかったことがあったらしく旅行社も今回は万全を期したらしい。) 

トリビューンに入る。 おお、目の前に玉座がありました。これを見なければアーヘンに来た意味がありません。

玉座って背もたれや 座面にビロードがはってあり、足や腕木に精巧な彫刻が施されていたりするものですが、これはとてもシンプル。
大理石の板を組み立てただけです。(座るときクッションくらいは置いたのでしょうか?)

 
 
 
 

それが光を浴びて輝いて、下の階からは美しい合唱がきこえているのです。音楽会の練習中という入れないかもしれない危機に遭遇したものの、逆に素晴らしい生演奏付きで玉座を拝見することができました。うれしくて何度も周りをまわって写真パチパチ。入る前に練習中なので 「決して合唱団を見ないこと」 といわれ、係員が見張っています。でも下にカメラを向けなければ写真はOKでした。 

トリビューンの柱と青銅欄干 柱はラヴェンナから運ばれたもので支えではなく装飾のため。青銅欄干は9世紀、アーヘンで作られたもの。

 
 
 
 天井モザイクは19世紀

下の階は入れないし、合唱団のいるところはのぞいていけないのだが、奥の礼拝堂を見おろすことはできた。ガラスの礼拝堂、といわれるそうだが、美しいステンドグラスに囲まれている。はっきりしないが、あれは カール大帝の聖遺物箱と思われる。(ともかく静かにしていなければならないので、解説なしだった)

   
   

ここを出て宝物館へ。https://www.aachener-domschatz.de/

展示品が実に素晴らしいうえに写真Okだった。素晴らしい、と思ったものは多いがそのうちのいくつか。

ロタールの十字架 制作年は9809971000年の所説ある。高さ49.8p 木芯に鍍金銀板の上に飾り。 交差部のカメオは古代ローマのもので、皇帝アウグストゥスだが、オットー朝のだれかをさしている。下部の水晶はカロリング時代の印璽で「キリストよ ロタール王を援け給え」 と文字が刻まれている。(これがロタール十字架と呼ばれている所以) 裏面には 「磔刑」が線刻されている。こういう宝石が たくさんついているものは大好き、 次の部屋に行った後もまた戻って しっかり見てきた。

   
   
 
   
   
 文字が裏返し  

カール大帝胸像 1349年より後、 王冠は1349年より前

 
 

プロセルピネ(ペルセポネー)の石棺(ローマ時代 3世紀初頭)ペルセポネは冥府の王プルートに誘惑される。

 
 
ブックカバー 9世紀初頭アーヘンで製作
  
 
聖水容器 1000年頃 牙彫り
   
   

鍵、どれもこの教会のどこかのカギだそうだ。

 
 

ケープ 14世紀  手の混んだ刺繍、宝石も縫いつけっれ、金属のコサージュ的アップリケもたくさんつけられている。

 
   
   
   

中庭を見下ろす。宝物館は大聖堂と市庁舎を挟む広場の(TOPにあげたGoogleマップの写真では写真では)左側。 中庭を囲むように立っている建物。

   
   
35分くらい見て外に出る。 
いそいでお買い物。ノービスでお菓子を何種類か。右がプリンテン
   
   

530 一路ケルンへ  途中 原発らしいものを見た。

 
 ユーロプラッツ
 
 

630 ケルンのホテル着 

今日も夕食freeだが「皆でお食事しましょう、疲れたので、ホテル内のレストランで」ということにして 710集合

本格的レストランは開いてなくて、カジュアルなほうだが、メニューはレストランのもの。

シュパーゲル(白アスパラガス)がありますよ、ということでシュパーゲル・オランデーズソースを4人で二皿、それにサイドメニューとして、カツレツとサーモン。 普通の感覚ではシュパーゲルが添えだが この季節シュパーゲルがメインなのだ。昨晩はこのサーモンがメインだったそうだ。 それにサラダ。
ワインは三種のワイン飲み比べ。これはシェアしないで、それぞれ。私はアルコールにそれほど強くないので少しきつかった。Desertも頼んでおいしくて 大満足。和kうぇうとこんな感じ。 小食の私には ちょうどよかったけれど、、、。Desertはもちろん各自で、シェアはしなかった。

   
   
   
   
   
   私の分 
 

ここはバー的なところで一杯やっている人が多く、皆こちらをみている、とおもったら(私たちは 壁際の席)後ろの壁にテレビの大型スクリーンがあって、サッカーをやっていたのだ。ワールドカップ!

おしゃべりしながら 楽しくいただいて2110頃 部屋に戻る。

私が ベッドに倒れている間(飲みすぎ!)妹がお風呂。 その後 少し荷物の片づけをして入浴。洗濯をしないので楽。 
連泊なので、荷物も少しづつ片付けていたからパッキングも簡単だった。

翌朝は 430起床 

デュッセルドルフ空港からウィーン経由で帰国の途に (最終日は特記すべきこともなかったので省略)旅日記完