11日目

6月24日

モスタル〜サラエヴォ



5時30分起床 今日は晴れ

 
 お部屋の窓から、 正面にカトリック教会の鐘楼 向こうの山に十字架
ホテルのある場所は新市街で、 銃弾の痕のある建物はあまりなかった

7時15分朝食

朝食
   
    

出発前にロビーで待っているとき、町の案内のパンフレットを見つけた方がいらして、私も一部もらった。

その表紙がボゴミルの墓石(右写真)(ボゴミルについては114で)
 
 昨日、町中の金属細工のお店で見かけたお盆の図柄もこれだ。

彫刻が独特で面白いので、これのあるラディムリャというところにも行きたかったのだ。

ここに行くには、ドブロヴニクからすぐ内陸に入るルートになる。 

9時 出発 
進行方向左側に座る。

走り始めてすぐ廃墟
 
10分もすると新しい墓標の立ち並ぶ墓地があった。

廃墟、また墓地、

 
 9時10分 モスタルの郊外だと思う、廃墟になったところを片付けたのか?
 
 9時14分 墓地
 
 9時16分 多分このあたりでモスタルの町を出たのだろう。 バラックがあった
この時は、まだ家を直せなくてこういうところに住んでいる人もいるのかな、と思ったが、 
今これを書きながら、これはジプシーの集落ではないか、と思っている。
  
  9時18分
   
 9時20分 屋根の抜け落ちた教会
 こういうドーム型の天井を持つのは正教会かな?
 教会横の墓地

9時25分くらいから川沿いの景色のよいところを走るようになった。 川は左、途中少し右側に見える。だんだん山奥に入っていく感じ。緑の山もあるが、峨娥たる岩山もみえてくる。水は美しいエメラルド・グリーン。昨日のアドリア海沿いの景色に劣らぬ美しさ。気がつくと、みな川側に移動して景色をながめている。16人という人数だからこそ。
紛争の際はこの道を戦車が走ったそうだ。

 
 
 
 ダムらしい
 
 9時34分
 
 建設中のモスク、 右の家に貼ってある写真からすると、まだミナレットが建っていない

一時間ほど走ると川幅が広がったようだ。地図でみるとここは湖(読み方がよくわからないが、ヤブラニカ湖)

 
 9時54分
 
 9時59分
   
10時  10時13分

10時18分ごろコニッツというこのルートでは一番大きな町を通った。 やはり弾痕のある建物がある。

   
 弾痕が 斜めにはしっている  
 
10時19分 上三枚ともコニッツの町 平日の朝というのに、 のんびりした光景
青地に黄色の旗はボスニア・ヘルツェゴビナの国旗

10時半ごろ トイレストップ。バスが再び走りだして、すぐ道端に蜂蜜売り。

   
 10時24分 工場? 10時 42分 蜂蜜売り
(こういうところで 買うのも思い出になる。
バスに乗る前にみつければ買ったのに残念)

山道をあがったりくだったり。山の中に分け入って行く。時折のどかな田舎の景色、

 
 11時8分 山間のこれまでよりは大きい村 遠くにミナレットが見える

と思って眺めていると村はずれにはどこも新しそうな墓地がある。

   
   11時11分
サラエヴォが近くなってきた。
11時15分ごろ道が広くなり山道を抜けたと思ったら、向こうの山の斜面に赤い屋根の家々が見える。
サラエヴォだ。
しかし、町へ入る手前で凄まじい爆撃の跡を残す建物を見た。思わず息をのむ。
   
11時24分 
走っている通りはスナイパー通り。セルビア兵が通りを横切る一般市民を(面白半分に)狙撃した、ということで有名な通り。我々が今晩泊まることになっている、ホリデイ・インもあった。色が黄色と紫で、ちょっとぎょっとなった。 
バスを止めるために一度町を出て、また川
(名前はミリヤッカ川)を見る、そこにも墓地があった。
   
11時25分 サラエヴォの町がみえてきた   31分  スナイパー通り

   
11時32分 新しいビルの前に爆撃を受けたままのビル  11時33分 あの黄色いビルが 今晩泊まる
ホリデイ・インホテルときいて ぎょっとなる 
   
35分 弾痕を塞いであるのも痛々しい 11時 42分 車を止めるのに一度町を出てユーターン
 
 
住宅地の間に墓地。 


そのUに続く