今日はクレタ島とサントリーニ島の観光
6:00 朝食 クレタ島のヘラクリオンに到着
7:30 集合
7:38 バスで出発
クレタ島はギロシャ最大の島(地中海では5番目)でエーゲ海の南端になる。
ヨーロッパでもっとも古い文明の一つ、ミノア文明の発祥の地。
神話ではゼウスがエウロペを連れ去って住んだのがクレタ島。二人の間の息子がミノア。それでこの地の文明をミノア文明という。
ミノアは生贄のための白い牡牛があまりにも美しいので生贄にしなかった。
そのためにポセイドンの怒りをかい、ポセイドンはミノアの妻パシバエにこの牛を恋させた。その結果生まれたのが人頭牛身のミノタウロス。
ミノタウロスの餌にするために、ミノスは7人の男子と7人の女子を9年ごとに島に送らせた。
この話を聞いたテセウスは怪物退治をしようと犠牲者に交じって島にやってきた。
王女アリアドネの援けもあって迷宮(ラビリントス)に閉じ込められたミノタウロスを退治できた。
(アリアドネの糸、として有名な話がある)(この後テセウスアリアドネとではなく妹のフェードラと結婚することになるのだが)
クレタ島には新石器時代(紀元前6000〜2800年)から人は住んでいた。
初期ミノア期(紀元前2800〜2000年 初期青銅器時代)には居住地が形成され、ほかの島々との交易も行われた。
中期ミノア時代(紀元前2000年〜1600年 中期青銅器時代)後期ミノア時代(紀元前1650年〜1400年 後期青銅器時代)ミノア文明が花開いた時期である。
紀元前1450年のサントリーニ島の大爆発により、ミノア文明は終わりを告げることになる。
その後クノッソス宮殿を占領したアカイア人によってミケーネ時代に入る(紀元前1450年〜1100年)ミケーネ文字である線文字Bが刻まれた粘土板が見つかっている(この時期 地中海の覇者はミケーネであった)
クレタ島は紀元前69年にはローマに占領される。
農業が盛んで、チーズ、ワイン、オリーブオイルで有名。
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看板の地図 |
クノッソス宮殿跡 広さは約2万u かなり復元されている。もとは木だった柱もコンクリートで再現されている。この復元ゆえか世界遺産にはなっていない。1900年に始まったアーサー・エヴァンスの発掘によりみつかった。足は回復しつつあるが、ここもそれほどではないとはいえ、高低差があるので少々つらかった。
玉座の間 グリフィンが描かれている。王が玉座(右壁)に座り、祭司たちは周りのベンチに座った。
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王の間 |
女王の間 イルカの絵が描かれている。 |
北入り口 金の角を持つ牡牛が描かれている クノッソス宮殿の柱は上の方が少し太くなっているのが特徴
貯蔵庫
壁画のレプリカが陳列されているところがあったが、本物は博物館でみたのでここでは省略
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劇場(儀式の場だったらしい) |
紀元前1370年頃の災害により、ミケーネの支配はお終わり、宮殿も廃墟となっていった。
9時過ぎに遺跡を出て、バスでヘラクリオン旧市街へ。城壁のそばでバスを降りる。1時間あまりフリータイム
ショッピングをなさる方もいらした。丁度考古学博物館のそばなので、博物館に入った。今日は入場料無料の日。↓ 主要作品がみられます。
https://heraklionmuseum.gr/?page_id=1488&lang=en
2600〜1900BC のもの
ファイストスの円盤 紀元前17世紀初め まだ解明されていない
bull leaping 牛の背で宙返りをする競技(1500〜1400BC) ↓右 bull leaper 象牙製 1600〜1450BC
↓左 女性のフィギュア? 壺? (1450〜1350BCは 読み取れるが とり方がわるくて説明が読めなかった)エフェソスのアルテミス神を想起させる。
右 1300〜1100BC 手を挙げて祈る姿など
お棺の陳列されている場所もあった。図柄など面白い
1370〜1300BC Hgia Toriada 出土の 石棺(ライムストーン)死者への生贄を奉げる行列がフレスコの手法で描かれている。
↓左1600〜1350BC 百合の王子 高浮彫 クノッソスの支配者という説と athleteという説がある
右 リュトン 1600〜1450BC 石でできている献酒のための容器 頭部左側と角は修復されている(クノッソス)
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百合の王子 |
リュトン |
↓左 グリフィン1600〜1450BC クノッソスの東大ホールを飾っていたフレスコの施された高浮き彫り
右 北入り口の 絵の実物 1600〜1450BC ミノア芸術の傑作
写真が多くなってきたので途中だが 続きはそのUで
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