13:40 ポワティエ ヌーヴェル・アキテーヌ地域圏ヴィエンヌ県
教会のある広場(市場横)
ポワティエは3回目、といっても前回は20年くらい前、でもこの広場は見覚えがある。あのカフェでコーヒーを飲んだことも思い出した。
ポワティエというとすぐ、トゥール・ポワティエの戦い、という言葉が浮かんでくる。これは732年、フランク王国のカール・マルテルがイスラム教徒とたたかって勝利した戦である。
ポワティエはグラント川とボワヴル川に囲まれた自然の要塞であったため古くはケルト人の居住地があったが、紀元1世紀にはローマ支配の町が築かれた。その後キリスト教化されると、4世紀には初期キリスト教徒が集まり、この後行くサン・ジャン洗礼堂はそのころ造られた。この時代の司教に聖ヒラリウスがいる。サンチャゴ巡礼の巡礼路上にある町でもある。
12世紀、エレアノール・ダキテーヌ(1122~1204)はこの地に滞在することが多く、あらたに城壁を築き、市場を開設した。
広場から少し歩いて昼食レストランへ
Le Archive https://www.lesarchives.fr/ (13:50~15:00)
もとは18世紀ネオゴシックの教会、それが歴史文書館になり、その後このホテル・レストランになった。
大きな教会だったのか広々とした室内。モダンに改装して、でも無粋な補強用支え。
少し高級感のある、人気レストラン。おしゃれなレストランだと自然と顔がほころんでくる。セロリクリーム、タラ(パスタ、カリフラワー)アップルタルト
37 ポワティエ伯・アキテーヌ公宮殿,其の後裁判所となり、ジャンヌ・ダルクの裁判もここで行われたとか。通りすがりにみただけ。
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途中で見かけたお店 |
ノートルダム・ラ・グランド教会 Église Notre
Dame la Grande
http://www.art-roman.net/poitiersnd/poitiersnd.htm
はっきりした設立年は分かっていないが 11世紀~12世紀の建造。西正面は1150年。
ポワトゥ地方―に特色的でタンパンがない。教会は翼廊がない。
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平面図長さ57m 幅13m |
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教会左側には中庭があったが、1860年に完全に取り壊された。広場がその名残。この後、正面向こうの建物の中庭にアーチを見に行ったが、54説明を聞き洩らした。 その中庭のアーチだったのかもしれない。
95年、初めてきたときは、感動して観たものだったが、3回目となると熱はさめている。しかし前2回はフィルムカメラの時代で写真がよくない。それで写真はせっせと撮った。
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栄光のキリストと福音書記者のシンボル |
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上部左側 左端が 町の聖人サン・ティレール
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アダムとイヴ 玉座のネブカドネザル 4人の預言者(モーゼ、エレミア、イザヤ、ダニエル)受胎告知 (なぜネブカドネザルがいるのかわからない)
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アーキヴォルトの左上は エッサイの樹 |
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ご訪問 御生誕 |
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中に入る。三廊式であるが身廊と側廊の仕切りが大アーケードのみで側廊の天井が高い(広間式)大アーケードの上に直接トンネルヴォールトがのっている。柱が彩色されたのは1851年。
内陣部分は12世紀(6本の柱が残っている)。 天井には13世紀の壁画がボンヤリ残って見える。礼拝堂には 「鍵の聖母」 と呼ばれる聖母子像がある。
次はサン・ジャン洗礼堂だが、その前に、と現地ガイドさんは横のサン・ピエール大聖堂へ案内してくださった。ステンドグラスを見せたいようだ。サン・ジャン洗礼堂からはツタの絡んだお洒落な門から入った。57
サン・ピエール大聖堂
1160年 エレアノール・ダキテーヌとアンリ・ド・プランタジュネ(イギリス王ヘンリ2世)によって建て始められ、献堂式は1379年
長さ約100m、幅30m中央ヴォールトの高さ28m 12世紀のステンドグラス
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下の方 多分 ヘンリー2世とエレアノール・ダキテーヌ |
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ペテロの逆さ十字形 その両側はパウロの斬首と思われる。見上げているのがエレアノールとヘンリー2世らしい。 |
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13世紀の天井画 |
10分余り大聖堂をみたあと洗礼堂へ
そのⅢへ
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