10:50頃 デルフィ遺跡着
遺跡と考古学博物館に行くことになっている。丁度雨があがったので、今のうち、ということで先に遺跡見学。↓グーグルマップから
デルフィというとオイディプス王の悲劇を思い浮かべる。古代、何かのときにはデルフィのアポロン神殿の巫女にお伺いをたてたのだ。
ぜひとも行ってみたい場所の一つ。、
デルフィの周辺ではミケーネ時代(BC1600〜1000年)に既に人は住んでいた。
アポロンが信仰されるようになったのは、紀元前800年ごろからで、テオドシウス帝が異教廃止令をだしたAD394年まで続いた。
坂道を上がりながら進む
ローマ時代のアゴラ
ゼウスが大地の中心を決めるために地平線の両端から放った二羽の鷲が出合ったのがデルフィだったそうで、そのシンボルがオンファロス(世界のへそ)本物は考古学博物館にある。大分皆さんより遅れている。向こうに見えるのがアテネ人の宝庫、レリーフもかすかに見える。片足が不自由な身にとってこの坂、階段はつらかった。
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「世界のへそ」のレプリカ |
アテネ人の宝庫 |
アテネ人の宝庫 上部のレリーフはヘラクレスの偉業をあらわしている。
下の方にアテナ・プロナイアの神域が見える。
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奥の白い柱の部分がナクソス人のスフィンクスの台 手前左の岩は シビラ(巫女)の岩 |
アポロン神殿 紀元前6世紀頃にはこの場所に神殿はあったが、現存するのはBC370年頃のもの。
長さ60m、幅23m 建物の土台と柱が何本かのこっているだけ。
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こうなっていたらしい。再現図 現在のこっている柱が茶色 |
神託が告げられたのはここなのだ。
神託を受けたい人は特別な税を払い、犠牲の動物を奉げる。巫女ピュティアはカステリアの泉(オシオス・ルカスに行く時横を通ったが、写真は撮れなかった)の水で身を清めて聖所に入る。地の裂け目(地震があったらしい、そこでガスが出ていたという説がある)に置かれた椅子に腰かけ、聖なる水を飲み月桂樹の葉を噛み大地から噴出する霊気を吸い込んで憑依状態になって口にした言葉が神官によって解釈されて、伝えられたのだそうだ。
オイディプス王の父ライオスもオイディプスもこのようにして神託を受けたのだろう(神託を受けに行ったのは王自らデハナク従者)
悲劇は神託の成就によるもので人の力ではいかんともしがたかったのだが、、、。
皆さんはこの上の古代劇場まであがっていらしたが、私のこの足では到底無理なので、ここで待つことにした。上にあがれば神殿遺跡を俯瞰することができるのに、と残念だった。
往時はお告げを受ける人でごったがえしていたのであろうか。
ここにとどまっている人はいないので、すぐ一人きりになった。そのためかまた雨上がりで緑が濃いせいか何となく霊気ただよう雰囲気が感じられた。
おりて少しバス移動して デルフィ博物館へ 11:40〜12:30
遺跡模型 色彩がなくはっきりしないが、中央奥がアポロン神殿、その手前の高い柱の上に スフィンクス 右手前がローマ時代のアゴラ 左に向かって進む道の横には シュキオーン人や シノフス人の宝物庫道を曲がって上がるとアテネ人の宝庫、、
ナクソス人のスフィンクス(ナクソス島の人によって奉納された)
クリセレン像(金と象牙の彫刻)
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たぶんアポロン像 |
たぶんアルテミス神(左) |
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オンファロス(大地のへそ) |
踊る少女たちの像(アポロン神殿の北東に立っていた) |
どこにあったのか分からないが、面白いレリーフ
一番素晴らしいと思ったのは青銅の御者
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青銅の御者像 |
想像図 |
25分ほどバスで山をくだって海辺のイテアという町でランチ
13:05 〜14:05 Restaurant Scala
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オリーブ(塩辛い)ほうれん草のパイ |
サラダ |
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ラタトゥイユ、奥はザジキ |
クロダイ塩焼き |
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デザート ハルバ(セモリナ粉)りんご 甘い |
ここの食事は美味しかった。ワインもすっきりしていい味だったし(3€)
左がレストラン、コリントス湾に面している。
14:05〜15:45 バス 左手に海を見ながら走る。 雨が強く降ってきた。
バスの中で網代さんのお話
*昔は40歳で年金がもらえた。今は65歳
*政党が変わると集めたお金を全部もっていってしまう。
*金曜日は4時には仕事がおしまい、その前からそわそわして仕事をしない。
*昔は10万円で車の免許が買えた。テストはこれが出ると教えてくれて、ともかくまっすぐ走れればいい。25年免許 78歳で返却*ドイツがなぜギリシャを切れないか。武器を輸出するのにギリシャ経由(かくれみの)にしているので強いことが言えない。
ともかくめちゃくちゃで経済破綻も当然だそうだ。
*ピレウス港の権利を中国に売った。
*兵役があるが、兵役逃れに海外へ行く。ドイツが多い。アメリカだとクリーニング屋をやる人が多い。(網代さんは以前10年間ギリシャに暮らしていらしたのでギリシャ事情にあかるい)
15:45〜 16:00 リオ・アンテリオ橋の手前でトイレストップ
お土産物屋さん、オリーブの真空パック、 蜂蜜などを買われた方がいらした。
リオ・アンテリオ橋 斜張橋2・25q、2004年、オリンピックの年に完成した。雨で足も不自由なので、私は橋のそばまでは歩いて行かなかった。バスの中から
橋を渡るとペロポネソス半島、ここにくると平地になる。
時々右手に海が見える。
畑地が広がる。
アスパラガス、いちじく、イチゴのハウスなど。
小さな教会風のものは、 ここで事故死した遺族が悼んで建てたそうだ。
(そうではなく、交通安全のお守りとして、という意味という説もある)
18:00頃 オリンピアのホテル・ヨーロッパ 着
ベランダ付き、 この段差、用心しなければ
夕食 19:00〜20:30 ビュッフェスタイル、 種類が非常に多い。
まだもっとあった。頑張っていろいろとった。
一人参加者4人と老後の話などして盛り上がった。(8104歩)
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