14日目

 8月15日    ストラスブール滞在

                          
       
朝、食事前に町を散歩する。ホテルは下の写真のように、運河に囲まれた場所に建っている。
下左の写真の塔は13,4世紀に出来た防備の塔。

今日は徒歩で市内観光
まず、大聖堂の近くまで行く。

ここもホテルからすぐの所 サン・トーマ教会

この町にはゲーテもモーツアルトもやってきた。

モーツアルトの滞在した家 まん中の赤い建物がゲーテの泊まった所

グーテンベルクの銅像が建っている広場があった。
グーテンベルグ(1400〜1468)はマインツの人だが、10年間この町に住んだ。

グーテンベルグ像 『光あれ』と書かれた紙?
を持っている

ロアン館

その近くの船着場から、船に乗って運河めぐりを一時間。途中私の好きな素敵なかわいい教会を見て、降りたくなった。  遊覧船からの眺め

欧州議会会場 月に五日だけ開かれるという

 パレ・ロアンを見る。 ロアン館ストラスブールの司教侯の宮殿(1732〜42に建てられた)
中には入らなかったが、オーストリアからルイ16世に嫁ぎ、断頭台の露と消えたマリーアントワネットもお輿入れの途中ここに泊まられたそうだ。カテドラルのある広場へ、大聖堂に「むかって右手のカメルゼル館は柱の彫刻が見事だった。

メゾン・カメルゼル(1589年) 現在はレストラン

カテドラル正面の彫刻を見る。

左が首吊りのユダ 月歴で、多分二月、寒いので足を暖めている

賢い乙女達、それぞれ、火と一緒に
壺に油を入れてもっていた
愚かな乙女たちは火は持っていたが、
油の用意はしていなかった
(マタイ伝25章)

そのあと、南扉口にまわって、エクレシアとシナゴーグの彫刻を見た。私がストラスブールで一番見たいとおもったいたのが、このシナゴーグ(ユダヤ教の象徴)。折れた矢を持ち、目隠しをして、うなだれた女性像だが、勝利のエクレシア(キリスト教の象徴)より、気品があって、すばらしいと思う。

大聖堂南側入り口
むかって左にエクレシア、右にシナゴーグ

中央のタンパンには聖母戴冠の彫刻

勝利の十字架を持つエクレシア 折れた矢を持ち目隠ししたシナゴーグ

 ここで、お昼、

『クロコダイル』 の看板

ミシュラン二つ星のレストラン、クロコダイルでのお食事。今日のお昼は今回のツアー一番のご馳走。
盛り付けも綺麗でお味もすばらしかったが、残念ながら、写真がない。
 メニューは
ヒメジのロースト ズッキーニとウイキョウのドライトマトとアプリコット風味
ヴォルネー風ビーフ、と付け合せにドーフィネ風ポテト、とサラダ
山羊のチーズ レモン風味  庭のハーブ添え
果物のグラタン、アーモンドカラメル

室内も豪華、天井にはこのお店由来のワニがぶらさがっている。プレヴェールという人がエジプト遠征をして、この店に立ち寄ったときにワニをおいていったことが店名の由来だそうだ。

お食事の終わりごろ、このお店のマダム、(ゴージャス女将として有名らしい)が挨拶に現れ、日本にも行ったことがあると、アルバムを持ってきて、見せてまわっていた。
食後、少し遠回りをして、市街を見ながら、また大聖堂へ。
さきほどはミサで中に入れなかったので、中にはいって仕掛け時計その他を見た。
重厚ですばらしい教会とは思ったがあまりにも観光客が多すぎて、全体をゆったりと見回すことはできなかった。

ソロモン王の裁き
(二人の女がいずれも自分の子だと言い張り
判断を仰ぎに来たところ)

仕掛け時計

左の上部、天文時計

 このあとも少し市内観光をするのだが、私はパス。
タクシーで、この近くのロマネスク教会(饗庭孝男氏の『ヨーロッパ古寺巡礼』に出ていたアンローとエプフィグの教会)を見に行くことにする。
ホテルに戻りタクシーをよんでもらう。やってきた運転手を見ると黒人。髪を金髪にそめ、ピアスをいっぱいつけた背の高い人。ちょっとぎょっとして、代えて、といいたいのをがまんして乗った。

 あらかじめ今日のガイドさんには所要時間、およそのタクシー料金などをきいて、(彼女は私の聞いた二つの教会のことを知っていた)、ホテルのフロントでも行きたい場所は言っておいたのだが、運転手は知らないらしく、途中であちこち聞きながら行った。 
二つの教会は昨日のワイン街道を逆にコルマールの方に戻るように行った中ほどにある。
道路はワイン街道ではなく高速を行った。

 アンロー (セントピーターアンドポール教会)
 
民家の建ちならぶ奥にあり広場がないので、教会の全景を撮ることはできなかった。

 正面の彫刻は11世紀のもの
 この教会は時の教皇レオ9世も1049年に訪れたという。

正面の彫刻、キリストがペテロに
鍵をわたしている
アダムの肋骨からイヴを造る 林檎の木

見えないが左手が正面入り口
右の上下の継ぎ目に彫刻がある。
横手にもフリーズはつづいている

継ぎ目のところ

意味はわからないが、
オリエント的な図柄のレリーフ

これは石工だろうか?

それから、エピフィグにむかったが、運転手はその村の場所を知らなくて、コルマール近くまで、車を走らせてしまって大きくあともどりする破目になった。
サント・マルグリッド墓地教会
墓地教会なので、村はずれにある。
村の小さな墓地教会(11世紀前半)で、内部もとても狭い。およそ観光客など来そうにない教会である。

周り廊下(12世紀中ごろ)が珍しい。饗庭氏の本には、葬式の人々を入れるためであったろう、とかかれている。

回り廊下のような回廊が珍しい

 

この回廊の腰高のアーチがいい

中庭には井戸もあった

 運転手も面白がってついてきていたのだが、「あれを見ろ」 という身振りをするので見たら、なんと、完全に乾いた骸骨が金網の中に山と積みあげられていた。 古いお墓から掘り出したものだろう。

外回りの横のほうにこのように骸骨が

 ヨーロッパの教会にはよく聖人の遺骨がガラスケースにはいって置かれているがこれは雨が横なぐりだとぬれてしまうような場所である。 それにしても人の目にふれるような場所に積み上げておく神経が分からない。 

アルザス地方にはまだいくつか見たい教会はあるのだが、夕食に間にあうように帰るためにはこの二つがやっとだった。タクシー代はガイドさんには150ユーロはしない、といわれたが、230ユーロかかった。
帰りはストラスブール駅で車を下りた。明日のドイツ行きの切符うを買うために。

 ところが窓口では英語は通じなくて、(私の英語はブロークンというのも恥ずかしいほど滅茶苦茶なのだが)フランス語で言ったがこれまた滅茶苦茶フランス語なので、周遊のつもりで駅の名前を並べ立てたがだめで結局ハイデルベルグまでの片道(25.6ユーロ)   だけを買った。

歩いて(15分くらい)ホテルに戻ると、今夜は外のレストランなので、ロビーに人が集まりはじめたところだった。
モーツアルトの泊まった家近くのレストラン で夕食。
 ポワロねぎのサラダ、鱸のワインソース、クグロフ
8年前のフランスロマネスクツアーでご一緒だったK氏に今日見てきた教会の話をする。
K氏は日本にお帰りになって、10日後くらいには、今度はスイスのロマネスクを見るために出かけられるそうだ。