7日目

そのV


13時 麓のアクアロッサの町で昼食
レストラン RUBINO

牛肉のトンナーロ(ツナソース)、シーフードパスタ
パスタは 最初にもってきた分だけでにおなかがいっぱいなのにまだおかわりいかが?聞きに来た。スイス人は大食漢なのだろうか。 デザートはアイスとイチゴ 
ツナソースがツナ臭さが全くなく、なめらかで美味しかった。

     
     

今日はもう観光はなくひたすらバスで運ばれるだけなので、ワイン(3.5スイスフラン)も飲んでゆっくりくつろぐ。 

1447分出発 
ダヴォスまで、どういうルートをとるのかと思っていたら、高速に乗りサン・ベルナルディーノ峠(トンネルだが)を行くコース。高速なので、どこもああスイスだな、という景色だがとくに絶景というところではない。
  
モエッツァ川を見、山から落ちる滝を見、6.6
kmのサン・ベルナルディーノトンネルを抜けた。

   
   あちこちで滝をみかけた
   
   
   
サン・ベルナルディーノ・トンネルを抜けた  

添乗員さんが、「スイスの適当な音楽がないので、これがあうかと思って」と 北スペインで求められた 現代ケルト音楽MILLADOIRO25』のCDを流して下さった。(たしかに雰囲気に合って良かったので 帰ってからネットで予約、品切れでまだ届いていない。 
ビデオをまわして景色を撮りながら録音もしているので時折聴いている。


168分 ヒンターライン川

1620分 VIAMARAで トイレストップ。

 
 ・ヴィアマラ で 休憩
 
 ヴィアマラ
スの中での説明
スイスには西部にケルトのヘルヴェティア族がいた(東部には 非ケルトのラエティ人)がローマに征服された。 
ローマ時代はヘルヴェティアと呼ばれた。北のアヴァンシュが中心地
であった。
その後 ゲルマン人の一派であるアラマンニ人がやってくる。
4世紀には キリスト教化、ゲルマン人のブルグント族がやってくる。
ローマは撤退してランゴバルド人もやってくる。 
このようにして スイスは
アラマン人、ラエティ人、ブルグント人、ランゴバルド人が住むようになり言語もドイツ語、ロマンシュ語、フランス語、イタリア語と四つの言語をもつ国になった。

そのうち右手に川か湖か? きれいな景色になった。 ダヴォス湖だそうだ。 
1810分 アラベラ・シェラトンゼーホフ ホテル着
   
 ダヴォス湖  泊まったお部屋

白く明るい感じのホテルでお部屋が広く、コンセント数も多い。翌日の現地ガイドが、国際会議のさいアラファトさんが泊まったとはなしていたが、いいホテルだ。
19時 夕食
ビュンドナー・ゲルシュテン・ズッペ、 チキン・カレーソース ズッキーニ添え、 アイス(写真撮り忘れ)

ワインは前にスイスに来た時よく飲んだファンダンを頼んでみる(200mlの小瓶、9スイスフラン)
コーヒーはマッキアート
(5スイスフラン) ファンダン 飲みやすいがちょっと軽い。
     
 ビュントナー・ゲルシュテン・ズッペ
(具沢山のスープで 
オオムギが 入っているのが特徴)
   ワインは ファンダン
     
   カフェ・マッキアート  左の瓶のロゴ
食後そのままホテルの外に出てみた。川でもみようかと歩き始めると、 KさんとFさんがキルヒナー美術館へいらっしゃるそうなので、一緒に歩かせていただくことにした。 
時間的に入場出来ないことは分かっていたが有名な現代建築なので外観だけでもみておきたい。急ぎ足で
25分くらい。途中国際会議用の横を通った。美術館のお向かいにはシュタイゲンベルガーという高級ホテル。ホテルの横をあがっていくとトーマス・マンが住んでいた家があるらしいが そこまでは行かなかった。
   
 ホテルの前 噴水が上がっている  シュタイゲンベルガーホテル
 
ダヴォスはトーマス・マンの『魔の山』の舞台。前にスイスに来た時、この町に来たかったが果たせなかったので、今回宿泊地がダヴォスなのは嬉しい。当時の療養所はホテルになったのかホテルが多い。
美術館の写真を撮る。周りを一回りして暗くなりかけたので私は一足先にホテルに戻った
(2145)
   
 美術館がみえてきた  キルヒナー美術館
   
 面白い屋根の建物は アイススタジアム  美術館裏側
   
 途中の教会  お店は閉まっているが 綺麗にディスプレイされている
  
ホテルまであと10分 (ホテルへ戻る道の途中右手、この先にランドヴァッサー川があるはずだが 行かなかった)  

ダヴォスは 標高
1560m
 袖なしワンピースにレースのカーディガンでは寒いかと心配したが速足で歩くには丁度良かった。
22 50分ごろ寝る