4日目

 そのU

ニダ〜 カウナス


少し右に折れて古い墓地に行く。

 
 
 
 

木の十字架や変形十字架がたっている。お墓にスズランが植えられている所もあった。

 
 鈴蘭におおわれたお墓、ロマンチック。

女性のお墓には ハートやお花、男性のお墓には馬が彫られているものがある。(はっきりいって面白さはルーマニアのサンプンツァの方が断然上) 

 
ここには 人が 眠っているのではなく 見本
   
   ブローデ夫人のお墓 
ヘルマン・ブローデ氏は ホテル経営者
 彼のホテルに画家や作家など多くの芸術家が集まった

海辺より少し中の道を行く。途中に面白い彫刻が立っている家があった。いそいで写真だけ撮った。たぶん異教時代の神々。さらに進んで村の中心部へ。

 
 

歩いたのでかなり暑くなってきた。中央広場といった場所で「ここで待っていてもいいが希望者はもう一回りしましょう」と港のほうまで行く.
すぐのところに小さい家がある。
19世紀末の漁師の家で今は漁業博物館。中には入らなかった。クリアナという平底舟(クルシュ海は浅い)クルシュ海は冬,凍るので氷上を行くそりなどが たてかけてあった。

 
 
 
 

すぐそばには 面白い彫刻が置かれている家があった。北欧民話のトロルみたい。

 
 

海辺には 世界遺産のマーク。 ヘンルーダが植えられている家もあったが、花は咲いてなかった ヘンルーダはリトアニアの国花。 

 
 世界遺産マーク 遠くに見える砂丘にこれから行く 
右のほうに 針のように一本建っているのが(多分)日時計
   
 マロニエの大樹  カトリック教会

交通規制があって観光バスはかなり遠くにしか止められない.
結構歩いた。 途中では 大きなマロニエの木や モダンなカトリック教会を見た。 
バスに
10分くらい乗って砂丘のそばの駐車場へ。 それから 坂道、少し砂でザクザクしたところを歩く。
砂丘にはおりてはいけないそうだ。(生態系を壊す恐れがあるから)

 
バスをおりて坂道をのぼっていくと
 トーマス・マンが 北のサハラ とよんだことが頷けるような光景がひろがっていた
 
 砂丘が動く、ということも納得。 右上に見える海は バルト海
 
 あの半島のようなところは 多分ロシア この海はクルシュ海(内海)

この砂丘はヨーロッパで一番高く(高いところで60m)かつよく動くのだそうだ。ニダのもともとの村も2キロメートルくらい南西にあったが砂にうずまってしまったという。動きをを植林でおさえている。
たぶん遠くにロシア

それから少し歩いて 日時計のある展望台に行った。建てられたのは 1995年。

   
 日時計  12時半だったが 大体あっているといえる

オベリスクの石はソ連のカレリア地方の花崗岩、しかし壊れて上の方は中国製の軽いものになっている。 壊れた部分が下に置かれている。

   
壊れた残骸  遠くに灯台

それからまたバスに乗りニダの町に戻ってニダスホテルのレストランで昼食(13時から14時)

   
   
   
   

バスでスミルティネへ 
1455分の フェリーで クライペダにわたる
1520分クライペダ出発

現地ガイドに聞いた話。リトアニアの人の平均給料は 月 ユーロにして500.先生は700ユーロ、600ユーロあればいい暮らし。(これは もしかしたら ラトヴィアと混同しているところがあるかもしれません、ラトヴィアでも同じような話を聞いた覚えがあるので。でもメモはこの日のページにあったのです。 状況は似ているのだろうとは思います)でもお金がなくても森に行けば キノコやベリー類があるから困らないそうだ。(こういうことを書くのは失礼かもしれないが、みんなふつうにきれいな恰好をしていてお金がなさそうには見えない)女性は産休が1年間あり給料は60パーセント支給される。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/lithuania/data.html#01

外務省の各国地域情勢のページから 情報を得られる

リトアニアは輸出入ともにロシア依存度が高いがこれを対EUに方向転換しようとしているそうだ。しかしリトアニア人口に対するロシア人の割合は 三国のなかで一番少なく49パーセント(リトアニア人は84パーセント(他はポーランド人、ベラルーシ人 ユダヤ人、カラメイ人など)ついでにこれは 三国どこでも聞いたことだが 91年の自由化の後やっと軌道にのったところでリーマンショックが起こり、経済が非常に落ち込んだが、今年に入ってやっと回復の兆しがみえてきたそうだ。小さい国だけに影響が大きかったそうだ。
また三国とも2004年にEUに加盟した。道路工事中のところでEUの援助でやっている、と説明された所があちこちであった。
英仏などを旅行していると 黒人やスカーフをかぶった人が多くなっているのに気がつくのだが バルト三国では白人一色でスカーフ姿もない。これは仕事を求めてやってくる人がいない、ということをあらわしているのだという。人口も減っているが出生率の低下だけでなく仕事を求めて出ていく人が多いことを示しているのだそうだ。のどかで気持ちがいい、と思っていたのに何だか複雑な気持ちになった。 

途中湖があった。
リトアニアはラトヴィア、エストニアと違い国土の一部をのぞいてドイツ騎士団に支配されなかった。 
理由は ミンダウガス王が国を統一して団結して敵にあたることができた,
ということのほかに 深い森におおわれていて騎士団が奥地に入り込めなかったということがあげられる。
 しかし深い森の中をバス道だけが通っている、というのではなく森もあるが高速道路の周囲は結構草地であった。木はずいぶん伐り倒されてしまったのだろう。何しろ800年も前の話だから。

 
 
 
 
 
 

17時トイレストップ1720分 出発

又気がついたのは(行きも同様 これからも、地方を走っているときは同様)たまに見かける集落に教会の尖塔や鐘塔が見えない、ということ。特に三国の中では唯一 リトアニアはカソリック国 であるにもかかわらず。 田舎なら余計信心深い人も多かろうと思うのだが。バスには現地ガイドが乗っていないので聞くことが出来なかった。考えられるのは 教会そのものが小さくふつうの民家に小さな十字架をつけた程度で 遠くからは見えないのか、それとも社会主義時代に壊されたか、ほかに理由があるのだろうか。牧場には相変わらず牛が一頭程度で人の姿を見かけない。 
ネムナス川の支流と思しき大小の川を みかけた。 

 
 

1630分ごろ カウナス到着
カウナスの町に入って撮ったのはビデオカメラで 不手際から全部写真を消してしまった。町の建物が まだ化粧直しされていなくて、壁の落ちた状態で暗い感じがしたがその写真を載せることができないし、 永遠の火 というのも 翌日そこまで行かなかったので消してしまったのは 痛恨。

パーク・イン・カウナスホテル 
カードキーをもらってお部屋に入ろうとするとキーが効かない。 私だけではなさそう。結局 全員のお部屋がダメで フロントでカードを直してもらった。 磁気をおびたものがそばにあったから、といういいわけだったが、セットミスらしい。
夕食はホテルで 1930分からキー不調のためお詫びとしてドリンクは何でも一杯無料になった。
私はグラスの赤。ビールの大を注文された方が多かった。
メニューについてのメモは昼夜ともにありません。でも 今回の旅行を通じてお食事はどこも美味しかった。