2時15分 目が覚める。
3時30分頃起きて日記を書く。
朝食前に付近を散歩する。ホテルは駅の近くにある。建物は高さがそろっていて一階部分が柱廊になっている。
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トリノ ポルタ・ヌオーヴォ駅 |
7時15分 朝食
7時35分 部屋に戻る
8時10分 出発
バスの中で現地ガイドと山岸さんから トリノの町についての説明
トリノはイタリア4番目の都市。タウリーニというケルトの一派が住んでいた。
タウリニというのはケルト語で山の方から来た人という意味。
タウロというのは 雄牛のことなのでトリノの町のあちこちには雄牛の絵がある。
そこにローマがやってきた、その後ランゴバルト公国(王国)(ロンバルドとも言う)が起こった。
これがこのロンバルディア地方の名のもと (
(ロンバルド王国は568年北イタリアに建国、774年フランク族によって滅亡)
1563年にはシャンベリーからサヴォイ公国の公がやってきて、フランスと対抗するため首都と定めた。
町を発展させるため沢山建物を造ったが、当時はバロック、ネオクラッシックの時代だったので、そういう様式の華麗な建物が多い。
19世紀 この地は イタリア統一運動の拠点となり、1861年から63年までの短い間ではあるが首都にもなった。
首都はその後フィレンツェを経てローマになった。
2011年はその150周年記念の年にあたる。
19世紀から 20世紀にかけてミラノなどとともにイタリアの工業の中心地として栄え、フィアットなどの工場がある。
産業で食べていけるので観光にはあまり力をいれなかったそうだ。
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山の上に サクラ・ディ・サン・ミケーレ |
ところでなんといってもトリノといえばオリンピックという言葉が続いてしまう。
06年の冬季オリンピック
フィギュアスケートで荒川静香選手が金メダルを獲ったことはまだ記憶に新しい。
トリノと聞いただけであのララララララーララー、というトゥーランドットの
メロディーが浮かんできてしまう。
そしてあの優雅な滑り。
このオリンピック以後観光にも力を入れ始めているという。
またトリノの聖骸布というのも有名。
そんな話をきいているうちにだんだん山の中に入っていく。
左手の山の上には午後行くことになっているサクラ・ディ・サン・ミケーレが見える。
何となくエーコの『薔薇の名前』(本は東京創元社刊、ショーン・コネリー主演の映画もある)の修道院を思わせる。
9時30分ごろ バスを降りて緩やかな坂道を10分あまり歩く。途中には野の花が風に揺れ、向こうには小さな滝も見えて気持ちがいい。
ノヴァレーザ大修道院 http://www.abbazianovalesa.org/ 標高822m モンチェニジオ山道
創建は8世紀、ベネディクト修道会の有名な文化的中心地であったそうだ。その後サラセン人がやってきて破壊され11世紀に再建された。
1856年に修道院は廃止されて、水で痩せる〉という療養所になったそうだ。
1973年修道院に戻され、現在は8人の修道士がいる男子修道院。
修道院の裏山といった所にいくつか小さな礼拝堂がある。そのうちの一つをこれから訪ねる。
入ったすぐのところで開くのを待つあいだにお手洗い。ショップも覗いてあとで買うものの見当をつける。
見学者は他に数名(日本人ではない)
9時55分
案内の女性がやってきて山の方に進む。ここには鉄製の戸がつけられ、大きなカギがかかっている。
ところがさびついているのか、なかなか鍵があかない。ゆすったり向こうから手をまわしたり、ひと騒動。
それを反対側の柵の向こうでロバがみている。
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子供ロバが 瞬きもせずこちらを見ていた |
サン・ミケーレ聖堂 |
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菜園 |
サン・エルドラド・エ・サン・ニコラ礼拝堂 |
途中 サン・ミケーレなどの礼拝堂のそばを通って数分山道をいくと サン・エルドラド礼拝堂。
ここに色鮮やかなフレスコ画が残っている。(買ってきた絵葉書では11世紀、ガイドブックには おそらく12世紀初めとある)
正確には サン・エルドラド・エ・サン・ニコラ礼拝堂といい、聖エルドラドと聖ニコラの物語が非常に色鮮やかに壁、天井に
ぎっしり描かれている。
谷間の冷たい風とすかすかの扉からの適度の湿気がフレスコを守ったそうだ。
聖エルドラドは9世紀の人でこの近くの裕福な家に生まれたが財産を捨てて巡礼者になり、蛇退治などをして
ノヴァレーザの修道士、修道院長となった人。
聖ニコラ(ニコラオス、つまりはサンタクロース)は今のトルコのミラの人、それが何故描かれているかと言うと、
この聖人の聖遺物を1087年に船員がバーリへ運んだのだが、その少し後にフランスの十字軍騎士がその一部を故国に持ちかえる途中ここを通りその一つをここに残していった。それが丁度このチャペルに絵を描いているころだったので、聖ニコラも描かれることになったという。
上に掲げたこの修道院のホームページ開き エルドラドのところをクリックするとこのことが書いてある。
私はイタリア語が読めない。パソコンに翻訳機能が付いているときは英語がいい。日本語にすると全く意味不明。
後陣には 栄光のキリスト、サン・ニコラに関するフレスコ画、
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アプシス
栄光のキリスト、 足元左に聖ニコラ、 右にエルドラド
左右に大天使 左がミカエル、右はガブリエル
両側の壁には 聖ニコラの事蹟
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肉屋に殺されて樽詰めにされた三人の子供を救う聖ニコラ |
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上の一部を拡大したが、描き手に違いがあるようだ。
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天井 上(入り口側) エルドラド、下(アプシス側)聖ニコラ)の事蹟 |
