そのあと、大聖堂に入ろうとしたが、やはりミサ中で、断られた。Fさんは鐘楼に上るという。私は今日はスカートなので上らないでもう一度大聖堂に入れるよう頼んでみることにした。
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列柱広場、奥は宮殿入り口、 左に大聖堂と鐘楼 |
大聖堂 鐘楼 |
「ミサは12時15分に終わる」と言われたが、私は「11時55分集合なので待てない」と言ったら、「写真は撮らないこと、動き回らないこと」と言われて、「もちろんそういうことはしない」、と言って入れてもらった。中は信者でぎっしりだったが、なかには観光客もいて、少しずつ移動して見ている。私もあまり目立った動き方はしないようにして見た。
ここでは壁にディオクレティヌス帝の肖像が彫られているという。それを見たかったのだ。丸天井の下の縁にいくつもメダイヨンがありその中、中央の一つに それらしきものを確認。
教会の中は所せましと祭壇 司教か誰かの横臥像が置かれていた。
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大聖堂内 ディオクレティアヌス帝 (パンフレットより) |
さきほど聖マルティン教会のそばを通った。ロマネスクらしかったので行きたかったが、道が分からない。
時間もないことだし、ということでショッピングタイム。
地下通路のお土産やさんで、絵葉書と貝で出来たペンダントトップを買ったところで丁度時間。
11時55分、歩いて昼食レストラン「ヴァロス」へ
魚のスープ、サラダ、シーフード・リゾット、アイスクリーム
(ここのお手洗いで、どなたかドアが 開かなくなってひと騒動)
13時ごろ 出発
13時10分 クロアチアのハイドックというサッカーチームの競技場の横を通った。
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サッカー競技場 |
スプリトの背後にディナール・アルプス が迫る
左に少しみえているのは 左写真のサッカー場 |
マカルスカ・リビエラと呼ばれる 美しい海岸線を行く。
右手に海、左手に険しい岩山。 飽きず眺めて、写真を撮り続ける。
こういう水色の海、というのは湘南あたりでは見られない。
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14時48分 |
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14時57分 雲行きが怪しくなってきた |
しかしそのうち雨。バチン湖のそばを通ったが私の席とは反対側で見えなかった。
このそばで、15時15分トイレストップ。(5クーナ取るのに、ペーパーもないところだった)
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ネレトヴァ川デルタの耕作地 水路が面白い(雨でガラスに雨粒) |
15時26分 出発
バスで少し行くとボスニア・ヘルツェゴビナに入る。町の名はネウム。
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16時5分 国境 |
ネウムの町 |
なぜ途中でクロアチアが途切れているのか?
簡単にいうと、中世、アドリア海沿岸の北のダルマチアはヴェネツィア領で南はドブロブニク共和国だった。
17世紀にこのネウムの地をドブロブニクが領有する権利を得たとき、ヴェネツィアとの緩衝地帯として オスマン・トルコ領を間においておくのも悪くない、とドブロブニクは強く権利を主張しなかったらしい。
その後、この地はオーストリア領、ついで旧ユーゴ領になったが、91年にクロアチアが旧ユーゴから独立する時点で、当時の国境線が浮かび上がってきたそうだ。
たった全長9qの海岸線だが、ボスニア・ヘルツェゴビナにとっては大変貴重な海への出口だろう。
景色は当然ながらクロアチアと変わらない
16時10分 ネウムでトイレストップ兼買い物。雷も鳴る豪雨でお店は停電だった。
お手洗いまで、床に小さなろうそくを置いてはあるが、殆んど見えない。 隣のスーパーも真っ暗。
でもここはクロアチアではないので物価が安く、クロアチアのものも安く買えるので、あれこれ買い物。
16時30分 出発
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16時 53分 この島、水没しないかと心配になる |
58分 |
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17時 瀬戸内海のように島影がたくさん見える |
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17時16分 このあたり、半島が多く 島か陸続きの半島か区別がつかない |
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17時34分 ドブロブニク新港 |
17時45分 ドブロヴニク・パレス ホテル到着
お部屋はさほど広くはないが、海に面してテラスもついていて、新しくて気持ちがいい。
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お部屋のテラスから 18時54分 |
バスルームにはロクシタンの レモン・バーベナ シリーズ が置いてあった。私の好きな香りで、家でもハンドローションはこれをつかっているので、嬉しくなってしまった。残りはしっかりお持ち帰り。
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お部屋、 海に面して テラスが付いている |
写し忘れたが木の葉形の石鹸もあった |
19時 夕食
ビュッフェだった。 ワインは 少しおいしいものをと 四人でボトルをとった。エスプレッソと合わせて100クーナ。このワインが今回の旅行で飲んだうちで最も美味しかった。
お部屋に戻ってまたしばらく ベランダから海を眺める。海を見るととっても幸せな気分になれる。
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20時48分 上の写真より少し右手を見る |
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