考古学博物館続き
図のⅠの病室 カーテンの掛けられたベッドが二列に置かれていた。今は壁に墓石などがかけられている。
↑紋章
墓地から発掘された赤絵式の壺 紀元前450年頃 右は女性の顔をかたどった水差し(475/450 BC)
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600/575BC皿(スフィンクス) |
テラコッタ製の女性の顔(510/490BC)
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中央は 750BC 頃 クラテール(ワインと水を混ぜる容器) |
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ラコニアスタイル(黒絵子規)壺 狩りの絵 |
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皿や壺類に描かれている絵がなかなか興味深かった。この牛の置物は何だろう?
外に出て 斜め向かいの Our Lady of the
Castle(城の聖母教会)
11世紀に ビザンティン大聖堂として建てられ、当初は十字形でドーム天井をもつものであった。
1303年に地震があり、ヨハネ騎士団がやってきて1322年~1334年にローマン・カソリック教会となり、形も三廊式となった。オスマン・トルコ時代(1513年-1912年)モスクに変えられ、ミフラブのニッチがつけられ、ミナレットも付け加えられた。1940年にイスラム教的要素が取り壊されて教会に戻って現在は展示場のようになっている。
石組みがそのままみられる内部は好ましい。少し壁画が残されているところがある。
壁画の年代はさまざま
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もとは壁画でおおわれていたのだろう、しかし私には石壁むき出しのこのシンプルさが好ましい。 |
15:35 教会を出る。
最終乗船は17:30 騎士団長の館に行く時間はあるが、緩いとはいえ上り坂を(私の足だと)10分くらい歩くことになる。足にこれ以上負担をかけたくないので船に戻ることにする。タクシー乗り場は桟橋とは反対の方向に少し歩くので徒歩で戻ることにした。
アマルド門(Amaldo Gate)から出る。
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海岸沿いの道をゆっくり歩く。徒歩にして正解。海が美しいこと。 |
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お天気がよくて白い船が海の青さに映える。気持ちの良い散歩だった。
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逆光だが向かいは マンドラキ港 セント・ニコラス要塞 |
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風車も見える |
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船着き場に戻ってきて振り返る。このゲートから手前が乗船客用space、でもチェックは船のタラップ前。 トルコ船籍の船もいる。 |
さようならロードス
船室に戻ったのは 16:22。門から私の足でゆっくり歩いて約20分かかったことになる。
毎日ベッドメーキングされ、タオルアートが飾られている。スーツケースは使わないほうのベッドに置きっぱなし。「動かさないで」と書いた紙を置いておく。(英語で)
今日は船長さん主催のディナーパーティ
17:50 レストラン前集合 できるだけお洒落を、ということだが、どの程度か分からない。以前はツアーで夕食の時、着替えをして少しお洒落したものだが、最近は出かけたときそのままの方が多い。おしゃれをするとかえって浮いてしまう。それで私は控えめにお友達とランチに行く時程度の恰好をしてきた。
でもロングスカートの方、若い方は肩だしの方も。ロングなんてこういうときしか着られないのだから持ってくればよかった!靴はほぼツアーのお食事専用になっているフェラガモを持ってきた。足のくるぶし、甲が腫れあがっているので、心配したが、はきこみがあさくて甲は全部出るの形なので、なんとか押し込むことが出来た。
テーブルではあれやこれやおしゃべり、お酒の話など。
H氏に「ヒック・ロードス ヒック・サルタって知ってるでしょう」 と言われた。私は分からなかった。「ここがロードスだ、ここで跳べ イソップだったかな?」家に帰って調べて古い記憶をたどり、やっと ヘーゲルについての話の時に F先生がおっしゃっていらしたことを思い出した。もっとも講義の内容は全く覚えていないが。
イソップ寓話では あるほら吹きがロードス島では素晴らしくよく跳べたと吹聴した時「ここがロードスだ、ここで、跳んでみろ」と言われた、という話。教訓としてはいろいろ読みとれる。イソップ寓話も今頃読み返してみると面白いかもしれない。
夕食のあとは場所をかえてカクテル・パーティ
楽器演奏や歌など。私は1時間くらいでお部屋に戻った。(17186歩)
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