3日目

そのⅡ
 スーザ~サクラ・ディ・サン・ミケーレ~トリノ


13時 LE MASCHE で昼食。 お店の壁にカギを沢山かけてあり、モジリアニの複製がなども飾られている。
Le Masche home page

   
  店内

ニョッキ、 ローストビーフとサラダ、 杏のケーキ ワイン+水(5ユーロ)

   
 ニョッキ  サラダが手前になってしまったが、ローストビーフがドンと出て
まさに食べ放題、みんな満足
   
私は 相変わらず少食  

14時35分 出発         

15時20分 バスを降りて歩き始める。

サクラ・ディ・サン・ミケーレhttp--www.sacradisanmichele.com-

宗教建築物 教会、修道院、サクリ・モンティ  Chiese, Abbazie e Sacri Monti  イタリア旅行情報サイト(JITRA)
ここのサイトでは、 この大修道院がウンベルト・エーコの『薔薇の名前』のインスピレーションを与えたと書かれている。

標高962mのピルキリアーノ山の頂上に建っているが、麓から上るわけではない。 かなり上にバスを止めたが、やはり上りは上り。

   
 下のyou are here に今いるわけ。坂をのぼる。 そばにチーズ屋さん
 
 修道士の聖墳墓

ここにはもともとケルトの神殿があり、2世紀にはローマ人が小さい神殿を建てていたという。

こういう山の上に教会があるのは山岳信仰の表れでもある。
イタリア版モンサンミシェルだ。
教会そのものはランゴバルド王国時代に建てられた。
最初は緩やかな坂
この地方きっての観光地で道は整備され 途中にチーズ屋さんがでていた。

3時34分 廃墟
修道士の聖墳墓(1000年頃) 巡礼者たちは まずここにお参りしてから修道院へ向かったのだそうだ。

   
 修道院がみえてきた  

そこから階段を上って 

   
   下写真と方向があう。もとは岩山の上の小さな教会だった
  現在は点線のように教会が出来ている(ショップで買った本より)
 
 見上げるとすごい。 ミカエル像がたっている

3時51分 入り口。 たいした上りではないのだが、お昼のワインがまだきいていて少しつらかった。
ガイドさんがチケットを買っているあいだにお手洗い。(入り口手前、右の階段をおりる。中にはなかったと思う) 
この壁は高さ 26m、 教会の支えになっている。 この扉口から、死者の階段 と呼ばれる階段を上る。 

     
 下に少しみえているのが 入り口 入り口柱頭彫刻 死者の階段 岩がむき出しのところもある

ここの壁には 無くなった修道士が入れられているのでこう呼ばれるそうだ。常に死を思えという戒めのためである。
長い階段を息を切らせながら上る。 途中は岩がむき出しのところもある。 
素晴らしい彫刻で飾られたゾディアック門に到達する。ゾディアックとは獣帯とか十二宮帯の意味
左の柱(出てからだと右)に ニコラウス作のと書いてあるらしいが、 私の撮った写真からは読みとれなかった。彼は 1120年頃 多くの作品を彫ったそうだ。(ニコラウスはヴィリジェルモ、アンテラミとともにロマネスクの三大彫刻家の一人と言われている)  

   
 ゾディヤック門  向かって左の柱
下の写真の左の二つを別方向から
左は 神殿の柱を倒すサムソン隣の面は デリラが牢でサムソンを酔わせている
 
 向かって左
 二番目は 三人の男が髪をひっぱりあっている
 彫刻のある柱の上には グリーンマン
 その向こうは カインのアベル殺し
   
向かって右の門柱群
 左端 蛇が乳房にくらいついているが、その尻尾が頭に変わって女の足をかんでいる。
(淫乱の象徴かとおもったが、買ってきた本によると母なる大地の豊穣を表すとあった))

しばらくこの彫刻を観賞して、右に折れ少し階段をのぼると教会に入るロマネスク門。 この前には昔はアーケードがあったそうだ。
この入り口の左上に嵌めこまれているのはローマ時代の墓石(古代ローマ人がここにいた証)。
この門はどっしりしていて実にいい。右上では修道士がみている。

   
ロマネスク門 アーチ右上に修道士 (監視カメラ?)  ローマ時代の墓石
 下、 横向きだが羊が十字架を持っている

 教会内部は広々として明るい雰囲気だ。いくつも礼拝堂がある。 正面右手には クリストフォロの絵。

   
   教会    左の中央の窓の拡大
左右に大天使ガブリエルとマリア(受胎告知)
   
教会アプシスの左 聖クリストフォロ   柱頭彫刻 真ん中は グリーンマン
    
 
     
