8日目 10月20日(日)

リモージュ~オーネー~アングレーム~ サント

オーネー サン・ピエール教会



夜中に雷が鳴って400頃目が覚めた。 500 本格的に起きる。
625 部屋を出て朝食室に。
835 出発 かなりの土砂降り!!

今日のルートはアングレームが先だったが午前中はミサらしく、先にオーネーに行くことになった。アングレーム経由なので地図から分かるようにかなりの時間ロスだ。

 

半分くらい行ったところで 幹線道路から田舎道へ。これまでの森や牧草地帯とちがってブドウ畑が多くみられるようになった。

   
   オーネー(オルネー)の町に入った。

オーネーはポワティエとサントを結ぶ街道上の要地でBC 1世紀にはローマ軍の駐屯地(アウネドナクム)が造られた。
中世には巡礼も行きかった。

ノンストップで 1100 やっとオーネーの教会前に到着。土砂降り、駐車場わきのトイレを使って教会に駆け込む。

オーネー、 サン・ピエール教会 (Aulnay  Église Saint Pierre) 11:15 1250
西北側から

 

http://www.art-roman.net/aulnay/aulnay.htm
https://sites.google.com/site/modillonsetpeinturesromanes/poitou/aulnay-eglise-st-pierre

教会はオーネーの町はずれにある。11世紀半ばこの地にあった聖堂の所有者、ポワティエのサン・シプリアン修道院がポワティエのサン・ピエール修道院の修道士にこの聖堂をゆだねた。そこへ新たに建てられた聖堂がこれで、1170年頃の完成と考えられている。 
この教会は修道院にも司教区にも属していない。建物のどっしりした感じと豊かな彫刻から西部フランスではもっとも傑出した建物とされている。
身廊からファッサードと、側廊内陣や南ファッサードはそれぞれ別の職人たちによって建設されていることがわかっている。

   
   
すぐ中に入る。まず現地ガイドさんの話を聞く。このガイドさん、ものすごく熱心。日本の観光客向けに想を練ったであろう説明をしてくださった。 
聖書の話を日本の神話では何に相当するとか、日本との対比はともかく、こういうツアーに来る人は多かれ少なかれ、聖書の知識はあるのに、と退屈なところがあった。 

*シンボルは 農民にキリスト教を教えるのに使った。例えば、鹿は一年に一度角を切るが、また 生えてくる。復活、ということでキリストのシンボル。
* 教会はペテロの舟、天のエルサレムに導かれる。船は信者の救済を意味する。
* 柱は木、多くの葉をつける。
* 12世紀、教会は暗く、後陣から光が注いでいる。光に導かれる。等々

25分ほどお話を聞いてやっと柱頭を観始めた。19世紀に修復されている。(暗い場所が多く、Photoshopで処理したが、おかしな色合いになってしまったものも多い)

   
 デリラがサムソンの髪の毛を切る カインのアベル殺し(ここで日本の神話が出てきた) 
   
 二羽の鳥が舟に乗っている。 
二つあるときはいいか、悪いかの 対比を表している。
 ライオンとフクロウ フクロウはいいものと悪いものと二つの意味をもっている。
フクロウはユダヤ人(光を選ばず暗いところでみる、暗黒を選んでいる)を表す。
逆に暗闇でも見えることから、キリストのアトリビュートにもなっている。
   
 目が開いている人と開いていない人、 信仰に目覚めた人は目が開いている。
   
 アダムとイヴ  
   
 レスリング?  アクロバット?
頭が下、信仰を変えるという意味も考えられる。
まっすぐ立っている人は正しい人。
   
   
 
   
聖書の場面かと思われるが 意味がわからないものもあった。(今気がついたので、質問できない。説明を聞き逃したかもしれない)動物が顔をよせあっているのは(どこにもあるので写真省略)オリエント由来。巡礼路教会なので、ムスリムの建築技術や彫刻の影響を受けている。

外へ出る。( 12:201247)少し小降り?でも傘は必要、それより風もあり、ものすごく寒い。手が凍えてメモがとりにくいし、シャッターもうまくおせないほどだった。

教会の 西側、東側は墓地だった。北側にも少しある所から、昔は敷地がもっとひろくて 墓地に取り囲まれていたのかもしれない。

   
 
 
 
石棺の屋根型蓋かとおもったら、墓石の上の差し掛け屋根だった。雨に濡れた古い墓石が寂寥感をにじませている。

写真が多くなってきたので 外側は そのⅡへ