6日目  そのU

ミストラ〜スパルタ〜ナフプリオン



山の上に城塞が見えた。

 
 

1310 ミストラ遺跡の下のレストラン着

   
   

ここで私は大いに悩むことになる。この足でミストラ遺跡が大丈夫か?上からおりてくるルートだが舗装された道ではないはず。
思い余って、日本は今夜8時ごろだということを確認したうえで友人に電話。彼女は三月にミストラにいらしたばかり。
「80歳過ぎの方三人とも無事でしたよ」ということで行くことを決意。添乗員さんは大反対。「動けば治りがおそくなりますよ」
でも今回このツアーにした理由の一つがミストラが入っていることだったくらいだから、どうしても行きたい。
それで行ってしまった。予想どおり大変大変きつかったけれど。(我ながら強情だ)

1430くらいかな? 上の入口から入って見学開始。

ミストラ遺跡

ミストラはスパルタ郊外の山の中腹にある城塞都市。
アカイア公ギヨーム2世ヴィルアルドウァン(在位124678)によって建設された。
1262年にはビザンティン帝国に割譲され、ビザンティン皇族が大公(デスポティス)として統治。モレア公国となった。
マヌイル・カンタクジノス大公(在位134754)の時代、政治・文化の中心地として最も栄えた。
ビザンティン帝国崩壊後も栄えたが、18世紀にアルバニア軍によりダメージを受け、1825年に町は破壊された。

 
 

上の入口から すぐのところに 

聖ソフィア聖堂 Agia Sophia 135065年頃

マヌイル・カンタクジノス公によって、宮廷付属礼拝堂として立てられ、のちに修道院主聖堂となった。ギリシャ十字式聖堂
まさにビザンティン聖堂!この美しい外観を観るためだけでもここまでやってきてよかった、と思った。

 
 
 
 
 
上に見えるのが要塞(標高620m)ここは私の記憶違いでなければ520mだが? 
オリジナルの壁画が残っている。
  
 

少し降りていき

 
 

聖ニコラオス聖堂の前から 君侯宮殿が見える。宮殿の標高は475

 
 
 

聖ニコラオス聖堂

オットマン帝国に征服されたあともミストラ城塞都市は生き残り17世になってもあらたに教会が「建てられた。

 
 
 
 
17世紀のフレスコ画が少し残っていた。 

聖ニコラオスがサンタクロースの元であったことの発端となった、貧しくて売られていくことになっている娘へ贈り物をする場面がある。(↓中央、娘たちが寝ている)

 
 
モネンヴァシア門(王族・貴族が暮らしたエリアと一般人が暮らしたエリアを分ける)

 
 

を抜けて10分くらい歩いて 

パンタナサ修道院 Panagia Pantanassa

1428年、ヨアンニス・フランゴブロス(ミストラの軍人、官僚)によって建てられた。 
今でも現役の女子修道院。バジリカとギリシャ十字の結合型聖堂。(ミストラ様式と呼ばれる)

残念なことに外観写真を撮っていない。内部には末期ビザンティンのフレスコ画が残っている。
入口からアプシスを観る。

 
 
アプシスには聖母子
 
 

アプシスに続くヴォールト天井にキリスト、次のリヴとの間には エルサレム入城と冥府下り

 
 
 
エルサレム入城と冥府下り 
 
 
 

↓ラザロの蘇生のようだ。 上とは時代が違うように思える。

 
 

この教会の壁画はビザンティン的なものからイタリア的なものへの移り行きを見せていると言われていることが納得できる。

途中、住宅? 下水設備についての説明板が手前にあった。

 
 

これから行くミトロポリを見下ろす。つくづく花咲く季節にここを訪ねられてよかったと思った。

 
 

ミトロポリ(アギオス・ディミトリオス聖堂)MitriopliAgios Dmitrios

 
 

1291/92年までに建立された。(説明版では1262年より少し後)現存する聖堂の中では最も古い。
15世紀にそれまであった3廊式バシリカ聖堂の上部を切り取ってギリシャ十字式の聖堂を載せるという改造をした。
(この形はパンタナッサと同じ、ミストラ様式)フレスコ画は13世紀末から14世紀前半。

   
 平面図  

上右写真上の赤い色のところは椅子で いわゆる空の御座 手振れと色落ちではっきりしないが、雰囲気が 分かるように写真は 載せておく

 
 
 
 
 
 

床に 双頭の鷲 パレオロゴス朝のシンボルでアジアとヨーロッパ二つの大陸を表すと解釈されうる。

 
 
コンスタンティヌス11世がミストラで戴冠したからここにあるという言い伝えがある。

前庭には 石棺らしきものがおかれていた。

   
   

遺跡は1600に閉まるそうだ。それより少し前に出た。 
友人の話では出たところにショップとお手洗いがあり、そこで本も買える、とのことだったが、ショップには寄らなかった。
解説本を手に入れられなくて残念。

バス移動して新スパルタに向かう。 1620頃 レオニダス像の前で写真ストップ。

レオニダス像

 
 
レオニダス1世は 在位紀元前489480年のスパルタ王。
ペルシャのクセルクセス1世率いる200万人以上の軍勢を相手に、たった300人のスパルタ軍を率いて戦った。(テルモピレーの戦い)この日だけで2万人のペルシャ兵が亡くなったという。ギリシャの英雄だ。
私がレオニダスと聞いてまず思い浮かべるのはチョコレートだけれど。

ホテルは(中央の建物)ナフプリオン郊外。向こうに見える丘の上にパラミディの要塞がある。

 

1830 ホテル到着 アマリア・ホテル

お部屋には小さなバルコニーがついている

 
 

ホテルはモダンな感じでロビーも広々として綺麗でいい。然し畑の真ん中。 

1915〜夕食 ビュッフェだがスープはサービスされる。 またパスタは目の前で仕上げてくれる。

 
 
 
 

部屋に戻って2120頃入浴お湯がぬるかった。 

翌日知ったことだが、修学旅行生が宿泊していたそうで大量にお湯を使ったかららしい。彼らとは食堂が別だったせいで顔は合わせなかったが。

今日はパックもして2225 就寝。

13102歩)可愛そうな足でよく歩いた。