10日目

そのU



14時15分 ガイドのアムルさんと観光開始。

  
  レストランの前のお土産物屋さん

世界遺産になっているスタリ・モストをよく眺められところということで、川沿いのモスクに行く。 

 
 スタリ・モスト

コスキ・メフメット・ジャーミヤ(1618〜19年)

橋の写真を撮ったあと、モスクに入った。モスクの前には清めの泉。

   
 清めの泉  モスク内部中央にミフラーブ、右にミンバル

トルコやイランで壮大、華麗なモスクをみているので、なんともかわいらしい、という印象だ。
ミナレット
(アザーンをよびかけるための塔)トルコ式(形が鉛筆形)で20〜21メートル
。 
ミンバル(階段の上にたってイマームが話をする)やミフラーブ(壁龕、メッカの方向をむいていて、これに向かってお祈りをする)の説明。ガイドの女性はテキパキとした頭のよさそうな人。 
誰かが「ガイドさんはスカーフをかぶっていない」と言っているのをしっかりきいて、「スカーフの話をしているの?私がスカーフをしていないのは、こういう仕事するのにふさわしくないと思うから。ここではスカーフは強制されていない」と言っていた。イスラム教の五行の話
(イスラム教徒がしなければならならない五つのこと、メッカ巡礼とか、喜捨、一日五回の礼拝などなど)、それから33または99のテスティ(ロザリオみたいなもの)の話などを聞いた。
ガイドはスンニ派。
翌日はサラエヴォに行ったが、二つの町とも観光地を歩いたせいか、スカーフ姿は殆んどみかけなかった。 

それから、トルコの家に行った。ヴィシェヴィチャさんの家

   
 トルコの家入り口 中庭、玉石モザイクがみごと、右が台所

庭は丸石でモザイクになっている。台所は居室とは別に建てられている。高い塀に囲まれ、二階にはバルコニーがある。 

   
 台所内部  

女性用シャワーが洋服箪笥みたいで、こんな狭いところでよく浴びられるものだと思った。 
居間の床には絨毯が敷いてある。色数が多いほど高価だそうだ。居間は川につき出ていて 柱だけで支えられている。 お茶でもてなすとき、熱いお茶、冷たいお茶の区別で、お客が歓迎されているかいないかをしらせる風習などの話を聞いた。 

 
 居間
   
 こんな幅広のズボンを穿いていたと説明するアムルさん  
   
   垂木?鴨居?、こういうところにも彫刻があった
二階の見学を終えて下におりると、下で待っていらしたある奥様が 本を売っている地元の人とにこやかに談笑していらした。言葉場は通じなくても気持ちは通じたのだろう。 とってもいい光景だった。

レストランのところに戻って フリータイム

   
 弾痕のある建物  このモザイクの道が歩きにくかった
 
 屋根瓦が石、の家がときどきある
   
 金属細工のお店をよくみかけた  ボスニア独特の墓碑彫刻に見られる図を彫ったお盆
 買いたかったが 直径50p位のしかなくてあきらめた

ちょっと買い物 (トルコで買ったのと同じミニ財布が、六つで10ユーロ)

橋の塔が博物館になっているので、Fさんと行ってみた。
さほど見るものはなかったが眺めはよかった。 

 
山に囲まれ、緑色を帯びた川が流れ、赤い屋根の続く美しい眺めだが、よくみると、被弾したままの建物もある。
 
 
   
   
   
 スタリ・モストを上から見る  通りが旧市街
 
 
 
 

地下にもおりることが出来て、もしかしたら地下から対岸にいけるのかな、という気がしたが、集合時間も近いので、 途中で引き返した。

16時20分 集合 駐車場まで10分ぐらい歩く。
スタリ・モストのたもとにあるお店の入り口にドントフォゲット、ナインティスリー と書かれた石が置いてあった。下記の 四方田犬彦氏の本に 英語で書かれていることが 言及されていた。自分たちのためではなく、観光客のためである。

   
 橋は 坂になっているので、
 馬が すべらないように 桟がある
 93年に橋が落とされた

このモスタルにきてこの旅で初めて(多分)ジプシーにあった。赤ちゃんを抱えた若い女性が何人もお金をねだっていた。小学校高学年くらいの少年たちが、ボールを投げつける真似をして我々を脅していた。顔が白かったが彼らもジプシーだそうだ。帰り途で、高校生くらいの女の子三人組(色が浅黒く目鼻立ちがはっきりしているので、ガングロみたいだった)がしつこくお金をせびっていた。私は最初のほうだったので、そのまま通りすぎることができたが、もらえなくて腹をたてたのか、後ろの方を歩いていた人で、腕を強くつねられた方がいらした。(翌日は青あざになっていた)
 
ジプシーというのは インド北部を原発点とする流浪の民で 音楽芸人とか、鋳掛屋
(アイルランドでは ティンカーという) などの仕事をする人々。色は浅黒い。そのため昔、エジプト人と思われて、エジプシャンと呼ばれたのがジプシーという名の由来。しかし彼らは彼らの言葉で「人間」という意味であるロマとよばれてほしいらしい。(しかし、ここでは通りのいい、ジプシーにしておく) 旧東欧には とくに多い。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナについては 以前『見ることの塩』 四方田犬彦著 という本で読んで関心を持った。爆撃を受けたモスタルの瓦礫の街を見て『見ることの塩』という 高橋睦郎 の詩を思い浮かべた、というのが この本のタイトルの由来。 
しかし、氏が当地に来たのは2004年、現在は瓦礫も大分片付けらているのか、見ることの塩、というほどの感想は持たなかった。

 
 カトリック教会の入り口 左が旧約(よくみると、アダムとイヴ、ノアの箱舟などなど)
右が新約、 (お告げ、ご訪問など、下のほうに磔刑)が浮き彫りになっている

まだ時間も早いので、残ってもう少し町を歩きたかったが、ジプシーがこわいのでやめにした。
あまり豊かとは思えない町になぜこう多くのジプシーがいるのか。 おもらいも少なかろうに。

  



16時50分ごろ ホテル・エロ 到着

ロビーが暗い。
「節電かしら」とささやきあう。 
お部屋は思ったよりきれいだが、バスルームは シャワーのみ。 
テラスが付いている。
  
19時 夕食 

ハムとチーズの前菜、 
牛肉のグリルサラダ添え、 
ケーキ 

   
   
   
   

食後まだ明るいので、何人かの方たちと近くのスーパーにいったが、小さくて日用品程度しか置いてなかった。 
お部屋には遮光カーテンのかわりにブラインドがついているのだが、これの操作が難しい。 夕食後、お隣のお部屋の方にやっていただいた。