2日目 そのU

モナスターボイス〜バンドラン



14
00頃お店を出る。途中でガイドさんとさよなら。
ボイン川を渡りドロヘダの町を通った。前回はこの町に行きこれから行くモナスターボイスは行かなかった。

またボイン川の戦いの話を聞いた。

1690年 イギリスは一時的にカトリックの王になったが、王のジェームズ2世は名誉革命で追放され、プロテスタントであるオランダのウイリアム3世が王になった。ジェームズ2世はフランスのルイ14世の援けを得て、アイルランドに上陸、アイルランド人はこの王に加勢してイングランド軍とドロヘダ付近のボイン川で対戦、結局ジェームス2世(アイルランド)軍は負けた、イギリスの王位争いであったが、これによりイングランドのアイルランド支配も決定的なものになってしまった

アイルランド一とも言われる素晴らしいハイクロスのあるモナスターボイスに向かう。

モナスターボイスMonasterboice修道院跡 14301510

http://www.megalithicireland.com/High%20Cross%20Monasterboice.htm

町中かとおもっていたら、付近には何もない木々に囲まれた墓地だった。入口から少し進むとお墓がたくさん立っている墓地。そこに有名な大きなハイクロス。そして向こうには上部がなくなっているとはいえかなり高いラウンドタワー(高さ、28. 5m)屋根の抜け落ちた教会廃墟もある。

521年に亡くなった聖ビュート(Buite)が開いた修道院(モナスターボイスは聖ビュート修道院の意味)
墓地としては現在もつかわれている。

どうしても人がはいってしまうので小さい写真で墓地風景を。 周りは草原(牧草地?)

   
   
   
   

三基大きなハイクロスがある。10世紀ごろのもので砂岩でできている。

下部にMuiredach院長によって建てられたとあるのでムルダッハクロスと呼ばれている。5.2m

  
   
   
   
   
 キリスト捕縛の下にインスクリプションと二匹の猫  磔刑部分
   
 イヴはぽっちゃり型

側面にはケルト写本を思わせるような組紐文なども彫られている。下に髭を引っ張りあう老人。

     
     

奥にもう少し丈の高いハイクロスがある。トールクロスまたはウエストクロスと呼ばれるもので約7m

   
磔刑   最後の審判
   
 磔刑部分 着衣が珍しい  側面にも人物像が彫られている。

もう一つは北のハイクロスと呼ばれるものだは、シンプルでシャフトは損なわれている。

   
   

西面に磔刑。置き換えられているが元の部分が横に立てられていて、日時計が彫られている。

これで今日の観光は終わり、あとはホテルに向かってロングドライブ。

16151630 モナハンでトイレストップ。現地ガイドさんに教えていただいたTAYTOのポテトチップスを買った。エニスキレンの町を通り抜けた。コールズ将軍のモニュメント。(どういう人物かは知らない)

   
   

見え隠れする湖の景色を楽しみながら走る。

1825  大西洋側のバンドランにあるグレートノーザンホテル着
高級感のあるホテルで、お部屋は運よく海側だった。

広いお部屋でベッドはダブルとシングル1台ずつ。ベッドの高さが高い。バスタブ付きだが、水とお湯の水道栓が別々でシャワーが固定式。

  
 
 
 

1930 〜 夕食

チョイスメニューでお味はまあまあ。

スターター 私はブルスケッタ  他の方のフルーツ のみものは プロセッコの小瓶をTさんと分け合った。
ビーフバーガーはパン粉などのつなぎがなくて固め、最初のうちは美味しかったが、だんだんソースがくどくなってきた。Tさんはパスタに味がなくて食べられない、とおっしゃっていので 手伝っていただいた。デザート アップルケーキ

   
   
   
   

2130頃お部屋に戻る。