2日目

6月15日

トリエステ〜ポレチュ〜プーラ〜リエカ



晴れ
630分〜7 フロントで 地図をもらって散歩に出た。
ホテルの前で同じツアーのK氏と出会い、一緒に港の方に歩き始める。
5分くらいで、大運河(といってもヴェネツィアに較べれば短いのだが)に着いた。
   
  大運河    カーソルを右写真の上においてください

橋を渡ってイタリア統一広場に行く。
広場の正面には市庁舎、右手には保険会社ロイド・トリエステのウイーンの建築様式を反映しているという優雅な建物がある。 

 
 奥が市庁舎、手前右が ロイド・トリエステ 左は県庁 
 
 ロイド・トリエステ  (カーソルを写真の上に置くと拡大します)

    
 県庁舎

トリエステという町は、先史時代の城塞のあったところに、ローマの植民地ができ、その後ビザンチン時代を経て788年にはカロリンガ朝に組み入れられた。その後ヴェネツイア共和国の支配を免れるために1382年、オーストリア公レオポルド二世に屈服。以後ハプスブルグ家の領土内では比較的自治権を持って平穏であった。18世紀、オーストリアのバルカン進出にともない町は急速に発展した。

そういうわけで町はウイーン風。建物の高さも5階建てくらいに揃っていて美しい街並みである。

丘を見上げると、城砦が見えその横にほんのわずか教会らしきものが、、、。

 
市庁舎の 奥に城塞(教会は 写っていない)

城塞のところまで登ってサン・ジュスト教会を見たかった。必見のロマネスクなのに時間がないのが悲しい。
早朝一人で丘に登るのは無謀と思い、諦めて少し遅く出てしまった。偶然にも
K氏と一緒になったが、同道をお願いするにしても、今となっては時間がない。
海岸通りには面白い彫刻がある。それらを写真に収めてゆっくりホテルに戻った。

 
  
 
  針と糸を持って縫物をしている婦人たち(何かこの町と関係があるのだろうか)
帰り道で見た建物の壁の彫刻
   
   
 
 この町には ヴェルディ劇場がある

7時〜 朝食

8時 出発 海岸沿いに走る。造船所やヨットハーバーがある。

ほんの短い間だがスロヴェニア国内を通過。国境はそのまま通過。コーペルを過ぎたところから山に入る。やはりぶどう畑が多い。ピランの町のそばを通る。
ピランはお塩で有名だ。

844分 ドラガでまた国境。スロヴェニア出国はスタンプを押される。クロアチア再入国はしばらく待ったが誰も来ないので、そのままバスで進んだ。

9時45分 ポレチュ到着

観光前に、両替とトイレ。トイレが有料なので先に両替をする。窓口が一つしかないのでずいぶん時間がかかった。(両方で40分!!)おまけに日本人の団体が多い。自分のグループが見つからなくて危うく迷子になりそうになった。

着いたのは半島の付け根、しばらく海を眺める。アドリア海。(次の六枚の写真の粒子が粗いのは、ヴィデオから切り取ったため)

 
   ラベンダーが真っ盛り

それから町へ入っていくとヴェネツィア時代の円塔、それから五角形の塔。ヴェネツィア時代の城門の跡で、サンマルコのシンボルであるライオンが彫られている。

   
 五角形の塔  ライオン

デクマヌス通り(ローマ時代の町なので、ローマ時代のように東西の大通りはこう呼ばれる。南北はカルド通りと言う)を歩く。敷石はヴェネツィア時代のままだそうだ。

   
 デクマヌス通り エウフラシス聖堂がみえてきた

少し行くとお目当てのエウフラシス聖堂。 

 
 エウフラシス聖堂の入り口

ポレチュにはキリスト教が禁じられていた三世紀(ヴァレリアヌス帝の時代)にすでに秘密裡にメンバーの家でキリスト教徒の集まりが持たれていた。(初代司教は マウルス)
313年のミラノ勅令でキリスト教が公認されたので、この地にマウルスの遺骨を持ってきて、最初の教会が建てられた。その後5世紀前半にプレ・エウフラシス聖堂が建てられ六世紀半ばに、エウフラシスがそれを壊して新たに建てたのがこれから見る聖堂である。(この当時は 教会に寄進者の名前を付けることがあった)

