サント Saints という町 ヌーヴェル・アキテーヌ地域圏 シャラント・マリティム県
ローマ都市が築かれる前にははケルト系サントン族のオッピドゥム(城塞都市)があった。
紀元前20年シャラント川西岸の丘の上に「メディオラヌム・サントヌム」というローマ都市が造られた。これはガリア・アキタニア地方の最初の首都であった。(現在も遺跡が見られる)
4世紀初めにエウトロピウスが、キリスト教を伝えてこの地の司教となった。
ローマ帝国が滅亡するころから、西ゴート、ヴァイキング、イスラム教徒などの侵入に悩まされたが、11世紀にはアキテーヌ公国の一部となった。1152年、エレアノール・ダキテーヌのヘンリー2世との結婚によりイギリス領となった。100年戦争でフランス軍によって奪回されたのは1404年。
7:25 朝食 中庭を通っていく。 プチホテルらしいアットホームな感じのする朝食室。
8:45 出発だがバスの関係で少しおくれたのでシャラント川まで行く。 向こうに紀元後19年に建てられたゲルマニクス門が見える。
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シャラント川 昨日撮ったもの |
サントの町
9:00 出発 5分ほどで女子修道院に着く
サント・マリー女子修道院 Abbaye de Dames de Saintes
https://www.monestirs.cat/monst/annex/fran/poichar/dames.htm
4世紀には 聖マルタンが造った修道院がこの地にあった。6世紀に大修道院として 再建
1047年 ジョフロワ・マルテル・アンジュー伯夫妻により改めて修道院が建立。ベネディクトは修道院となり、献堂式には4人の枢機卿や貴族たちが集まり 1049年 ローマ教皇庁直属となった。
貴族の娘が 修道院長になり、貴族の子女を預かって教育。西南フランス最大の修道院の一つとなった。
最盛期には100人の修道女がいた。
1792年 革命により 解散。80人いた修道女は追放された。
建物は軍事省のものとなり、 教会は厩、倉庫となった。
1924年には 自治体が購入し、42年からは教区教会となった。現在、修道院の建物は音楽学校、ホテルなどになっている。
ガイドさんとの待ち合わせ時刻には早すぎたらしい。20分くらい写真を撮りながら敷地内を散歩して待った。
西正面 オーネーのように三つのアーチがあり開いているのは中央だけ。そうして幾重にもヴシュール(弧帯)が重なっている。とても細かくてくろずんでいるのでしっかり見るのがおっくうになるが、よく見ると彫刻はとても面白い。
内側から ①神の手を支える天使、⓶唐草 ③神の子羊と4福音書記者のシンボル(マタイしか写っていない)⓸鳥 ⓹傷めつけられている人(殉教者の栗しみをあらわす)⓺唐草⓻長老たち ⓼動物装飾
向かって右側アーチ 下の段は 「最後の晩餐」ということだが、 中央はキリスト、 しかし 橋の方に行くと、これは?
左側アーチ 昇天する人を歓迎するキリスト ラッパを吹く天使
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右ガキリスト、 祝福しているのだが、 ヨオーッと言っているみたい |
どれも可愛い感じの彫刻だ。
柱頭彫刻は かなり風化している。
中に入る。
単身廊 身廊の天井にはドームが二つ並んでいたが、17世紀に二度火事があり焼け落ちたので、現在は木で塞いでいる。
壁には教会員たちが作った刺繍の壁かけが飾られている。
全12枚の作品が解説されていた。教会とは思えないアブストラクトな作品で面白い。彫刻に幻想の動物がほられるのだから、壁掛けのデザインも自由でいいはずだ。ただ写真の女性たちがこういうデザインを思いつきそうにはない。下絵別の人がかいたのであろうか。その説明は 読み取れなかった。(写真の撮り方がまずかった。全体でなく、一枚だけでも 説明の部分をきちんととっておけばよかった)
9:55 教会を出る。 10:00にショップが開くというので、しばらく周りを見る
ショップで買い物をして(塩など)10:30バス
シャラント川をホテル側に戻り、サントゥトロプ教会へ そのⅡへ
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