ドミニコ会修道院を出て旧港を眺める。 大きい観光船などは前日見た新港を使うそうだ。
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大聖堂 |
そのあと
聖母被昇天大聖堂へ。これは1192年創建。
イギリスのリチャード王が第三次十字軍から帰るとき嵐にあい、「命があれば教会を建てます」と誓ったことに由来するという。
当時の教会は大地震で崩壊。現在の教会は1713年にバロック様式で建てられたもの。
祭壇には ティツィアーノの「聖母被昇天」が飾られている。
横には ラファエロ工房の聖母子像も置かれている。
ここは前方はカメラ禁止だが、後方からは撮ることができた。
祭壇わきには 宝物室(カメラ禁止)
聖ブラホというこの町の守護聖人の遺骨が、金細工でできた腕とか 宝冠(頭蓋骨入れ)に入れて飾られていた。
気持ちが悪かった。
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ティツィアーノ作 聖母被昇天 16世紀 |
1977年の修復のおり地下のロマネスク教会の基盤、さらにその下から7世紀のバジリカの基部が発見されたが、その写真が壁に貼ってあった。数年後には見られるそうだ。
それから旧総督邸へ、
15世紀に建てられたゴシック建築だったが30年後火薬の爆発で壊れ、ルネッサンス様式で修復。大地震のあとはさらにバロックの装飾まで加えられたという建物。
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旧総督邸 |
総督邸のパティオ(中庭) |
正面の柱廊。ここの柱廊彫刻が素晴らしい。ミラノのピエトロ・マルティーニの作。
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総督邸正面の柱廊にある柱のひとつ |
この総督邸とスポンザ宮殿は、1667年の大地震でも壊れなかったそうだ。入ると15世紀のパティオ。
総督の任期はなんと一ヶ月。二年間は再選を許されず、また無給であった。
これはハンガリーが派遣する総督を拒むための形式的なものであったことと、権力者による独裁を拒むためだそうである。また秘密漏洩を防ぐため任期中は公務以外、公邸から出ることは出来なかったそうだ。
執務室には、四つの門のカギがあった。かけられている絵はヴェネツィア風。
置いてあったピアノはモーツアルトも弾いたというウオルターのもの。現在世界に25台しか残っていないが、実際に弾けるのはこの一台だけだそうだ。
ときおり、小雨。皆そろそろ疲れた顔をし始めたせいか、続けて城壁散歩だったのを午後にまわし、早目に昼食とすることに決定。私は午後はセルビア教会などを見たくて、それが14時までなので「できれば城壁の入場券をいただきたい」と言うとガイドさんが全員にチケットを配って下さって、午後各自、自由に行ってよいということになった。
城壁外のレストランへ行く。
12時20分 レストラン・ミモザ。
ムール貝のワイン蒸し(美味しかった) イカリングフライ温野菜添え、ドブロブニク・プリン(カスタード・プリンだった)
午後も歩くのでワインはやめて、またシュエップス(ビターレモン)とエスプレッソを注文(18+10クーナ)
13時15分ごろ一足早くレストランを出て、イコン博物館へ。
ところが今日は月曜日でお休み。仕方がない。それで、セルビア正教会へ。
ここにも少しイコンはあった。写真禁止なので、絵葉書の写真をのせる。
セルビア正教徒は昔から住んでいたが、ラグーサ共和国は教会を建てるのを禁じていたので、この教会はラグーサ共和国消滅の1887年になってから建てられたもの。新しくてきれいだった。
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セルビア正教会 |
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それから、ユダヤ人街に向かう。
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プラッツァ通りと交わる細い道、そういう道の一つが ユダヤ人街(右写真) |
ユダヤ教博物館へ
三階はシナゴーグになっている。このシナゴーグはヨーロッパで二番目に古いという。
ここも写真禁止だが、客は一人もいないので、写真を撮ってしまった。
去年フランスのカヴァイヨンで見たのとは形式が違う。プラハの墓地の横のシナゴーグのように、中央にキリスト教会でいえば聖歌隊席みたいに囲まれた部分がある。階上席は女性用かな?
