6日目

そのⅢ


1315分 バス
1340分 カントゥという町のLA SCALETTA というレストランで 昼食 
トマトソースのパスタ、ビーフ、ケーキ
とラズベリーアイス

   
   
   
 日本とお皿の置き方が逆  

15時 出発
1510分 ガリアーノ バスをおりて少し坂道を上る。サン・ヴィンチェンツォ聖堂の横にサン・ジョバンニ洗礼堂が建っている。
サン・ヴィチェンツォ聖堂のホームページ (イタリア語)   ALLIANO 2007 - MILLE ANNI - Affreschi

   
 丘の上にサン・ヴィチェンツンツォ聖堂  隣にサン・ジョバンニ洗礼堂

サン・ジョヴァンニ洗礼堂 
カロリング朝の様式がみられるところから9世紀以前のものと思われているが、11世紀にミラノのアリベルトが隣にサン・ヴィチェンツォ教会を建てたので洗礼堂として使われるようになった。
まず外観が面白い。この丸石は川の石。 
上から俯瞰すると十字形だが四葉のクローバー型だ。(上に示したホームページにとぶと平面図もでてくる)
このホームページは現在ないようです。見つけた サイト http://www.mondimedievali.net/Edifici/Lombardia/Cantu.htm#imm これには 洗礼堂の平面図は出ていませんが、参考になると思います。(2016年2月22日 追記)
そして葉と葉のつなぎ目にアールをとってある、というか実になだらか。そこがニッチのようなっているところもある。 
ロンバルディア帯も飾りにつけられている。

   
 後ろ側  内部
   
 洗礼盤、というより槽というべきか  9世紀の祭壇

洗礼盤は径が1.8m位、深さ1.5m位。一つの石をくり抜いて作ってある。

祭壇は9世紀のもの 
前板にはクリスモンが彫られている。上に鳩とオリーブ、中心に太陽、アルファとオメガ
、 なかなかいい。

狭い階段を上って二回へ。ここには少しだけフレスコ画が残っている。

   
   

外に出て隣のサン・ヴィチェンツォ教会 
この教会は長く農家として使われていたが、
1936年地元の大聖堂がお金を出して買い取り修復したのだそうだ。 
そのせいかフレスコ画の傷みがひどい
 
1007年 後にミラノ大司教となったアリベルトが教会を再建して、サラゴサの殉教聖人サン・ヴィチェンツォに捧げた。
祭壇部分が高くなっている。後陣の中央は顔が剝がれていて見えないがキリストということは分かる。左の足元に身を屈めている人にはうっすらと白でエレミアと書いてあるらしいのが読みとれる。

 
東側祭壇を見る  アプシスのフレスコ画は11世紀初めのもの

これは大美術全集によると詩篇(118編)に従い(人類の破滅と救済)を表わし、キリストの両脇に旧約の預言者 エレミアとエゼキエルと大天使を描いてある。(右側は剥げて天使の絵はない)
なお立ち姿のキリストの作例は少ないそうだ。(立ち姿でよくあるのは昇天の場面)

 
 

下右 奉献の図の壁画。アリベルトはその後ミラノ司教になった。ヴィチェンツォ殉教の様子の絵もある。

   
 エレミア
 
 聖ヴィチェンツォの殉教 (上の窓の左)  右ついたて奥

クリプトへの入り口上の衝立のようになっているところには 《聖母子と聖人たち》 13世紀

 
 13世紀末のフレスコ画 左から大天使ミカエル、ペトロ 聖母子 パウロ、 聖ヴィチェンツォ と多分 聖アンブシウスとアデオダット

右の壁のフレスコ画 どうやら聖クリストフォロやアダムとイブもあるがあまりにもはっきりしないので写真は割愛。
衣装に点々がはいっているのは光っているようにみせるためだろう。ビザンチン風にしようとしたのだという。
クリプトにおりる。
壁にアデオダットの遺骨を移送したことを記した銘板(
アデオダットは4世紀、ローマ時代の人)

     
 手前は 誰のだったか失念
奥には 三人分の遺骨 そのうちの一人は アデオダット
 アデオダット遺骨移送の銘板  フレスコ画
 衣装が面白い

サン・サピーノの聖遺骨?(とメモしてあるが よくわからない ともかく書きとめておくだけ)
少し壁画が残っている。見学の終わりごろ、気がつくといつのまにか5人くらい中年のオバサマたちがいて、絵葉書など売りはじめた。
教区の人かな?お花を飾ってある所から察せられるようにここは現役の教会。

外に出る。古代の異教の祭壇がおいてあった。

     
 古代の異教の祭壇
 何か書いてあるがよく見えない
 教会の北壁
 ひし形の切り込みが珍しい
手前の窓は 馬蹄形
洗礼堂の壁がなだらか 
そのⅣ に 続く