7日目 そのU

ミケーネ



10
30頃 ミケーネ (Mycenae

神話ではペルセウスがこの町をつくったことになっている。
紀元前1612世紀に栄えた。
青銅器末期、クレタ文明を引き継ぐもので紀元前15世紀にはクレタ人に代わって東地中海一体に支配権を握った。(クレタ文明の流れをくむトロイヤを滅ぼした)
最盛期は紀元前1312世紀。武力国家であった。
紀元前10世紀頃、ギリシャ人の別の一派ドーリア人によって滅ぼされた。

私にとってはギリシャ悲劇「オレステス三部作」特にエレクトラの地であることから、ミケーネに来ることがとても楽しみだった。
かなり昔でほとんど忘れてしまったがイレーネ・パパス主演の映画もあった。「喪服の似合うエレクトラ」というユージン・オニールの戯曲もある。

バスはまず、少し離れたところにあるアトレウスの宝庫のそばに停まった。
宝庫、というがこれは墓、築かれたのは 紀元前1250年頃。
通路は長さ36m、幅6m

   
   

入ったところで見上げる。内側石板の重さは 120トンと推測される。

   
   

横に小室があるが、目的は分かっていない。三角形によって力を分散させている。
内側は円形で直径14.5m、 高さ13.4m石積みの輪が32層。
こういう形をトロス(蒼穹)墓といい、これまで発見されているギリシャのトロス墓では最大のものである。

通路の写真の奥に緑の山が見えるが山の下が墓室部分。
埋葬したあと木製の扉を閉じ通路に土を埋めて塚のようにしてあった。盗掘をふせぐためだが、盗掘されて宝物はなかったそうだ。
然し、3000年以上前に造られたものが崩落せず完全な姿で残っているのはすごいと思った。

少しバス移動して博物館へ。

陶器の壺や人像がいくつもあった。可愛い!説明版がうまく読み取れなかったが紀元前15世紀から12世紀くらいのころのもの。

  
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

   
 
 
 
 
 
 
   右端にアガメムノンの黄金マスク

この黄金製品はレプリカでホンモノはアテネの考古学博物館にある。有名なアガメムノンの黄金マスクも横に見えている。

1115頃博物館を出て遺跡へ。〜 1200頃まで

 
博物館にあった遺跡の模型 
 
 グーグルマップより

最初は緩い坂道、このあたりは舗装されている。

写真でよく見るライオンの門BC1250年頃)上の一枚石の重さは12トン
ライオンの頭はない。切り取って持ち去られたらしい。

 
 

すぐ先に円形墓地A 全景がうまく撮れなかった。 

   
   
 
復元想像図(買ってきた本より) 

1878年、ドイツ人のハインリッヒ・シュリーマンが発掘。シュリーマンはこれをアガメムノン王の墓と考えたが、この形は紀元前16世紀後半のものであり、アガメムノンのトロイ遠征は紀元前 1250年頃と考えられるので、アガメムノンのものではない。然し王族のものであろうと考えられる。19人の遺体が見つかっている。黄金の副葬品も数多く、その一つがアガメムノン王の黄金マスクといわれているものである。

この下半分も円形墓地、右上の人だかりがしているあたりに上っていく。

 
 

アルゴス平野の向こうにアルゴリコス湾が見える。
ああエレクトラもこうして10年間父アガメムノンが海の向こうから帰ってくるのを待ち続けたのであろう。

 
 

アガメムノン王家の悲劇 
トロイへ出発するときアガメムノンは聖獣である鹿を殺したためにアルテミス神の怒りをかって、風が吹かず船出できなかった。
娘を生贄にすれば風を吹かせよう、ということで娘エフゲーニャを海に投げ入れる。無事風が吹いて船出できた。
このトロイへの船出というのは、アガメムノの弟メネラオスの妻ヘレネをトロイの王子パリスが奪ったことが発端。トロイの木馬の話もある。
アガメムノンは女好きであったらしい。そのことと、娘を生贄にされたことに怒った妻のクリュタイムネストラは夫の不在の間に、夫の従兄弟のアイギュストスと不倫の関係に。トロイの戦に勝利して10年ぶりに帰ってきたアガメムノンはカッサンドラを伴っていた。
そこでクリュタイムネストラは夫とカッサンドラを殺害。
しかし父親を慕っていたエレクトラは後年成人した弟オレステスに頼んで母殺させる。という憎しみ、殺戮の連鎖の物語。
旅行前にもこのオレステス三部作を読み返してきたので、この景色を非常に感激して眺めることが出来た。 

もう少し上に行く。

 
 

このように見学路は整備されているが、くるぶし近くの足の甲を怪我しているので、ちっとした石ころでも非常に響いて痛い。
険しさはミストラの方が上だが、あの時は必死だったので痛みを感じる余裕もなかった。自覚的にはここが一番つらかった。
これより上の紀元前15世紀の王宮跡に行く人、先の貯水池に向かう人もいらしたが、ここより少し上あたりまで行って私は引き返すことにした。

 
 
獅子の門内側、こちら側には彫刻はない。

早めにバスに乗って待つ。

 
 

健脚ならあの頂上の王宮まで行けたのに。でも足の怪我がなくても私の体力ではきついと思う。 
ギリシャは若いうちに行くべき場所だと思った。
ここで、クリュタイムネストラとアイギュストスの墓を見ていないことに気が付いた。ガイドさんも説明していなかった。しかし、二人の墓は城壁外、このバスのすぐそばのはず。

中央より少し下、木のかげのあの人だかりがしているところがきっとクリュタイムネストラの墓だと思う。 細長くロープで囲まれている。その上が獅子の門に行く坂道。

 
 

12時過ぎ出発、 10分ほど走ってレストラン Korizeras

有名レストランらしくジャクリーヌ・オナシス夫人の写真も飾ってあった。 

   
   ホルタ、ズッキーニのクロケット
   
   
   
   

ビールを飲んだようだ(もう忘れている)

ホルタ、ズッキーニのクロケット、 スブラキ リンゴタルト

コリント遺跡へと30分ほど走る。コリント遺跡は そのVで