2階が博物館。ここは入り口に人がいたので写真は撮れなかった。トーラーやトーラーを巻いたあと上にのせるらしい 冠みたいなものや、またユダヤ人の印の黄色い腕章、夜間移動許可書 などが展示されていた。
ここにはお客もいた。どうやらユダヤ人らしい母娘。夜間移動許可書などをじっくり見てはひそひそと何か話していた。
ここはユダヤ人街だが、特にほかの通りとは違っている風には見えなかった。通りの入り口もほかの通りと同じだった。もしかしたら、昔は扉などついていて、夜間は出られないようになっていたのかもしれないが、そこまでは聞かなかった。この通りのレストランも朝通った時は人気がなかったが今は満席。ユダヤ人が食べにきているのかどうかは分かるないが、こんな窮屈なところで食事はいやだなと思った。
一応見たかったのはこの二か所なので、晴れているうちに、城壁ウオーキングをすることにした。
ピレ門近くの登り口から城壁に上った。城壁は13世紀〜17世紀まで絶え間なく補強され続けられたそうだ。全体を歩くと一時間くらいだが、かなりアップダウンがあるということなので、ビューポイントだけにしておく。ボカール要塞とミンチェッタ要塞に行く。
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奥が ロクルム島 |
小雨模様になってきたので ショッピング。
プラッツア通りを歩いているとツアーの仲間に出会った。添乗員さんと城壁散歩をして船でロクルム島へいらしたそうだ。ロクルム島行きは海が荒れて大変だったそうだ。
本屋で本と絵葉書を、アクアマリテムという雑貨屋さんで海綿や小物をいろいろ買った。
そろそろ疲れてきてどこかに座りたくなったが、雨も本格的に降って荷物もふえたので、ホテルに帰ることにした。
ピレ門の外に出るとちょうどホテルまで行くバスがあったので乗った。12分くらい乗って、あと少しというところで「降りろ」と言われた。「私のホテルはドブロヴニクパレスだ」と言ったら「エクシデント」と叫ぶ。アクシデントつまり 何かあったからもう先には行けない、ということらしい。仕方がないから歩き始めると、車が二台ぶつかって道をふさいでいた。
お部屋にもどって、絵葉書を書いたり、絵はがきがたりなくてショップに書いたしにいったり、上から見たホテルの遊歩道がすてきだったので、下におりたり。ちょろちょろしているうちに時間があっという間に過ぎてしまった。
遊歩道はさほど長くはないが、ラベンダーが咲いて、風にのってふわりと香りが漂ってきて、気持ちが良かった。
この時期、どこにいってもアドリア海沿岸はラベンダーの花盛り。
今日は夕食がフリーだ。途中で出会ったツアー仲間の話では「夕食は添乗員と18時待ち合わせ」だそうで、殆んどの方がご一緒にお食事なさるそうだ。私も最初は皆さんと食事をするつもりだったが、せっかく海に面した素敵なお部屋なのでお部屋で食事をしたくて、戻ってきたのだ。
翌日聞くと行ったレストランは良さそうだったが、18時まで時間をつぶすのに苦労なさったようだった。
食事は、町でテイクアウトが買えればよかったのだが、レストランはあってもテイクアウトのお店は見つからなかった。それでルームサービスを頼むことにした。部屋に置いてあったメニューからステーキサンドとカプチーノを選んだ。注文しようとしたが電話をどこにすればいいのかわからないので、直接フロントに行った。通じないと困るのでメモ用紙に注文の品とルームナンバーを書いて持って行った。丁度20時。ツアーのメンバーはもうお食事を終えて帰ってらしたところだった。間もなく注文の品が届く。
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普通サイズのコーヒーカップから パンの大きさが分かると思う、 中にこの大きさの少し薄目の
ステーキが二枚、 間に 焼いたパプリカ,、茄子などが挟んであり、 食べきれなかった |
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ミニバーの 白ワインを開けて 暮れゆく海を眺めながらお食事。雨でなければ テラスで 食べるのだけれど。大満足
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