そうして屋外見学
配置図 |
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着いたときは小雨だったが、雨はやんでいる。すべて廃墟でほとんどの教会の天井は抜け落ちている。
ヴィジターセンタ―を出るとほんの少し小高くなっていて、大聖堂 向かって右はドゥエリング寺院
左手シャノン川、大聖堂の前(中央のすこし小さめ)には聖書の十字架(レプリカ)
ドゥエリング寺院の前には 南の十字架(レプリカ)
大聖堂 909年 フラン王とコールマン修道院長によって建てられた。
最後のハイ・キングの二人、タラ・オコーナー(1156年)ローリー・オコーナー(1198年没)が埋葬されている。(名前の読み方は正しくないかもしれない)
北入り口、1450年 聖ドミニク、 聖パトリック、 聖フランシス(上に名前が書いてある)下は面白彫刻
ラウンドタワーとシャノン川 少し小高くてここがエスカーの上であることがわかる。
オロークタワー 底部径5.6、入口の高さは 3.3m 現在の高さ19m、
964年に亡くなったコナハト王オローク王が立ててコナハト王であり、アイルランドのハイ・キングであらったTurlough O‘Connor(タラ・オコーナー?読み方がわからない)により1124年に完成、1135年に上部は雷でなくなっている。
塔を持つフィギン寺院( Finghin) 12世紀ロマネスク教会
ここのラウンドタワーは 高さ16.8m、 基底部径3.8m
『ラウンドタワー』には、いずれにラウンドタワーの鐘も1552年大砲を作るためにイギリス兵にもちさられた、とある。他でも触れたと思うが、ラウンドタワーは襲撃されそうな時には貴重品の貯蔵場所となり、またランドマークであり鐘塔であった。(そのため一番上には四方に窓が開けられている)
襲撃に対するため入口は高いところにあり、梯子をかけてはいるようになっている。(なかには 高くてはしごを中に引きこめないようなものもあるとか)内部は4階くらいになっていて板張りの床があり梯子で上に上がるようになっていた。(この説明はどこでも聞いた)
キーラン寺院(Temple
Ciaran)
聖キーランのお墓の上に木造(548年)で建てられたものを10世紀に石造にした。4×3mという小さな、いわば霊廟のような寺院。
他にも、Conner,Kelly,Merlaghlin,MacLaffeys churchnなどがある。
それぞれに足を踏み入れたが、それよりも川に向かって開かれた景観がすばらしかった。快晴だともっとすばらしいかもしれないが、曇り空も、これがアイルランド、こういうなかで人々は暮らしてきたのだと思えば曇りもよし、である。
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川側から見る |
500mほど離れた場所にある、ナンズ・チャーチを観に行く。巡礼の道につながる野道を10分くらい歩く。
修道女の教会(the nun ‘s
church)
Merlaghlinの娘でオローク王の妻であったダーブフォゲイルによって1167年建てられた。
ヘンリー二世のアイルランド進軍が1171年、彼女は メリフォント修道院に行き、そこで亡くなっている。
12世紀ロマネスクの教会は崩れていたが、19世紀に再建されて、彫刻のある扉口と祭室入り口のアーチが観られる
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内側の獣面はクロンファート同様 丸い筒状のもの(蛇?)を咥えている。
チャンセラーアーチ
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10分ほど眺めてから戻る。修道院囲い地だけでなく外側も墓地。
11:00出発の予定がトイレ(ヴィジターセンター横)行列で10分ばかり遅れて出発
ダロウ修道院跡に向かう
ダロウは そのVで
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