5日目


  そのU

カウナス〜ビリニュス (ビリニュス)


昼食後 バスでヴィリニュスに向かう。

   
 原発かと思ったら火力発電所らしい  川をいくつかみた

1520分頃到着 
まず大聖堂広場へ。ゲディミナス像がそびえたっている。
ゲディミナス大公(在位13161341年) 
前に述べたように、ミンダウガスは1251年にカトリックに改宗し、1253年にリトアニア王に即位したがその死後混乱が続いていた。
そこに登場したのがこのゲディミナス。
ゲディミナスの時代リトアニアは版図を広げウクライナやベラルーシも支配下におさめた。
この東征を成功させるためゲディミナスはそれまで続いていたポーランドとの戦いをやめ和を図るためカトリックに改宗し(ミンダウガスの死後またもとの民間信仰に戻っていた)娘をポーランド皇太子と結婚させて西からの脅威をおさえていた。
外への拡張だけでなく 西欧から職人や商人を招き、またユダヤ人をも招き商工業の発展にも尽くしたそうだ。   

   
 ゲディミナス大公像  大聖堂南側と鐘塔(もとは 見張り塔)

大聖堂(アルキカテドゥラ)
もともとこの場所は雷神ペルクーナスを祀る神殿があった。そこに13世紀最初に教会をたてたのはミンダウガス、しかし王は暗殺され、また自然崇拝の聖地にもどっていた。その後ヨガイラ公(ゲディミナスの孫、ヴィタウタスの従兄)はカトリックに改宗して1386年ポーランド王女ヤドヴィガと結婚、リトアニアはポーランドと同君連合となった。そうして再びリトアニアはキリスト教化され大聖堂も再建された。その後も改修を重ね何とも奇妙な(私から見れば)ギリシャ神殿のようなファッサードになっている。(18世紀の改装による)

 
大聖堂正面
 
身廊と 中央祭壇
 
 パイプオルガン

見どころは 聖カジミナス礼拝堂ということになっている。(ゴテゴテのバロックで私の好みではないけれど)カジミナス(カジミェシュともいう 1458年〜1484年)はポーランド・リトアニア王の次男で兄がボヘミア王となったため、ポーランド王位を継ぐことになっており、父の留守中によく国を治めたが早世した。
徳が高く奇跡をおこしたので聖人に列せられ、リトアニアの守護聖人となっている。この礼拝堂は17世紀に造られたもの。

 
 
 
 
 1520年に描かれた聖カジミエルの 肖像画((18世紀に造られた銀製の枠に飾られている)には手が三本ある。 画家が何度消しても 手が 現われるので そのままにしてあるのだそうだ。
 


大聖堂の地下に 私好みの最古のフレスコ画が残っている、というので行こうと思っていたが失念してフリータイムに行きそびれたのが残念。
大聖堂の横にはこれまたおかしな鐘楼。(灯台みたい)今は とりはらわれてないがここには城壁があり、その見張り塔の一つを再利用したもの。下部は13世紀の見張り塔

少しだけバスに乗って ゲディミナス城へ 

1323年頃ゲディミナスは 首都をトラカイからヴィリニュスに移して、まず上の城を建てた。
城は上と下とがありケーブルカーで上の城に行った。

     
 この二枚は ひとつながり 歩きの道と 中写真はケーブルカー  ゲディミナス塔  意味不明の石像

ゲディミナス塔(見張り塔)の中は ちょっとした博物館になっていて 昔の町の模型が置かれていた。 

 
 14世紀の ヴィリニュス 上の城 手前に大聖堂
 下の城が 作り始められたのは 14世紀後半で 大聖堂と屋根付き柱廊でつながっている
 
 これは もっと時代が降るが 年代のメモなし
塔からの眺め 緑豊かな町である。
 
 中央の前面に茶色の塔があるのが聖アンナ教会 その左奥がベルナルディン教会 聖アンナ教会の少し右が 聖ミカエル教会 後ろが多分聖母マリアのロシア正教会、 
 
 上写真の少し右
 木の向こうに 伸びているのがピリス通りというメインストリート途中右の塔は 聖ヨハネ教会、周辺はヴィリニュス大学
 その塔の左奥の ギリシャ神殿風な建物が 市庁舎(あとで書くが 市庁舎の前に細長く斜めにたっているのは クレーン)
 その少し左が (ドームが黒っぽく 建物はピンク)は 聖カジミエル教会
 左 上にもあった 聖母ロシア教会の奥に階段が 付いた赤い屋根の小さな建物は円形城塞
 
