パルヌはエストニアの夏の首都とよばれるほどの賑やかなサマーリゾートらしいが、シーズンの始まる直前のせいか観光客は他にみかけなかった。
タリン門、 雲の下から神の手がのびて十字架をつかんでいる図柄の市の紋章が門の上部にある。
町は五稜郭のように要塞化されていたが その一つの角だけが門の横に残っている。
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ガイドさんが持っていた昔の町の地図 要塞化されていたことが分かる |
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門の外にあった 町の模型 |
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門のすぐ横の家、スーベニアショップかと思ったけれど ティ ールームかな? |
エリザベート教会 (1744〜1747年)ルーテル派
中にはいったが、プロテスタントらしくすっきりしている。1928年に据え付けられたというパイプオルガンもモダンだ。
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エカテリーナ教会内部 |
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エリザベート教会 |
エカテリーナ教会 |
エカテリーナ教会(1764〜1768年)ロシア正教(1710年にはエストニア、リヴォニアはロシア領になっている)
写真禁止.。しかし何故か一枚、(多分入口から撮ったのだと思う)
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左の少しだけ見えているのが市庁舎 インフォーメーションもここにある その入口 |
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レッドタワー |
13世紀の城壁の名残であるレッドタワー、戦争で何度も破壊されたので塔といった高さのものではなかった。
最後に行ったのは パルヌホテルの前。1918年2月 エストニア独立宣言がされた劇場跡に建つホテル。どうやら前にある門みたいなのが記念碑らしい。
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パルヌは 1251年頃 エーゼル・ヴィーク司教によって町の基礎が築かれたので、750という数字は 町ができて750周年という意味だろうと思われる。 |
15時30分 バスでフェリー乗り場へとひた走る。
16時過ぎ 殆ど前が見えないくらいの豪雨になり、雹も降っているのか バスに小石があたるような音がしたが、スピードを緩めることなく走り続けた。15分くらいで雨は小降りに。
16時40分ヴィルトゥ港に着く。17時発のフェリーに乗る。待っている間少しバスを降りてみたが風が強い。フェリーに乗る時はバスに乗ったままだが、フェリーに入ったらバスから出て船室に入る。
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船の中から |
30分くらいの船旅だが船は十分に広くきれいだ。売店などもある。到着直前にまたバスに乗り込む。
同じように草原(牧草地)と森。最初に着いたのはムフ島 それから土手道にできた道路(橋)を通って サーレマー島へ
サーレマー島はドイツ名エーゼル島。(旅行に持って行った小説でもエーゼル島と書かれていた)
バルト海は デンマークの半島や島々に阻まれて 大きな内海のようになっている。 流れ込む大河はいくつかあるのに 寒い地域なので蒸発量少ないため塩分濃度がとても低い、 つまり汽水なのである。そのため葦がよく生えている。
私はこれまで葦が広い地域にはえているのを見たことがなかった。『エストニア紀行』梨木香歩著 の表紙が この葦原の写真だったので とくに見たいと思っていた風景なのだ。
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ムフ島とサーレマー島をむすぶ土手道 |
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葦原の写真をもう一枚 |
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