5日目 そのⅢ

ポワティエ サン・ジャン洗礼堂 




大聖堂をみたあと洗礼堂へ ここも再訪であるが、以前は写真禁止だったので今回は写真をしっかり撮りたいと意気込んでいたがやはり帰って調べると撮りこぼしが多くて残念!

サン・ジャン洗礼堂 Baptistére Saint-Jean (16351654

4世紀半ばに建てられ、現存する洗礼堂としてはフランス最古。

外観 側面を撮っていなかったので グーグルストリートヴューから

 
 後陣側
 
 ナルテックス側
 
 

現在では形が変わっていて買ってきた本には昔どのようであったか、二人の人の仮設が出ている。そのうちの一つを載せる。

   
   洗礼槽の仕組み排水設備などができている

4世紀 受洗する人は入口両脇の聖具室で支度をしてアトリウムを抜けて洗礼室に行く。

当時のもので残っているのは洗礼槽と壁の一部だけ。その後西ゴートなどの侵入により壊れたので6世紀に修復、3つのアプシスが付け加えられる。もう一人の学者の説では7世紀。その時すでに聖具室部分はない。10世紀には全身を浸す洗礼のやりかたではなくなっていたので洗礼堂は不要となったため、教区教会になった。洗礼槽は埋められ、奥行きが縮められてアトリウム部分はナルテックスになりアプシスも半円形となった。『人類の美術・民族異動期のヨーロッパ』では 現在見られるナルテックスや南北の半円アプシスを除く部分を7世紀頃とみている。

内部の壁画などは 1214世紀

現在は石碑博物館のようになっていてメロヴィング朝(481年~751年)の墓石の蓋が多く展示されている。記憶では石棺の蓋が素晴らしかったということしかないが、今回来て壁画も素晴らしいのに驚いた。

 
 二本の柱の間の奥に 洗礼槽
   
 洗礼槽  何か所華地下の遺構がみえるようになっていた

洗礼室 壁画はロマネスク   東 この栄光のキリストがいい。

 
 
 

キリストの足元には天使 その両側、左右6人ずつは使徒たちで波形の上にのっているが、これは オリーブ山で昇天のキリストを見守っている場面。色合いや天使の流れるような感じが昨日観た教会と共通点があるように思った。 よく見るとキリストの右手一番近くの使徒は鍵を持つペテロ

 
 

 
 南壁
 
北壁 
 
西壁、上部はアプシスの西側 

下 コンスタンティヌス帝 上に名前が書かれている、しかし 小学館の美術全集では 下右をコンスタンティヌス帝としている。 買ってきた本ではこれは名前の分からない騎士像となっている。
   
 コンスタンティヌス帝  

 ドラゴン退治

 

77 アプシスの壁画はゴシック 

 
 
 
 ヨハネの母エリザベス 13世紀(サン・ジャン洗礼堂なのでヨハネの物語が描かれている)

メロヴィング朝の石棺の蓋 近隣の墓地から発掘されたものが展示されている。今回、もう一度じっくり眺めたかったのがこの石棺の蓋

これらの意匠はこの地域独特のようだ。同時代のロンゴバルトや西ゴーとトとも違う。ゲルマン的というのだろうか。これは太陽を表わすそうだ。樹木をあらわしているように思えるものもある。アニミズム的要素がありそうだ。四角い組み紐的な結び目など何となくおまじない的な感じがする。ポワティエは司教座のあった町でキリスト教の中心地であったはずなのに、クリスモンとか羊などキリスト教的要素がほとんどない。十字文とっても全体としてみれば十字架かな、という程度。ラヴェンナと同時期かそれより後であることを考えると本当に驚いてしまう。でもこういうほうが遠い歴史の彼方に運んでくれるようで私は好き。

     
     
  
     

これらの石棺蓋について 柳宗玄著作集選3 では
 <いずれも足のほうがすぼまった特色のある形で、蓋の全面に朝浮彫の装飾がみられる。ほとんどすべて太陽文ないし十字文、華文などの中心的主題に鋸歯文などを添えたもの。おそらく古い象徴的な意味をあらわしたものであろう。・・・・(中略)・・・古代地中海的な 石棺浮彫とは全ての点で対象的で、東方的要素もあるが、巨石時代に遡るヨーロッパ土着の感覚の表現とみるべきものが多い>

修復のさい取り外したとみられる彫刻の断片。

  
  中断のものは 外壁の飾りであろう
  
  
  
     
     
     
16551706バス移動してサン・ティレールル・グラン教会へ
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