塔の真下、 建物は 博物館 ネリ須川の向こう、 左にみえているのは たしか 旧ソ連時代の 体育館だったと思う、 ホテルは その右奥の 黄色っぽい建物のあたり

バスで郊外の 聖ペテロ・パウロ教会に行ったところ、今日は何かの記念日でミサのため入れなかったので明日にすることにしてまた旧市街へ。

 
 聖ペテロ・パウロ教会

 
今度はゲディミナス城とは反対側夜明けの門から入った。

夜明けの門
外側上部には リトアニアの ヴィーティス(白い騎士)という紋章を掲げるグリフィン
内側に入って見上げると上部は礼拝堂になっていて 聖母マリアのイコン(1363年アルギルダス公がクリミアに遠征した時持ち帰ったと伝えられている)が燦然と輝いていた。(ヨハネ・パウロ二世もここで 祈られたという)
   
 夜明けの門 外側  上部の礼拝堂 こちら向き 神父様のようだ
   
 夜明けの門内側  夜明けの門通りを 少し行くと右手にゴシックの他tもの 

夜明けの門通りをゆっくり両側の建物を見ながら市庁舎前広場へ向かう。兎も角 教会が次々現われて覚えきれない。 
聖テレサ教会、 聖三位一体教会、バロックの装飾過多の教会の間には古いゴシックの建物も。
途中に国立交響楽団の建物があった。その近くでかわいい少女が笛を吹いていた。

 
 聖三位一体教会の門(中には 入らなかった
 1761年に建てられた ヴィリニュス・ロココの 代表作
 教会はカソリックやロシア正教の時代を経て現在は合同教会(ウクライナ・カトリック)
 
 交響楽団ホール
   
 王冠のある塔は 聖カジミナス教会  

市庁舎前広場では シャンパン会社の販売キャンペーンなのか、クレーンで釣り上げたバーを見た。3000円くらいと説明されたと思うが何時間いてもいいそうだ。(お手洗いにいきたくなったらおろしてもらえるとか)これに気をとられて市庁舎の写真は撮り忘れ。 

   
   

 
 市庁舎前広場

その後バスに乗ってネリス河畔の 桜公園 へ
ここには 杉原千畝顕彰碑 がある。氏の母校早稲田大学が建てたもの。横には 原爆の落とされた広島の電車の敷石に観音像が彫られたものも置かれていた。桜はまださほど大きくはないが ガイドさんによると今年もきれいに咲いたそうだ。

   
   
   
   


顕彰碑の左奥に女性像。これは旧ソ連時代のもので燕の連なりが鎌のように見える、が新しい労働者の春が来た、という意味の像でダイレクトに共産主義をあらわしているわけではないので壊さず残してあるのだそうだ。
(実はこの女性像には 鎌のように見える燕の連なりを持っている右手の部分が欠けている。何気なく向こうの森を撮ったものからの切り抜きだからなのです。全体像はビデオカメラで撮っていたが誤って消してしまいました。今回はそのミスのため肝心の写真がない、というところが多いのです) 

これで今日の観光は終わり。
18
10分ごろ ホテルに。 サルナスホテル

事前にいろいろ調べられた方が、ここのホテルが今回の旅行で一番よくないホテルだ、などとおっしゃっていたが、私の部屋は当たり。
スイートだった。階だけ選ぶことができたので面倒と、私は一階をとったのだが、考えてみると無用心。

   
   
   
   

1930分 バスでレストランへMarceliukes Kletis という、外観はふつうの家だが中は古道具の展示場みたいなレストラン。

   
   
   
   

 
リトアニア料理 
ビーツの冷製スープ 

   
   

じゃがいも料理 ジャガイモのパンケーキ、じゃがいもソーセージ ツェッペリナイ(お肉をジャガイモマッシュでくるんでツェッペリンの形にしたもの) 

   
 中央  ソーセージの皮にジャガイモをつめてある  ツェッペリナイを切ったところ

飲み物は自家製ビールがあるというので、それにした〈3リタス〉なんだかすっぱくて美味しくなかった。ふつうのビールをあらためて頼んだ方もいらしたが、それほど飲みたいとは思わなかったので、私は頼まなかった。途中からアコーディオンとヴァイオリンの奏者がやってきて、弾いたり歌ったり、そのうち木のおもちゃみたいな楽器を配って、〈カスタネットではないがそんな風に〉振りながらおどる真似みたいなことをした。

   
 デザート
 
 みんなで楽しく  窓辺の飾り カエルの王子様?
   
   木製楽器

ただ、私はなんだかおなかの調子が悪くなってきた(私はおなかが弱い方)。私はあの冷たいスープのせいかな、と思ったが、家に帰って主人にその話をするとビールでなることもある、という。(翌日朝には だいぶんよくなり、 お昼はふつうに頂けた)

バスでホテルに戻る。