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左、 聖ニコラが赤ん坊のとき、今日は金曜日だからと、
お乳を拒否
下、 貧しくて娘が娼家に売られるしかないと悲しんでいる家に
お金を入れている。このときお金が靴下の中に落ちたことが
クリスマスプレゼントが靴下の中にいれられることのもとになっている。 |
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エルドラドの生涯 左 巡礼のカバンを捨てる道院に入る場面
右写真下 このように立派なお城に住んでいたが畑仕事をしたりしてその後巡礼に出る |
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最後の審判 天使が ラッパを吹く 磔刑の十字架、上の十字架はなにも描いてないが 神のいることを示す |
約8m×5.8m(ホームページによる。外寸ではないかと思う)という小さな礼拝堂なので 間近によくみることができた。
しかし、天井を見上げるのに少々疲れた。
後になってからツアーの方と話しているとここが とても良かったという方が何人かいらした。
素晴らしい、これほど鮮やかに色が残っていることに驚嘆はしたが私は 祈りの場としてはちょっと賑々しすぎると思った。
10時35分 外に出る。サン・サルバトール礼拝堂の外回りを見る。 ロンバルディア・アーチが 綺麗だ。
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サン・サルバトーレ礼拝堂 |
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10時50分 博物館 ここでは写本の修復をやっていて そのための道具や古書が展示されている。またローマ時代の出土品などもあった。
この部屋は もと修道士の食堂だったそうで、うっすらフレスコ画が残っていた。
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お面みたいなものがいくつか |
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11時20分 修道院をあとにしてバスの待っているところまで歩く。緑の中の気持ちのよい散歩道。
11時35分 バス
11時50分 スーザ この町はアルプス山中、スーザ渓谷の要衝の地。
フランスに通じるモンチェニジオとモンネブロのアルプス越えのルートが合流するところで、昔はトリノより重要な町だったそうだ。
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教会だった建物 |
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サヴォイヤ家時代の建物が残っている。
サヴォイヤはフランスだが11世紀にスーザの領主の娘アデレーデと結婚してこの町にも力を持つようになった。
大聖堂に向かう。大聖堂はこの結婚の記念に建てられることになったのだが、完成はずっと後なので、内部はゴシックになっている。
先に3世紀にローマ人が造ったサヴォイヤ門を見る。
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サヴォイヤ門 右手前は教会の鐘楼 |
大聖堂、 鐘楼はロマネスク。大聖堂の壁には11世紀の壁画が残っている。
12世紀のフレスコ画磔刑
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磔刑(12世紀)現地ではまぶしくてよく見なかったが,パソコンで再現してみるとなかなかいい絵だ。
槍で突くローマ兵士と、酢を含ませたスポンジを差し出すローマ兵士がちょっと漫画チック
右手を頬にあて左手で肘を支えるのは、悲しみの表現 |
入り口の上にはエルサレム入場のフレスコ画(12世紀)
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鐘楼にもロンバルディアアーチの装飾 |
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上右端の入り口 フレスコ画はキリストのエルサレム入場 |
外壁のロンバルディア帯(アーチ)が 二段になっていて、下が12世紀のオリジナルで上の方が後でつけ加えたところ。
各アーチの下に絵が描かれているがこれも12世紀のオリジナル。
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ロンバルディアアーチの中に動物などが描かれているのは珍しい(12世紀) |
入るとすぐ右に 緑の大理石でできた洗礼盤(15世紀) アデライデの像。
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15世紀の洗礼盤 |
天井にうっすらフレスコ画が残る |
ここも奥の祭壇が一段高くなっていて下にクリプトがある。イタリアにはこの形式が多い。聖歌隊席の木彫も綺麗(14世紀)
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足労との仕切りのアーチ列が美しい |
柱には このような薄い彫刻が施されているものもある |
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アデレーデ像 |
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ゆっくり町を散策しながらバスに戻る
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ローマ時代の門が 彫りこまれたプランター |
建物と建物の間に支え |
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白い柵の右が川 左にさきほどの教会の鐘楼 |
そのUに続く
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