13:15〜15:45 バス
途中チュアム(Tyam)という町の横を通った。バスの中での添乗員さんのおはなし
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アイルランド映画「マグダレンの祈り」「あなたを抱きしめる日まで」「ローズの秘密の頁」 という映画があるが、それのもとになった未婚の母、ふしだらな娘と呼ばれる少女たちの収容施設があったことを話してくださった。
私は「あなたを、、、」 「ローズの、、」 は観てブログに記録も残して、カトリックの頑迷固陋さ、とかキリスト教って本当に愛の宗教なの? という感想を記したが、その背景にさらなる事実もあったことはお話を伺って初めて知った。
アイルランドには19世紀初頭からカトリックの施設として結婚せずに妊娠したなどいわゆるふしだらとされる女性を収容する施設があった。そこでは洗濯所がもうけられ、穢れを洗い落とすという意味で 洗濯の仕事 をさせられた。非常に過酷な労働であった上、その収入は経営者である修道院のものとなっていた。そこで生まれた子どもたちはどこかへ連れていかれたが、どうやらお金で売られたりしていたようだった(確か あなたを、、 では そうだった、と思う)
ところがチュアムで1917年カトリックの母子施設の地下から800人近くの乳幼児の遺体が発見された。(この施設は1925年から1961年まで運営されていた)
無事育った子は売られ、栄養失調、病気などで死んだ子は地下室に埋められたのだ。推測で書くべきではないが、病死、栄養失調というのが本当に適切な育児がされていた上でのことかどうかと疑問におもってしまう。
近代アイルランドは他のヨーロッパ諸国に比して教会の発言力が強大なのは1695年に制定された 刑罰法によるカトリック抑圧に由来するという。
≪カトリックはかろうじて信仰の自由は認められたものの、官吏、法律家、軍人などの公的職業に就くことは禁じられ、土地相続や財産の処分などにも厳しい制限が課せられることになった。
刑罰法が意図したのは宗教的迫害ではなく地主階級などカトリック中産階級の徹底的な没落であった。
カトリックの知識階級は国内では専門職につく道を閉ざされたため、多くの有能な人材が国外に流出した。その結果、民衆を指導し、影響を及ぼす役割を担ったのはカトリック聖職者であった。≫ 図説アイルランド 114ページから
現在通過中の州はコナート州(なお アイルランドは4つの州に分けられるが北部をアルスター、ダブリンを含む中部東側レンスター、西側をコナート、南をマンスターという)だが、(昔流に言うとコノハト)コノハトはとても土地がやせていたので、ここだけはアイルランド人の土地所有が認められていた。
1845年から 数年間 ジャガイモ飢饉が起こった。これがジャガイモの胴枯れ病で他の農作物に影響はなかった。
しかしアイルランド人は小麦を食べることは許されず、ジャガイモを主食としていたため約100万人が餓死、100万人が主にアメリカの逃れ、人口は200万人減ったという。
この時神父が海藻を食べるようにいっていれば(神父が保守的であったため食べるものが限られていた)これほどの餓死者は出なかったのでは、とも言われている。(海藻は土を作るためにしか使わなかった)
1997年になって、ブレア首相は当時の政府の対応の誤りを謝罪したそうだ。
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バリリ塔 Thoor
Ballylee 15:45〜17:20
このあたりには 四角い塔型の建造物(タワーハウス)をところどころ見かける。防衛の機能を持つ建物だ。
これも15世紀ごろに建てられた建物で、詩人イェーツは1917年に購入。
今年(19年)4月 リニューアル再オープンしたばかり。
きれいではあるが狭い螺旋階段では生活に不便そうだ。それに湿気もあり、横の川が増水すると家の中に水がはいってきたそうだ。
1920年から10年くらい一家の夏の住まいとして利用されたそうで、当時の様子が再現されている。家具などは現在のもの。
↑最初に今部屋で説明があった。椅子が特徴的、テーブルも美しい。ダブリンの大工(聞き間違いか?)が家の改装とともに作った、ということだが名前は失念。(買ってきた冊子には ダブリン国立建築大学教授、ウイリアム・スコットとあった)
日本風にいって 2階が 書斎
三階が寝室 狭い階段 ベッドは当時のものではない ↓矢ハザマのような細長い窓
四階 客間は 未完
屋上からの眺め
帰り道
この小道 少しでいいから歩いてみたかった!
バス 17:20 〜18:10
ゴールゥエイ ホテル ソルトヒル ソルトヒルはゴールウェイの隣町
ホテルのお部屋
18:45〜 夕食 チョスメニュー 飲み物はギネスにした。少しいぶしたような味がしてなかなかおいしい。
ゴートチーズとサラダ チキン フォンダンショコラとアイスクリーム 紅茶
この後の予定は 20:30からアイリッシュ・ショーをすぐそばのレジャーシアターに観に行くことになっている。
その後 「希望者はゴールウェイの町を案内しますよ」ということだったが、私は前にアイリッシュ・ダンスは観たので暗くならないうちに町を散歩したかった。一人で行ってもいいと思っていたが、添乗員さんが 「皆さんを劇場にお連れしたあとなら、終わるまで暇ですから、その間行ってもいいですよ」とおっしゃってくださった。
町歩きは そのVで
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