7日目 そのV

ダロウ〜ケルズ〜ダブリン




Durrow Abbey 聖コロンバ修道院跡 11451330

http://www.megalithicireland.com/High%20Cross%20Durrow.htm

門のところで案内のヘレンさんが待っていてくださった(ここに仮設のトイレがあるが、と言われたが、全員ノー。辺鄙な場所なので、トイレ情報は覚えている限り記しておくが、一人で森の中のトイレはどうか?)それから1Kくらいバスで森の中を進むとダロウ新教会。
おりたところで 「ここはとても広い修道院でずっと向こうの山のところまで修道院の敷地だったのですよ」という。

ダロウの書』という非常に貴重な装飾写本が制作された修道院としてして有名だがそれだけでなく私にとってここは<樫の森の修道院>とよばれるフィデルマが教育を受けたところ、ということでの関心もある。アタリを見回す。確かに森の中。ただ私には樫の木かどうかわからない。調べると北ヨーロッパの楢、オークの木のことを樫と翻訳することがあるそうだ。

 

修道院は585あるいは597年聖コロンバによって開かれ、ここもまた学問の中心地として栄えた。
7
世紀(現地案内板では650年、680年説もある)ダロウの書が制作された。現存するケルト系写本最古の四福音書の本文をほぼ完全に備える写本である。

https://www.tcd.ie/library/exhibitions/durrow/

 
 

上記サイトで ダロウの書が観られます。素晴らしいです。

教会入口の横に別の入口があり、そこにアベイ・ハウスがあるのだが、
そこは今別の委員会(?)が管轄していて仲が悪いので入れないそうだ。
ヘレンさんはそこの13世紀に造られたmotte(要塞、小山)を
見せたいらしかった。

修道院は1144年アウグスティヌス会の所有となった。
1574年 ヘンリー8世の宗教改革により、修道院は解散させられた。 
配られた年譜によると、 修道院敷地は貸されたり売られたりして
所有が変わったが、今世紀に入って開発業者によりホテル、ゴルフ場
などにされそうになり、国が買い取った。
ヘレンさんは この地方の文化委員会(?)の長をなさっている方。

現教会は 19世紀末に建てられたもの。
現在はどうやら教会としては使われていず、ハイクロスの展示場となっているようだ。

教会として使われていたことろは家族ごとに一つの仕切りに入って座るようになっていたそうで、9囲いくらいあったと思う。 (つまり 9家族のための教会)

   
   

ハイクロス 9世紀 土台は別にして全体が一つの石でできている.
モナスターボイス、クロンマクノイズと同様ここで交差部の裏表に磔刑と最後の審判が彫られている。 

     
 西面 中央に磔刑
向かって左、 竪琴を弾くダヴィデ、
その横は ラッパを吹く天使 
上から キリスト嘲弄、 捕縛、 墓の兵士たち

 下からグリフォン、アダムとイヴ カインとアベル 戦士  
 
   
 最後の審判 
右はダヴィデがライオンから子羊を助ける

下は アブラハムとイサクの犠牲、
組み紐、
下は ペテロとパウロに聖書を与えている場面
 エジプト逃避、とみるのもあれば 
ザカリアスエリザベートで
抱いているのは幼児の(洗礼者)ヨハネ  
渦巻き模様の下は天使と戦うヤコブ

壁には 十字架が線刻された石碑がいくつか

 
 
 
 
 

それから、ヘレンさんのこの修道院にまつわる歴史についてのお話、申し訳ないが、、、長かったー。

副委員長さんもいらして、、、。 足が疲れた。しかし帰ってここの歴史を記した印刷物を観ると、修道院が解散になってからの歴史、特にここ最近のレジャー施設への売り渡しに対する運動など どうやらかなりのご苦労があったのではないかと推察され、彼女の熱弁も分かる気がした。そうして話し終わると(入ってから1時間は経っていた) 「これから森の中の聖なる井戸へいきましょう」あまり人がこないらしい。予約しなくてもいつでも開いているし、開いてなければ開けます、ということだった。
私たちのようにちゃんとガイディングをお願いするグループは、ということだと思うが、次は10月まで予約がないそうだ(張り切るわけだ)。5分くらい野原を歩く。

聖コロンバの聖なる井戸 キリスト教以前の聖なる水信仰の場所。

 

馬の飼育場(フィデルマシリーズの短編に「名馬の死」 というのがあったことを思い出す)もあった。

 
 
 

入れなかったダロウ・アベイハウスが見えた。

1330〜 1400 バス

14001500マリンガーのアンネブルックハウスホテル で昼食 スープ、 チキンロースト

   
   

バス移動して
ケルズKells 聖コロンバ修道院跡 15551715

http://megalithicireland.com/Kells%20Monastery,%20Meath.html?src=gpx

タワーについては

http://megalithicireland.com/Kells%20Round%20Tower.html?src=gpx

数年前「ブレンダンとケルズの秘密」という映画を観た。

『ケルズの書』という写本は識っていて前回のアイルランドツアーでも
観ているが、この映画のおかげもあり、
ゆかりの地を訪ねることはとても楽しみ。
脇に昔の図(たぶん、想像図)があった。
これは10世紀頃の図である。

