5日目  そのⅣ

ポワティエ サン・ティレール・ル・グラン教会
 



バスを降りて5,6分くらい坂道、階段を上がった。今回の旅でここが一番息が切れて疲れた。
ポワティエは台地の上の町であることを痛感した。

サンティレール・ル・グラン教会 Église Saint Hilaire le Grand

サンティレール(聖ヒラリウス)(315頃~368頃)はポワティエの司教だった人。

https://www.monestirs.cat/monst/annex/fran/poichar/hilagr.htm

http://www.art-roman.net/poitierssh/poitierssh.htm

(上はスペイン語ですが写真も多いです)

8世紀半ばサンティレールの名を持つ修道院が創設されたが、現在の教会は1049年に完成したもの。12世紀に火災に遭ったため、天井が石造りになった。図に見られるように身廊の大半は19世紀の再建で、トランセプト、内陣がロマネスクの部分。

   
   
まず外回りの彫刻を眺めた。ひいて写真を撮ることができなかったので、Googleストリートビュから。 非常に大きな教会だ。
   
   
 
   
 

軒下の彫刻には馬が多かった。 

96 北塔 もっとも古い部分

  
   

中に入る。平面図からもわかるように 柱がやたらと多い。中が非常に暗い、というほどでもなかったが、シャッター押してをすぐ手を動かしたのか、手振れが多く肝心の壁画がピンボケ。(より鮮明な写真は上記のサイトでどうぞ)

 

この教会を訪ねるにあたってこれまでにも触れてきた『ロマネスク美術とその周辺』 に出てくる、内陣と周歩廊との境界を半周するアーケード上部のヨハネ黙示録による壁画は絶対見逃すまい、と意気込んでいた。 しかしここはうす暗く、壁画自体も塗りを剥がしてみつかったものなので鮮明ではない。しっかり撮ったつもりの写真もおそまつなもので、がっかり。 

 

初期中世からロマネスクにかけて、アプシスの下に聖人の墓を収めた墓室が作られることが多い。この祭壇主変部の壁画に ヨハネ黙示録にみられる「殉教者の魂」 に関する壁画が描かれている。辻佐保子氏によると、ヨハネ黙示録大6911

< ヨハネの幻視「かつて神の言葉のため、また立てし証言のために殺されしものの魂の祭壇の下にあるを見たり。彼ら大声で呼ばわりて言う。「聖にして真なる主よ、いつまで審かずして地に住む者に我らの血の復讐をなし給わぬか」「ここに各々白き衣を与えられ、かつ己れらのごとく殺されんとする同じ僕たる者と兄弟の数の満つるまで、なおしばらく安んじて待つべきを告げられたり」>

99左から 

 
 (↑左)ヨハネに呼びかける天使   四人の騎士(死を伴う第四の騎士による災厄)
  

「祭壇の下の殉教者の魂」(天使による殉教者の魂へのストーラの授与) アーチの谷間の白く見えるのは裸の人間たちで殉教者の魂をあらわしている。 祭壇 香炉を振る天使(黙示録8、35 また別の天使が来て、手に金の香炉をもって、、、すべての聖なるものたちの祈りに添えて、、香の煙は、天使の手から、聖なる者たちの祈りとともに、神の御前に立ち上った)第四の騎士と香炉を振る天使が相対している。白い衣の代わりに)ストーラになっている。
右のほうには鷲の翼を与えられた女と火を吐く龍、大天使ミカエルと龍 が描かれているが、ぼやけているので省略。(Photoshopで加工してみたが、 頑張ってもこの程度にしかならなかった)

柱には 聖人の姿が描かれている。

     
   

 奥が北塔 

 
 
 
 サン・マルタンがマントを与えている場面
 
とランセプトと北側廊の境目の柱、柱頭にはヒラリウスの埋葬 
 
 
 
 祭壇から堂内を見る。 ともかく柱の多い教会で今自分がどこにいるのかわからなくなりそうだった。

1742分教会を出て今度は階段、坂をおりてバス

ホテルはポワティエの町の中心からかなり離れており、フュトゥスコープは新開発地域。そういえば 95年に来た時も郊外に泊まったが高速道路のすぐ横だった。もしかしたら、同じ地域がすっかり開発されてしまったのではないか、という気がした。。 

1815 ホテル メルキュール シット デュフュトゥロスコープ着

ホテルは新しい。

 
 
 
 

1930 夕食 椅子がたかくて 少し落ち着かなかった

 
   
   
 サラダ(ヤギチーズ ドライトマト)  
   
 メルルーサとズッキーニキッシュ
魚のsauceが美味しくキッシュもあっさりしていておいしかった
 

エスプレッソも頼んだワインはシェア ピノノワール すっきりしておいしかった

9263歩)