聖堂に入っていくと正面のアプシスは金色に輝くモザイクで飾られている。紀元550年ごろの作品である。 

 
 アプシスのモザイク

一番上が キリストを中心に12 使徒。キリストのすぐ左にペテロ
ドームの部分は上に神の子羊を中心に殉教の聖女たち(確信はないが書かれている文字から推測すると、聖テクラ、聖アグネス、聖アガタ、 聖チチェーリアや聖エウフェミヤなど) 
そのすぐ下(マリア様の頭上)、虹のように輝く天から伸びる手らしきものがあり冠を持っている。
ルネサンス時代などとは違い、当時は父なる神は恐れ多くてお姿を描けないので手だけを描いた。
これは父なる神がマリア様に冠を授けていることを表わしている。

聖母子は 天使に付き添われている。一番左は助祭クラウディウス(エウフラシウスの兄弟)、その次は、教会の模型を持っているエウフラシウス、間にいる子供はクラウディウスの子供。殉教の冠を持っているのは聖マウルス(ポレチュ初代司教)。

 
 

下の左右には、カルチャーセンターのT先生によるとここで最も優れている「大天使ガブリエルのお告げ」「とエリザベート御訪問」がある。残念ながら何か行事があるのか、緑の飾りテープが邪魔で見にくい。 

 
 お告げ

お告げ マリア様の椅子が建物になって折るのはマリア=教会であることを示す。このガブリエルは六世紀に描かれたものでは一番美しいとされているそうだ。ひらりと降りてきたばかり、というふうに衣がたなびいているのがリアル。

 
 ご訪問

ご訪問 右のマリアとエリザベートの体の線がくっきり、というのも面白い。

ポレチュとはアドリア海を挟んで対岸にあるラヴェンナには 同じ六世紀に造られたサン・ヴィターレ教会などモザイクで飾られた教会がある。しかしヴェンナの図像はイエスで此処はマリアサイクルになっている。
5世紀から6世紀にかけて、マリアを神の母として崇敬する風潮がたかまってきた(ここは難しい。イエスを産んだからといって即、神の母とはいえない、と論争があり、マリアはテオトコス(神の母)ではないと主張したネストリウスが追放されたが、その後も論は揺れ動いていた。関心のある方は『キリスト教史 V』森安達也著 山川出版社)ことをこのモザイク画は示している。
『受胎告知』はキリスト関連なので、どこにもあるが、聖母子、エリザベート訪問などのマリア関連図像はこれまでにはなかった、これが世界遺産の決め手になったそうだ。

 
 下部のモザイクも美しい。写真上部の少し薄い部分が6世紀というのはわかるが、下のほうも同じ時代だそうだ

柱の柱頭彫刻、アーチのストゥッコ装飾も素晴らしい。

 
 アーチ

ここの床は何箇所か四角く切ってあり、床下が見えるようになっている。

 
5世紀の聖堂の床モザイク 

5世紀の聖堂の床モザイクが見える。また壁際の床下には5世紀の教会の手洗いもあった。

 
 手洗い

聖堂を出たところが、柱廊で囲まれたアトリウム(前庭)。

   
 アトリウム、洗礼堂から聖堂を見る  聖堂から洗礼堂を見る。奥(上)に鐘楼

その向こうが洗礼堂。昔はここに全身を浸した。洗礼槽の底の方がコケが生えていて気持ちが悪いが、今でも年一回、六月初めに子供の洗礼に使うそうだ。
また洗礼堂奥の階段から、鐘楼に上ることができる。しかし「時間がない」と上らせてはもらえなかった。あとで 写真集など見ると、建物の構造が分かるし、気がつかなかったが海もすぐ近くに見えている。 時間に余裕がほしかった。

   
 洗礼槽  洗礼堂の天井、これも八角形
 そのU に続く