7日目 10月19日(土)

リモージュ滞在 

リモージュ~サン・レオナール・ド・ノブラ~ ソリニャック
 
 



リモージュに滞在して 近くの教会を巡る日。 

400過ぎに目が覚めて、調べもの。500に本格的に起きて身支度
640710 朝食

   
   
900 バスで出発

910 リモージュ大聖堂前で下車。
教会の前で現地ガイドさんのお話を聞く。リモージュの町は宿泊ホテルのあるシャトー地区と、ここシテ地区の二つの地域があり、18世紀に二つの町が一緒になった。人口約14万人。リモージュ焼きで有名で多いときは20社以上、約1万人の人が従事していたが、現在は10社、約1000人の人が働いている

向こうの煙突が立っているところが市庁舎。大聖堂と市庁舎を結ぶ道、このあたりにローマ時代の ジュピター神殿、フォーラムなど色々の施設があったらしい。(大聖堂はローマの神殿跡に建てられているということだったが、それが何神殿だったかは聞き洩らした。

   
   
聖エティエンヌ大聖堂 Cathédrale Sain-Étienne (1273年~1888年)
   
   
大聖堂の名前は聖エティエンヌだが、このエティエンヌについての説明。
250年に宣教にやってきたマルシアルはローマの祭司に追われていたのだが、ある女性がかくまってくれた。その家の娘ヴァレリーに洗礼を施す。
ヴァレリーはローマの地方総督エティエンヌに結婚を申し込まれるが、信仰のために断る。怒ったエティエンヌはヴァレリーの首を刎ねたが彼女は自分の首をもって教会に行き、マルシアルにミサをあげてもらった。信仰を守って死んだヴァレリーに心を動かされてエティエンヌもキリスト教に改宗し、殉教したそうだ。(首を持って歩く、サン・ドニみたい!)

ロアネスクの教会跡に建てられ、西正面の塔の下3層はロマネスク、上4層はゴシックになっている。もとは独立した塔だったが19世紀に教会が拡張されナルテックが付けられたので塔と教会は一体となった。接続部がわかるようにグーグルマップからの写真を載せる。

中に入る。
塔内部には 4本の柱、 柱頭彫刻は)うまく写真が撮れなかった。

   
   
 
 
見どころは、ルードスクリーン(15331534年)ルネッサンス様式の内陣仕切りだが、現在は 身廊西側に置かれている。
 
 
 
 
この「黒マリア」 は新しいものだそうだ。
   
 
ステンドグラスには 聖女ヴァレリーと聖マルシアル
 

そとに出て 北側扉口 フランボワイヤン様式(炎のような彫刻)(15161530年)

   
   
 
   
10051035 バス

リモージュを出ると丘、牧草地、初めての町がサン・レオナール・ド・ノブラ Saint Léonard-de-NoblatGoogleearthにしてみると畑地の中に埋もれるように町があるのがわかる。
バスをおりて少し緩い坂道を歩くと教会広場へ。聞いたこともないような町にしては立派な教会。

 

ローマ時代以前からブールジュ~ボルドーへの街道が通り、ノブラがヴィエンヌ川の渡河地点だった。

聖レオナール(~559年)はクローヴィス1世の宮廷役人で496年クローヴィスとともにレミギウスから洗礼を受けた
無実の罪で牢獄につながれた人を解放する奇跡をおこない、要職をあたえられたが断り、修道士として生きるために 「驢馬が一日で歩ける範囲の土地」を所望。この地に庵を建てて住んだ。フランク王妃が臨月の時王妃のために祈って無事出産したので、罪人の守護聖人とともに安産の守護聖人としても知られるようになった。十字軍の時にとらわれの身となったボエモンやリチャード獅子心王もきて寄進をしたそうだ。サンチャゴ巡礼もやってきて 街は大いに栄えたそうだ。
サン・レオナール参事会教会 Collégiale Saint-Léonardhttps://www.patrimoine-histoire.fr/P_Limousin/SaintLeonard/Saint-Leonard-de-Noblat-Collegiale-Saint-Leonard.htmhttps://www.limousin-medieval.com/saint-leonard-de-noblat
囚われの身から解放された人や サンチャゴ巡礼の寄進により建てられた教会。
 
 
 西正面 13世紀
 
  祭室方向を見る(12世紀半ば)身廊からとランセプトにかけてはは11世紀創設当時から。
   

11世紀初めに単身廊のバシリカが建てられて以来次々と増改築されてきている。

   
   
 どっしりと重厚な感じのするロマネスク教会である。11世紀末に、身廊の第45梁間に 細い側廊がつき、当初の木造天井が石のパラレルヴォールとになった。トランセプトに三つのドームがついたのもこの時。
 

主祭壇 上に聖レオナール、上に見える青地のシンボルマークは鎖 下に 聖レオナールの聖遺物 内陣は 12世紀半ばにそれまでのものをこわして 身廊の幅より広く7つの祭室を備えた周歩廊も造られた。巡礼たちがここを歩いて祈のってまわったことだろう。

 
 周歩廊
   
   14世紀の聖母子像
聖歌隊席のストゥールの彫刻 15世紀 (暗くていい写真が撮れなかった)
   

 聖レオナールの墓 囚人をつなぐ鎖がかかっている。 

 

右写真円形祭室(1075年)ここからだと円形がわかりにくい。(上記サイトの写真がいい)32 

   
 宝物庫(?) 説明書きも写したが、ピンボケ!  円形祭室

内部の柱頭も面白いものはあったが

 

 特に鐘塔(12世紀初め)の下(玄関ポーチ)の柱頭が面白い。
   
 
   
   
   
   
   
   
   
   
 


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