8時30分 バスでホテルを出発
8時40分 ディオクレティアヌス宮殿、海に面した「銅の門」の前でバスをおりる。
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ディオクレティアヌス宮殿 |
宮殿前のプロムナード(ローマ時代は海だった) |
現地ガイドのイリーさんは、まず昔の宮殿の説明図の前で話はじめた。
この宮殿は295年〜305年A.D ローマ皇帝ディオクレティアヌスが、自分の引退後の住まいとして建てたもの。
ディオクレティアヌスは、スプリットの町の近くの解放奴隷の子として生まれた、といわれている。この軍人皇帝時代,皇帝は目まぐるしく入れかわり、(211年〜284年に22人の皇帝)その死も多くは謀殺であったが、ディオクレティアヌスは284年〜305年という長きにわたって皇帝位にあり、無事に引退し、余生を故郷近くのこの宮殿で過ごした。
宮殿はほぼ200m四方で、高い壁に囲まれている。海側が皇帝の住まい、奥が兵士や使用人の住まいになっていた。
ディオクレティアヌスはここで約10年過ごし天寿を全うしたそうだ。
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海に面したところが 埋め立てられ、現在は遊歩道が出来ている |
この宮殿にはその後人が住まなくなっていたが、7世紀、異民族に攻撃された近くのサロナ(ダルマチアの州都)の人々がこの宮殿に逃げ込み、家を建てて住み始めた。そのためこの宮殿は、ローマ時代の遺跡の跡に、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロックとさまざまな時代の建物が同居している。
まず宮殿の外周を歩く。海沿いの遊歩道が気持ちがいい。
ラディチ兄弟広場
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ミレシ邸 |
詩人 マルリッチ像 |
広場の北には ミレシ邸(18世紀 バロック様式)、その前には詩人マルリッチ像(メシュトロビッチ作)がたっている。
建物のグランドフロアがお店、その上にダイニングや寝室。台所は火事になったとき逃げられるよう屋上の小屋のようなところに設けられていたそうだ。
そこからまた小道を進むとナロドニ広場 旧市庁舎、ゴシック様式の時計塔など。
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ナロドニ広場 |
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市の紋章 |
途中で見かけた サン・マルティン教会の案内板
昨日ザダルの博物館で見たのと似た三角形の入り口アーチ |
さらに小道を行く。
北門の外にはメシュトロヴィッチ作のグルグール(グレゴリウス)司教の像。
前述したように、この司教は10世紀にスプリトで開かれた宗教会議で、教会でのスラブ語使用が禁じられたが、その撤回を求めた人だそうだ。左足の親指がピカピカなのは、そこに触れると幸運がついてくるといういわれがあり、皆撫でるからだそうだ。もちろん私も触った。
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グルグール司教像 |
北門 |
北門(金の門と呼ばれる)から城壁の中に入る。
城壁内には 今も人が住んでいる(約2400人)。しかし外観を変えてはいけないので苦労があるらしい。たとえばエアコンの室外機がつけられないとか。しかし堂々と付けてある家もあった。
市立博物館(中には入らず中庭にだけ入った) 建物は15世紀の貴族の館。
さらに小道を行く。
ヴェスティブルと呼ばれる穴のあいているドーム天井の下では Klapa vestibule というアカペラの四人組男性コーラスが歌っていた。とても声がいいので売っていたCDを買った(100クーナ)。
旅の興奮もあって買ったはいいが失敗、というCDがよくあるのだが、これは帰って落ち着いて聞いてもやはり素晴らしかった。
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クラパ・ヴェステブル |
ローマ時代の兵士?写真を撮るとお金を払わなくてはならないとか
なので、遠くから全体を撮った写真を拡大切り抜き |
もとはディオクレティアヌス帝の霊廟だった大聖堂はミサ中で入れなかった。
広場をへだてて向かいにはもとは ジュピター神殿だった洗礼堂がある。その前にはエジプトから持ってきたスフィンクス。 洗礼堂も中には入らなかった。
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左が 大聖堂(もとは 霊廟) |
洗礼堂(もとはジュピター神殿) |
それから地下におりた。皇帝の私邸として使われていた部分だが、中世には倉庫として使われたり、ゴミ捨て場としても使われたそうだ。謁見の間には玉座もあった。(単なる石)
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ディオクレティアヌス帝のコインの拡大コピー |
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皇帝の御座所 |
海と通じているところだったような、気がするが あいまい |
ざっと見たところで、11時10分から45分間のフリータイム
Fさんとまず洗礼堂へ 11世紀の洗礼盤を見る。上から見ると十字の形。クロアチア王が彫られている。王の姿は稚拙ともいえるが横の五芒星に鳥というのも面白い。
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下の人は 何者だろう? |
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斜め横から |
五芒星の上は 組紐紋だ |
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洗礼者ヨハネ像(メシュトロヴィッチ作) |
洗礼堂の天井、ジュピター神殿(ローマ時代)当時のものが
そのまま残っているように思われるが確かめてはない |
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天井から少し下の帯状の飾り
これもローマ時代のものそのままだと思われる |
入り口外に置いてあった石棺 グリーンマンのようだ |
出たところに置いてあった石棺の彫刻も面白い。グリーンマンだ。
そのU に続く
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