16時10分 教会をあとにする。
バスでコモに戻り始めたところでNさんが、「ここはアリアーテに近いのではないかしら。前に行ったときに開いてなくて外しか見られなかったからぜひ見たい」とおっしゃった。ガイドさんは「ミラノのほうに行くことになる」とおっしゃりながらも電話をかけて開いていることを確認、急遽アリアーテに行くことになった。
16時55分 アリアーテ
サン・ピエトロ・エ・パウロ教会 11世紀の教会(10〜11世紀との説も)
ここは教区教会で生きた教会だ。花が飾ってありローソクも捧げられている。
外観は正面がのっぺらぼーで タンパンがピカピカの新しそうなモザイクでちょっと写真を撮る気がしなかったが、これは失敗。石の柱の彫刻がよかったのに。
中に入って、スーッと伸びた柱の列が気持よく、ああここに来られて良かった、と思った。後陣に向かって柱の列が連なっている光景は教会に入った、という満足感をあたえてくれる。美しい。天井は木。
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後陣に向かって延びた柱の列が 美しい |
柱の柱頭部分に着目、 様々だ |
この柱の形もかわっている。バラバラなのだ。
ここも祭壇の部分が少し高くなっている そのわきにクリプトに降りる階段がある。
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祭壇が高い、 左の明るいアーチは クリプタの窓 |
左写真の左の説教壇 |
仕切りや柱の彫刻がきれいなのだが、圧倒的に組紐文が多い。一部は10世紀ごろのもの。
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祭壇衝立 組紐装飾が 素晴らしい |
祭壇への階段部分の柱 |
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はっきりしないがこれも組紐文だと思われる |
柱頭彫刻も面白い。ポセイドンのシンボルである、三叉の鉾、イルカいる。このイルカは 魚の王ということで、キリストのシンボルともされており、複数の場合は信徒を表わすそうだ。また三叉の鉾は十字架ともみなされる。『柳宗玄著作集1』
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イルカと三叉の鉾 |
アカンサスの葉の上はパルメット? 間に組紐(ひねり紐文)
ひねり紐文は 水を象徴するものと解されるようだ
『 柳宗玄著作集1』 |
クリプトの柱。白くてきゃしゃ。柱頭のT字形は棕櫚の葉、これは殉教者のシンボル。
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クリプト |
柱頭 棕櫚の葉は殉教者のシンボル |
アプシスのパントクラトールは11世紀。壁の暗くてよく見えない壁画がいったい何か?皆であれこれ話し合う。
私はラザロの復活かな、と思うが横に線がはいっているのは水で、洗礼の場面ではないか、などと素人美術史家たち(失礼!)はあれこれ論ずる。(これがマニアの多いロマネスクツアーの楽しいところ)
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私は ラザロの復活、と思うのだが |
床が一部ガラス張りになっていて古い部分が見えるようになっている。この教会はローマ時代の遺跡の上に建っている。
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柱の土台部分 ローマ時代のものの再利用 |
北壁に 聖母子 |
外に出て洗礼堂へ向かう。
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平面図 上右はクリプタ 下は洗礼堂 |
横に鐘塔。
これは12世紀のもので材料が色々だ。
花崗岩、レンガなどの組み合わせがアトランダムで古典時代とは違う。ちょっとつぎはぎみたいで私には美的とは思えない。
洗礼堂は八角形が多いが、ここはその一辺に後陣のように半円形につきだしている。
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洗礼槽 |
元々あった壁画の上に 後の時代の壁画が 描かれている。
もとのをみせるため一部分剥がしてある
左の赤茶色で 人の顔が描かれているのが古い(時代は 聞き忘れた)もの
頭に何かついているのが 何か分からないが もしかして イエスを太陽神にみたてたのかなあ?
