5:00 起床 5:45 朝食
7:00集合、下船、 各自スーツケースをピックアップしてバスに
7:42 バス出発
アテネ ギリシャの首都であり、だれしも思い浮かべるパルテノン神殿を目玉とする、古代ギリシャ文化の殿堂ともいうべき都市で、西洋文明の源、民主主義の発祥の地である。
新石器時代(紀元前6000年頃)には人が住んでいた。
紀元前14世紀頃、ミケーネ文明の中心都市、其の後盛衰があったが、古代ギリシャの最盛期は紀元前5世紀頃、ソクラテス、プラトンなどの哲学者を輩出、アクロポリスには現在みるような神殿が建てられた。
アテネに向かうバスの中でのお話
*国民の98%近くがギリシャ正教徒
*憲法で 宗教の自由は認められている
*公務員は 7:00〜15:00働く。間でスナックなどをつまみ、昼食は家でとる。
*公務員は アルバイト禁止だが、帰りがはやいので、第二、第三の仕事を持っている。
*経済危機以来ようやく景気は上向きになってきたが、給与水準は低い。
*若者の失業率は40%をこえていたが改善しつつある。
*一世帯あたり、700€、若者の給与は 手取り400€くらい。
パナティナイコ・スタジアムPanathinaicko Stadiumで写真ストップ。風が冷たくて寒かった。
1896年代一回近代オリンピックがここで開かれた。ここは紀元前331年にアテネ大祭の競技場が造られたいた場所である。向こうにアクロポリスが見える。
ハドリアヌスの凱旋門 バイロン卿の像 などを車窓から見てアクロポリスへ
アクロポリス 8:50ごろから
アクロポリスは「高い丘の上の都市」を意味する言葉で、海抜156mの岩山の上にある。
紀元前13世紀には壁が造られ要塞となっていた。紀元前8世紀にはアテナ信仰の崇拝が高まると神殿が築かれた。
しかしペルシャ戦争で破壊され、その後紀元前5〜4世紀には現在のパルテノン神殿などが建てられた。
坂道が苦手だが、最初のほうは緩やかできちんと整備されていて歩きやすい。然し頂上近くになると階段や石コロ道。足はかなり痛まなくなってきているが石ころ道や階段(痛む左足に重心を載せられない)はつらかった。
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配置図 |
最初はこんな感じ
イロド・アティコス音楽堂(図25) AD161 年
ブーレの門 (図26)防御のためローマ時代、3世紀に建てられた。
プロピレア(前門)(図1)BC437年に着工されたが、ペロポネソス戦争によって 431年に中断され未完のまま。
パルテノン神殿Parthenon(図12)が見えてきた。BC449年着工、438年に完成、彫刻まで仕上がったのはBC432年
パルテノンとはアテナ・パルセノナスの住まい、という意味。
神殿の大きさは 約70m×31m、 前後各8本、側面に各17本の柱が立っており、柱の高さは約10.5m。
柱の中央はわずかに膨らんでいる(エンタシス)というが見た目では上部が細くなっていることは分かったが下部は細くなっているようには見えなかった。メトーブなどの彫刻は新アクロポリス博物館にある。
エレクティオン神殿 (図10)BC408年に完成。伝説上の王エレクテウスの館とされ、複数の祭神を合祀した。
カリアティデスと呼ばれる6人の少女像が有名だが、ここにあるのは複製でホンモノはこの後行く 新アクロポリス博物館にある。
見下ろすとディオニソス劇場11(図19)ギリシャ最古の劇場。紀元前6世紀にはあり、ギリシャ悲劇、喜劇の名作はここで上演された。紀元前4世紀に石材で立て直され推定17000人収容できた。ローマ期大改築されている。19デュオニソスにまつわる場面が浮き彫りにされているのだが、よく見えなかった。大理石の貴賓席もあるのだが、これも逆向きなので、この写真では見えない。 奥に見える黒っぽい大きな建物が新アクロポリス博物館
パルテノン神殿
小高い場所なので 見晴らしがいい。 ゼウス神殿 や ハドリアヌスの凱旋門も見える。
遠くには エーゲ海
復元されずにあるかつての神殿跡。
足が遅いので早めにおりて集合場所へ向かう。 内側から見たプロピレア(前門)
イロド・アティコス音楽堂の後ろ側
徒歩で新アクロポリス博物館に向かったが 、そのUで
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