4時ごろ目がさめて5時に起きる。小鳥の囀りが気持ちがいい。
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案内板のそば |
このホテルはテラス付き。緑の木々をしばし眺める。
朝食
今日は丸一日プリトヴィツェ湖群国立公園散策の予定である。
(午前は全員で、午後は希望者のみ)
幸いお天気もいい。
9時 ホテル出発
公園の入り口まで、5〜10分ほど林の中を歩く。
ステーション2(ST2)にある地図の前(下図、赤丸)で今日のコースの説明を現地ガイドのエレナさんに受ける
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下の図は ホテルのロビーにあったもの
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コースは ST2から電気自動車でST1へ行き、そこから徒歩で大滝を見て、 P3から船でP1へ行き、徒歩でレストランへ
午後は P1〜P2船その後徒歩でST4、そこからバスでST2に戻りホテル(赤丸横)に帰る |
此処は1979年に 世界自然文化遺産に指定された。しかしセルビア人地区だったため、90年代の内戦で戦場となった。そのため1992年には危機遺産となったが、内戦終結後整備され、97年には危機遺産のリストからはずされた。
この付近にセルビア人が住んでいる理由
この地域だけでなく、ボスニア・ヘルツェゴビナを幅広くとりまく地域(アドリア海から、セルビア北部 ワラキアまで)にハンガリー・オーストリアはトルコの北上を防ぐため 軍政国境地帯を設けた(1578年〜1881年、1878年にオーストリアが ボスニア・ヘルツェゴビナを支配下におさめ、この地がフロンティアでなくなるまで)。
この地域はトルコの進出のため人口が減ったので、オーストリアは植民を奨励した。
移住者は土地を与えられるかわりに一生、防衛の任をもたされた。
最初はクロアチア人が多かったがセルビア人などの大移動もあり、この地に多くのセルビア人が住むことになった。数百年この地に住んだセルビア人にとっては此処が父祖の地である。これが今回の紛争の遠因になっている。
クロアチアがユーゴから分離独立するとき、セルビア人は反対し、この地のセルビア人を保護するという名目でユーゴスラヴィア連邦軍が軍隊を差し向けたのだ。ここに来る途中、弾痕のある家があったのもそのためである。
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今日の現地ガイドのエレナさんもドライバーさんも 当時はドイツにいっていたそうだ。
広さは琵琶湖の半分くらい、ここに大小16の湖と92箇所の滝がある。
ST2から電気バスで(5〜10分)ST1 へ
そこから川や滝を見ながら、まず大滝を目指す。
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最初は上のほうを歩いている。 後で歩く木道が 右手に見える |
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向こうに大滝が見える。 |
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川が滝のように勢いよく流れている |
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水が透明なので 魚がよく見える |
大滝のところはで皆、記念写真 |
このあたりはカルスト地層。水は透明で、小さい魚〈鱒や 鯉の一種のラッドなど〉もよく見えるし、飲んでも大丈夫だそうだ。
湖の色は美しいエメラルドグリーン、これは水の中の成分が光に反射するせいで、夏にこのような色になるそうだ。水中に倒木があるが、そこには白いモヤモヤが付着している。これは水中の炭酸カルシウムが固まってできた石灰華。普通は30年で3mmくらいだがここは、30年間で90cmも付く。(多すぎる気がするがビデオで録音してある声はこういっていた、間違えていると思うが、ともかくここは他よりずっと成長が早いことは確か)こういうものが川をせき止め段になって、滝がいくつもできるのだそうだ。歓声を上げながら木道を歩く。
かなり暑いが、これが雨なら水の色もこれほど美しくはないだろうし、足元も危ないに違いない。天候のいいことを喜びながらウオーキング。
約1時間半歩いて、船着場へ(P3)
トイレの後約20分船に乗って、P1 へ
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船の中から |
200段の階段を上って少し歩いて、昼食レストランへ
12時20分 ポリャナレストラン スープ(レバー入り) ラム、サラダ添え アップルパイ
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ラム |
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飲み物は午後もすぐ歩くので、アルコールはやめてシュエップス(ビターレモン)20クーナにした。レモンスカッシュみたいで美味しかった
13時50分 午後の観光スタート
午後は任意なので一組歩かない方がいらした。
だんだん登りになっていくというので私も迷ったが、何とか頑張ってみることにした。
結果的にはゆるやかな階段や坂を、少し上るとすぐ平らなところ、というのが繰り返されて、思ったほど大変ではなかった。しかし、午後は午前ほどの感動はなかった。歩いてばかりより、こういう綺麗な湖のほとりの木陰で本でも読んで過ごせたらいいのに、と思った。
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上の湖 |
途中一回休憩して15時20分頃 一番上のST4に着いた。
水を飲んだり、アイスを食べたりしながら思い思いに休んで,「まだ歩く」という数人を残してバスでST2に戻り歩いてホテルへ、
今日の歩数は 17622歩
ホテルにもどって入浴 しっかりパックもして洗濯。ジーンズも洗ってしまったが翌朝乾いていた(素材が綿だけではないからかもしれないが)
19時 ホテルで夕食 シーフードサラダ、鱒のソテーなど
程よい疲れの一日だった。 |