なんて想像してみたりしているがどうなのだろう |
中央に 苔の生えた洗礼槽。周りに壁画
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右上写真の上にある 聖母子 |
上写真の左壁 |
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壁画 中段は何が描かれているかよくわからない。 上はペテロとアンデレの兄弟で もとは漁師だった
窓に注目上の平面図をよく見ると窓が鼓形に真ん中が
狭まって室内外共に開いた形になっている。(内外ともにエブラズマンが施されている) ときどきこういう例を見かける |
外側の写真。教会堂の後陣のロンバルディアアーチがブラインドではなく穴があいている。
教会横に司祭館らしき建物。45分くらい見たあとバスでコモに戻る。
7時20分 ロビー集合 バスで夕食レストランへ
7時30分 小雨 レストラン OROLOGIO で夕食
ベーコンとアスパラガス(茹ですぎ)のクリームパスタ 味はいい
サーモン温野菜添え ソースが美味しい
コーヒーアイス
ワインとマッキアート(コーヒー)をとった。入ってまもなく小学生の少女たちの一団がやってきた。そのうるさいことといったら、こちらの話が殆んど聞こえないほど。イタリアでは明日あたりから夏休みにはいるそうだ。引率の先生たちも多少は注意するが殆んど諦め状態。まあ楽しいと言えば楽しかったけれど。
何しろワインが250ml入りのピッチャーで2.5ユーロ、というお値段からも察せられる通りおよそ高級店ではない。ただイタリアのすごいところはこういう庶民的なお店でもお味はいいことだ。
20時35分頃 ホテルに戻る。 本日の歩数 14719歩
明日は 一度スイスに入り、次にイタリアに入るときは北西部になるので、ここで少しだけ北東部についてのまとめを書いておく。
宿泊地はコモ。コモというとロマネスクを知る人はすぐコモの工人(石工)とロンバルディア帯を思い浮かべる。
コモ大聖堂のところでもふれたので繰り返しになるが、
コモの工人たちについては643年ロンゴバルド王ロタリウスの勅書に置いて言及されているほど歴史は古い。
ロマネスク教会はコモ(コモだけでなく広く北イタリアの湖沼地帯一帯)の石工たちが各地をさすらって造ったのだ、と書かれている本もある。しかし実証的研究が盛んになるにつれ《これは中世の神秘的な世界についてのあこがれが過大評価させたもの》で誤り、とされている、という話をカルチャー講座で聞いた。
コモの石工が自分たちが造ったことの印としてロンバルディア帯をつけたと言うれているが、ロンバルディア帯は構造に関係ないので簡単に真似ることが出来、必ずしもコモの工人だけがつけたのではない、とされているそうだ。
今日まで見た教会は小さな礼拝堂は当然としても大きな教会もどれも
* 袖廊がなかった。(袖廊:普通教会は十字形が多いがその腕木の部分)そのことをを示すためにできるだけ平面図を載せた。
初期キリスト教会ではトランセプトを持たないバシリカ式教会がも多かったが、ロマネスク時代には 規模の大きい教会堂では トランセプトが一般化する。(図説『ロマネスクの教会堂』より、 この本では袖廊と交差部をあわせて トランセプトと言っている)
* 後陣のある教会ではどれもアーチギャラリーで飾られていた。
* 入り口のタンパンに彫刻がない(今日見たアリアーテにはモザイク画があった。後で行くチロル城の礼拝堂にだけタンパン彫刻があった)
* 彫刻の図案として組紐文が多い
サン・タンブロージオ教会やリボルダ・ダッタでは入り口のアーチにも組紐文で飾られていた。フランスやスペインで多くのロマネスク教会を見てきたが、こういうところに組紐が使われている例を見た記憶がない。
以前の写真をみていて、 スペインのジローナの 教会にあったことに気がつきました。
旅路はるか〜北スペインのロマネスクを訪ねて 2日目の サン・ベラ・ダ・ガジガンス教会の入り口
この組紐文であるが、私は組紐というとすぐアイルランドの写本を思い浮かべ、写本を見てこのような飾りをつけることを思いついたのだろうなと思いながら見ていた。しかし、帰って『柳宗玄著作選』を読んでいるうちに、必ずしもそうとは言えないことを知った。
組紐文そのものはアイルランド゙の写本を待つまでもなくシュメールにもあり、ローマの床モザイクにもあった。しかしこの地域で考えられるのはランゴバルド美術のようだ。北イタリアは中世初期にランゴバルド王国(570年〜774年)があったところなのでランゴバルド美術をまず連想すべきであった。
著作選T『西洋の誕生』にも≪、、、このランゴバルドの組紐文美術は、その後ロマネスク美術にも多かれ少なかれその痕跡を残しており、とくに北イタリア(ミラノのサン・タンブロージオ聖堂)、ティロル (スイロス・ティロルの小聖堂、、ここには 9日目に行く)、、、 などにその作例が多い≫ と記されている。
またランゴバルドの組紐文の特徴として三条線の紐をつかっていることと、目を広げてその中に種々の主題を包み込むようになってくることなどがあげられている。
今回撮った写真を見てもたしかに組紐は三条の線でできている。また動物などがよく見るとどれも組紐の網目におさまっているというものもあった。
この組紐文について、柳宗玄著作選1には、ゲルマン族が帯鉤や止め金などに組紐文を施したところから、護符的な意味を持っていたと考えられること、カロリング朝では 聖堂内の聖の聖なる場所でのみ用いられたことなどが書かれている。(私の読みがあさくて間違っているかもしれませんが)
また『図説 ケルトの歴史』河出書房新社 においても、エリアーデの説として
「組紐文様」は単なる飾りではなく、ヨーロッパでは魔除け豊穣祈願の「護符」として用いた地方があり、、、、と書かれているところをみつけて、教会の入り口アーチやまた十字架の中にまで、組紐文が施された意味が分かった気がした。
さらに『ケルトの歴史』では組紐文様の織物が奉納された教会の説明のプレートに、「キリストの復活と永遠の象徴」と記されていることにもふれ「組紐文様」という連続や成長を暗示する文様への愛着が、キリスト教信仰にむすびついた例としている。
奥が深い!
それにしてもこの北イタリアのロマネスク教会は、古代ローマそしてランゴバルドなどの歴史抜きには語れないのだなと思った。まだまだ勉強が必要だ。
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