ケルズ修道院は6世紀後半(正確な年は確認できなかった)
聖コロンバによって開かれた。
(かつて王の砦だったがコロンバに寄進された)

コロンバはその後アイオナ島にいき、
修道院を建て彼の地で亡くなった(597年)

アイオナ修道院は非常に栄えたが、バイキングに狙われた。

806年バイキングの襲撃により多くの修道士が殺されたため、
修道士たちは造りかけていた写本を携えて、内陸でバイキングの襲撃に遭いにくいと思われるケルズにやってきた。
修道士たちによって町が新に造られた。写本製作は続行され814年に完成された。 

 
 

当時の教会はもちろん現存しない。今あるのは、1714年に建てられた聖コロンバ教区教会。中でクリスさんの説明を聞く。ところが間もなく7、8人現地の方々が入ってきた。身なりも立派で町の上層階級といった風情。礼拝でも始まるのかと思ったらそうではなさそう。
日本人のツアーが来るのはめずらしいので見にきたようだ。
一人の人はしきりにメモをとり、私たちの写真も撮っている。どなたかがおききになったら、新聞記者か何かだそうだ。
ダロウもケルズもケルト写本やアイルランドのキリスト教に関心のある人間にとっては大事な町だが、普通ツアーではまず訪れることはないから、珍しがられているのだ。

 
 

左、アーチ部分には ケルズの書 のファクシミリ版が展示されていた。
二階ギャラリーにはケルズの書の説明やハイクロスの説明があった。

   
   二階ギャラリー
https://digitalcollections.tcd.ie/home/index.php?DRIS_ID=MS58_003v  
読み込むのに非常に時間がかかります。
庭に出てラウンドタワー、ハイクロスを観る。タワーは現在の教会の門横。
 
  ラウンドタワーはかなり完全だが頂部が失われている。9世紀初め(10世紀と書かれているものもある)に造られたと考えられる。高さ26m 基底部径4.8m 入口が他のタワーより低い位置にあるが それ 石垣の内側の盛り土によるもので、元来は 3.6 mの高さだったと思われる。この中で1076年、タラ王ムーチャードが殺された。

ハイクロスはいくつかあり、それを結ぶ線が結界を示しているのであろう、という説明がった。ハイクロスは敷地内に4基あったが現在あるのは3基ある。

 
 

南の十字架(聖パトリックと聖コロンバの十字架)一番早く建てられた。(9世紀)

   
 
 上左拡大
 
     
 ギャラリーにあった、説明板から
  西の十字架 シャフトだけ 9世紀半ば(次の王が来た時、壊された)
     
 下から、キリストの洗礼、カナの婚礼、
神殿奉献、竪琴を弾くダヴィデ、
ひとつおいて エルサレム入場
   下から アダムとイヴ ノアの箱舟
 
 キリストの洗礼、拡大

東の十字架(未完成の十字架)フランセメ・オニール姫が葬られていた。(未完なので、ハイクロスがどのように造られていたかがわかる。
 

教会の横に角塔 現教会の鐘塔 下部は14世紀上階はその1世紀後、尖塔は19世紀

   
   北の十字架の 基台

教会敷地のそとに出て少し歩いて 聖コロンバの家

   
   聖コロンバの家

教会は 写真の手前、このあたりは 住宅地
聖コロンバの家、といってもコロンバが住んだというわけではない。建てられたのは910世紀。
修道士たちの住まいで、常に二人の僧がおきていて聖遺物などの番をしていた。(もしかしたらケルズの書もここにあったかもしれない)今は全く何もなく内部も苔むしていた。天井がとても高い(外観そのまま)。もとは3階層になっていてそれぞれ板の床があったそうだ。
(研究途上で内部のプレートにある年代は、この時点では不正確だったので、注意)

1200年頃には修道士たちはいなくなり、1800年代のジャガイモ飢饉のときにはホームレスの住まいにもなっていたそうだ。 

教会に戻る途中、近くのスポ−ツジムのお手洗いを拝借。教会にもどり、 もういちどハイクロスを眺めて バス(17201835

ダブリンのヒルトンホテルへ

クロンマクノイズはもちろんのこと、ダロウ、ケルズといった写本ゆかりの地も訪ねることができて大満足の一日だった。しかし、これでは終わらない。今日は私の後期高齢者入りの日なのだ!!

   

夕食の始まる1930少し前に ドアにノック、添乗員さんとホテルの方が。手には特大ケーキ。ケーキのお皿は 直径26pくらい
写真を撮って一人では食べきれないので皆さんに一口ずつ、と思ってお皿を掲げて食堂へ。入口でウエイターさんが「キャンナイヘルプユー」 それでお皿をわたしてお席へ。この為すこし皆さんをおまたせしてしまった。お祝いをいわれてプロセッコで乾杯(ただでプロセッコこが飲めるとあってみなさんに喜ばれたみたい)ところが、ケーキがこない!テーブルに飾っておみせしたかったのに。デザートにもってきてくださるのかとおもったら、こなかった、、、!! 添乗員さんに、食卓で分けるのはどうか、ということでお部屋におもちしました、と言われた、ああ、一口くらい、、、、。(涙)
夕食は チョイスメニュー