       ウイリアム大修道院長の墓   地下のチャペル 
   

 聖ロレンツォと聖ミカエルのあいだの玉座の聖母子 
デフェンデ・フェッラーリ作 16世紀
大フレスコ画
 下から キリストの埋葬 
聖母の死(この主題の絵は非常にまれと書いてある)
聖母の昇天
   
 キリストの洗礼  大フレスコ画とおなじ画家によると思われる 梨を持つ聖母

地下のチャペルを見る 教会内には絵が多い。 

モンクスドア(修道士の扉口)から外に出て下界を眺める。スーサ谷を望む。また修道院の廃墟も見える。塔はアルダの塔

   
   モンクスドアのアーチ 左端の
   
   アルダの塔
 アルダという少女が兵士に追われてここから飛び降りたが、助かった。
これを少女が自慢にして、もう一度 飛び降りてみせたが、
 今度は助からなかったと、いう話がつたわっている(慢心を戒める話)
   
 スーサ谷をのぞむ 途中の山に文字が、、 

廃墟となっている アルダの塔を見て、入った時とは別の外側の坂を下りて入り口に戻る。ショップで本や絵葉書を買う。

17時少し前に修道院をあとにして山を下り、17時15分バスで トリノに戻る。 
途中の山 ここにもう一本鉄道をフランスのリヨンまで通そうという計画があるが、付近の住民は反対していてTAV=MAFIA(マフィア)(TAVとはTreno Alta Velocità SpAの略でイタリア高速鉄道路線) と山の斜面に描かれているところがあった。

18時20分 ホテル着。 
今日の夕食はフリーで添乗員さんと一緒に行きたい人は55分にロビー集合。朝下見していたお店に行くことも考えたが皆と一緒の方が楽しそうなので参加した。結果的には市内観光も出来てとても良かった。
6人(うち一人は食事はしないが途中まで一緒に散策)で出発。 

まずサン・カルロ広場を目指す。 こには ストラッタというチョコレートの有名店がある。 買ってもいいですよ、といわれたが 買いに入ったのは私一人、 ヨーロッパのお店ってどうしてこうも手際が悪いのか、時間がかかって申し訳なかった。(暑い時期なので ほんもののチョコは買わずマーブルチョコみたいなものにした)

   
   サン・カルロ広場

それから王宮前広場、右手にはマダマ宮殿。ここは博物館になっていて、中世のものもあるので時間があれば入りたかった、もちろんもう閉まっている。

 
 マダマ宮殿
    
 王宮  トリノ大聖堂
左手に大聖堂がある。ここには聖骸布があることで有名。 今年4~5月に一般公開されて、二百万人の人が見に来たそうだ。 聖骸布 (処刑されたイエスの体を包んだ亜麻布で イエスの体が写っている布。放射性炭素測定法では 13,4世紀のものとされている)
 
  パラティーナ門


私はたまたま機内の暇つぶしに『聖骸布血盟』という小説を見つけて読んだ。
この13,4世紀のものであるいう事実を踏まえたうえで、しかしそもそもの初めの伝説をうまくとりいれてミステリーに仕立てたものだが、楽しめた。

(ダビンチコード以来この手の小説は多いが) 聖骸布伝説についても分かるので トリノに行くなら読んでも面白いと思う。(町の叙述もある)

教会は7時までなので 残念ながら中には入れなかった。
 
それから教会の裏(実はそちらが教会正面の方)に回ると、その横にはローマ遺跡があった。

城壁やパラティーナ門を見る。

それからさらに進んで おめあてのレストランへ。 

Apicciridda 室内席もあったが 屋外にした。

山岸さんを含めて6人なので、前菜三皿、パスタ三皿を注文。

グリーンサラダ、 魚介のマリネ、 魚の素揚げ、ピザ シーフードパスタ、もうひと種類パスタ (名前失念) 

とくに前菜が大当たり、素揚げにした魚にレモンを絞っていただいたのがとても美味しかった。

     
     
     
     

(飲み物を入れて14ユーロ) 
ドルチェを頼もうとしてもこのころには広場をうずめつくすほどのテーブルが満席でボーイさんがなかなかこない。 
帰りにどこかでアイスクリームをたべましょう、ということにして、ようやく暗くなってきた町をホテルへともどる。 

 
 Palazzo di citta.

ライトアップされた町が美しかった
ジェラート屋さんは あちこちにある。あるお店でそれぞれ好のみの品を注文、私は御食事のあとなのでさっぱりした方がよいと思いリモーネのソルべ(レモンシャーベット)にした。

   
   牛
   
 途中のお店 何か撮影中のようだ

途中の道に 雄牛の絵。 これは トリノのシンボルマーク。昔このあたりにいた ケルト人は タウリニ族で それが トリノの地名の語源。それとイタリア語で雄牛のことをトロ(複数形は トリ) というが それと音が似ているので雄牛がシンボルマークになっている。 

22時半ごろホテルに戻った。