10日目

6月12日

メラーノ~ホッホ・エッパン城
~カステラッツ~クアルト・ダルティーノ


515分 起床 今日で観光は最後になる。

715分~30分 朝食  パン、チーズ 紅茶、ジュース

8時 荷物だし

845分 出発

915分頃 右手にアッピアーノ城(ホッホ・エッパン城)ここはまだリンゴ畑、少し行くとブドウ畑 

 
ホッホ・エッパン城  左に礼拝堂の鐘塔,
右に橋 その向こうの山の上からおりていくことになる

この道はワイン街道と呼ばれるそうだ。
バスでかなり上まで登り925分頃から歩きはじめる。最初はブドウ畑の横を通り、野のキリスト像を見ながら気持ちよくお散歩。

   
   
 
 
10時ごろから山を下りはじめる。岩と石ころだらけの急坂。そこに樫の葉がふりつもっているので滑らないよう気を付けながらそろそろおりる。石ころだらけなので注意しないと足首をひねりそう。
下りなので息は切れないが、かなり大変な行程だ。ヴューポイントからお城を見てどんどんくだる。
 
 ホッホ・エッパン城 右端の三角屋根が礼拝堂

1025分ごろお城に入る。

   
 橋を渡って  門をくぐって振り返る
まず壊れた城壁に囲まれた広場
   
 門をくぐったところ  礼拝堂の前の広場(下写真の前方)

ここの礼拝堂のフレスコ画を観るのが目的。外壁にも絵が描かれている。
ホッホ・エッパン城礼拝堂 (サンタ・マリア・マッダレーナ礼拝堂) 1131年建造 標高628m
(このあたりのロマネスク教会の案内図では聖カテリーナ礼拝堂になっている。 どちらが正しいのか、ご存じの方教えて下されば嬉しいです)

 
 お城の廃墟に小さな礼拝堂が残っている
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内部は写真禁止だったので、外壁の絵が撮れることは貴重。色は褪めているが、私には内部を描いたのと同じ画家の手と見えた。

左の人は馬に乗りラッパを吹いている。鹿も左手に描かれて狩りの図のようだ。 
中央には磔刑(上に太陽と月)右にはここにも聖クリストフォロ(磔刑が描かれて
60年後のもの)

 
 鹿狩り

剥げかけてみえにくいところもあるがそれだけに色調がやさしくて内部の絵より優美に感じた。

 
 磔刑、ローマ兵が槍で突き、スポンジを差し出している。 
上に太陽(左) と月、これは 新約と旧約の象徴
普通磔刑図では 向かって左に聖母マリア、右にヨハネが描かれることが多い
(この表現形式はヨハネによる福音書の記述をもとにカロリング朝において確立)
左がマリア様だと思うが手に何かもっているようにも見える、香油壺ならマグダラのマリアだけれど
 この礼拝堂の名前が聖マグダレーナ礼拝堂だとすると 、、?


この左側の女性が誰かについて、2015年のこのツアーに参加されたFさんによりますと、どうやら光の加減らしくて、現地では何か持っているようには見えなかったそうです。 
そうして誰かを質問してくださったのですが「青いスカートをはいているから 聖母マリアです」 というお答えだったそうです。(私の考え過ぎだったようです)(2015年7月追記)
     
 手に何か持っている?    横に小さな売店(奥が食堂になっている)

お城の塔は5角形。当時の領主ウリコ三世がキプロスに行って見た五角形の塔とビザンチン風の絵のインスピレーションを得てつくらせたのだそうだ。

中は残念ながら撮影禁止。あとで買った本にも殆んどでていないし絵葉書も数枚しか売っていなかった。その絵葉書を少し小さくして載せておく。 
中に入る。狭くてうす暗い。(トリノから行ったノヴァレーザよりは広いかな。あのときほどの狭苦しさは感じなかった。あのあとずっと小さな教会をみてきたせいかもしれないが)
17世紀には内部を白く塗って倉庫に使われていたそうだ。剝落したところや色が薄いところもある。

   
愚かな乙女  御生誕 右下に着目 お鍋にお団子
カーネデルリをつまみ食い
   
 お告げ  賢い乙女 愚かな乙女に比べると 断然質素
 左のマリア様のとは違いがあるがニンブスをつけている

入って左奥が祭室に相当するところのようだ。窓が腰高で出窓のようになっていてその壁の厚みが 斜めになっている部分(エブラズマン)とその上の半円ドームになっている。このような 窓祭室ともいうべきものが三つ並んでいる。
このあたりと入って正面のところは白塗りされなかったためオリジナルのままで鮮やか。
ラピスラズリが使われていて青がきれいだった。あまりお金がなかったので量が少なくて少し薄いのだ、と現地ガイドは言っていた)

右手の壁にはお告げとご訪問。 
お告げを聞くマリア様は糸巻きを持っている。これは東方の影響。東方では女の人の仕事は糸紡ぎ。ルネサンス絵画のお告げの場面では、マリアは読書をしていることがよくある。時代時代の理想的な女性(嫁入り前の娘)のありようを描いているらしい。
大天使ガブリエルがのっているのは山。 
面白いのは 御生誕のところ(マリアがこのようによこたわっているのは ビザンチン風)
普通産湯を使わせる女がいる位置でこの絵の女性は何かを口に入れている。昨日我々も食べたカーネデルリだ!!もうひとりウインナを口にいれている子の絵もあった。お城のチャペルであるが、庶民の日常生活も描き込んでいて楽しい。  

愚かな乙女の図像
http://it.wikipedia.org/wiki/File:Castel_appiano,_le_vergini_folli,_affreschi_fine_XII_inizio
_XIII_secolo.jpg

描き手は三人いた。
マギ(東方の三博士)は三人とも白人(昨日の教会もそうだった、一人が黒人として描かれるのは もう少し後の時代)マギの馬乗り正面図は珍しい。
エジプト逃避の図は通常マリアがイエスを抱いているが、ここではヨセフが肩の上にのせていて、イエスの手は祝福のポーズではなく、ヨセフの頭につかまっている。
神殿奉献で、ヨセフは鳩を奉納しようとしているが、貧乏な人は鳩を奉納したそうだ。
(このように説明されたが、いくら書き連ねても写真がないとどうしようもない。記憶は薄れるばかり)
この礼拝堂の絵はこのあたりでは、マリエンベルグ大修道院についで美しい壁画だという。行けないのが本当に残念。 
そういう話を現地ガイドにきいたが、彼女は最後に「皆とても熱心に聴いてくれて嬉しい」といっていた。写真が撮れないだけ皆一生懸命見て、メモよくとっていたのだから、そう思うのも当然だ。
12時ごろ礼拝堂を出て、すぐ横のショップ(奥で食事できるようになっている)で絵葉書(種類が少ない)を買ってお城をあとにする。10分ほどでお城の入り口に到着。本来ならここを上る予定だった。下りの道は悪いったが、ここを上るよりはよかった、と胸をなでおろす。 
   
 お城を出たあたり  10分ほど下ったところ、
ここからあの山まで登るのは大変
   
 上左写真の拡大 中央が 礼拝堂 ここがお城の門らしい
またどんどん下る。途中に蔦の絡んだ面白い建物があった。
   
 葡萄畑のあいだの道  何かと思ったらシュロスホテル
 この左に入り口があった
そのⅡに続く