5時30分起床 今日は晴れ
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お部屋の窓から、 正面にカトリック教会の鐘楼 向こうの山に十字架
ホテルのある場所は新市街で、 銃弾の痕のある建物はあまりなかった |
7時15分朝食
出発前にロビーで待っているとき、町の案内のパンフレットを見つけた方がいらして、私も一部もらった。
その表紙がボゴミルの墓石(右写真)(ボゴミルについては114で)
昨日、町中の金属細工のお店で見かけたお盆の図柄もこれだ。
彫刻が独特で面白いので、これのあるラディムリャというところにも行きたかったのだ。
ここに行くには、ドブロヴニクからすぐ内陸に入るルートになる。
9時 出発
進行方向左側に座る。
走り始めてすぐ廃墟
10分もすると新しい墓標の立ち並ぶ墓地があった。
廃墟、また墓地、
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9時10分 モスタルの郊外だと思う、廃墟になったところを片付けたのか? |
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9時14分 墓地 |
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9時16分 多分このあたりでモスタルの町を出たのだろう。 バラックがあった
この時は、まだ家を直せなくてこういうところに住んでいる人もいるのかな、と思ったが、
今これを書きながら、これはジプシーの集落ではないか、と思っている。 |
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9時18分 |
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9時20分 屋根の抜け落ちた教会
こういうドーム型の天井を持つのは正教会かな? |
教会横の墓地 |
9時25分くらいから川沿いの景色のよいところを走るようになった。 川は左、途中少し右側に見える。だんだん山奥に入っていく感じ。緑の山もあるが、峨娥たる岩山もみえてくる。水は美しいエメラルド・グリーン。昨日のアドリア海沿いの景色に劣らぬ美しさ。気がつくと、みな川側に移動して景色をながめている。16人という人数だからこそ。
紛争の際はこの道を戦車が走ったそうだ。
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ダムらしい |
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9時34分 |
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建設中のモスク、 右の家に貼ってある写真からすると、まだミナレットが建っていない |
一時間ほど走ると川幅が広がったようだ。地図でみるとここは湖(読み方がよくわからないが、ヤブラニカ湖)
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9時54分 |
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9時59分 |
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10時 |
10時13分 |
10時18分ごろコニッツというこのルートでは一番大きな町を通った。 やはり弾痕のある建物がある。
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弾痕が 斜めにはしっている |
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10時19分 上三枚ともコニッツの町 平日の朝というのに、 のんびりした光景
青地に黄色の旗はボスニア・ヘルツェゴビナの国旗 |
10時半ごろ トイレストップ。バスが再び走りだして、すぐ道端に蜂蜜売り。
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10時24分 工場? |
10時 42分 蜂蜜売り
(こういうところで 買うのも思い出になる。
バスに乗る前にみつければ買ったのに残念)
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山道をあがったりくだったり。山の中に分け入って行く。時折のどかな田舎の景色、
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11時8分 山間のこれまでよりは大きい村 遠くにミナレットが見える |
と思って眺めていると村はずれにはどこも新しそうな墓地がある。
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11時11分
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サラエヴォが近くなってきた。
11時15分ごろ道が広くなり山道を抜けたと思ったら、向こうの山の斜面に赤い屋根の家々が見える。
サラエヴォだ。
しかし、町へ入る手前で凄まじい爆撃の跡を残す建物を見た。思わず息をのむ。
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11時24分 |
走っている通りはスナイパー通り。セルビア兵が通りを横切る一般市民を(面白半分に)狙撃した、ということで有名な通り。我々が今晩泊まることになっている、ホリデイ・インもあった。色が黄色と紫で、ちょっとぎょっとなった。
バスを止めるために一度町を出て、また川(名前はミリヤッカ川)を見る、そこにも墓地があった。
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11時25分 サラエヴォの町がみえてきた |
31分 スナイパー通り |
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11時32分 新しいビルの前に爆撃を受けたままのビル |
11時33分 あの黄色いビルが 今晩泊まる
ホリデイ・インホテルときいて ぎょっとなる |
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35分 弾痕を塞いであるのも痛々しい |
11時 42分 車を止めるのに一度町を出てユーターン |
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住宅地の間に墓地。 |
そのUに続く
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