サーレマー島も緑がゆたかである。ここでは牛などがたくさんいた。ちょうど18時3分ごろ ヴァリャラ教会への標識が見えた。1230年ごろに建てられた島で最も古い教会でロマネスクのテイストを残しているらしい。時間があれば行きたいとチェックしておいたところだ。
サーレマー島がリヴォニア騎士団によってキリスト教化されたのは1227年。5000年前にはこの島に人は住んでいた。北欧の海を荒らす海賊行為で知られていたらしい。
1206年には デンマーク人がやってきたが追い散らされている。騎士団がやってきてからは 1559年まで ドイツ人に支配された。
1559年に騎士団は島を デンマーク王に売ったが、デンマークがスェーデンに負けたため1645年スェーデンのものとなった。
1710年には ロシア領
1917年 ドイツ軍に占領 (ロシア人がいなくなった)
1918年 ドイツ撤退 エストニア独立
第二次世界大戦 ドイツが 三年間支配
戦後 ソ連邦に組み込まれる
ラトヴィア、エストニアのどことも同じ 次々と他民族の支配を受けた歴史である。
クレッサーレ
ホテルに着いたのは街中を少しぐるぐるまわったので、18時24分 アーレンスブルグホテル到着
私のお部屋は二階だが屋根が一部な斜めになっているので頭をぶつけた。
お部屋はシンプルだがとてもきれいでタオル地のスリッパもおかれていた。
気がつかなかったがバスローブもあったそうだ。コンセントも四つあった。
クレッサーレは 第一次大戦後のエストニア独立のさいエストニアに組み込まれて呼ばれるようになった名前で それまでは(ドイツ名)アーレンスブルグと呼ばれていた。
夕食は 19時30分だといわれたが、荷物の到着を待ってタクシーをよんでもらう。添乗員さんには少し夕食に遅れることをことわってから、教会を見に行く。
18時50分ホテル出発
助手席に座る。上手ではないない英語で何かはなしている。よく聞くと お嬢さんが東京の大学で勉強した、とか しているとか。そのうち携帯で話し始める。電話の向こうで若い女性のはしゃぐ声が聞こえたとおもったら、「話せ」とでもいうようにケータイを渡される。日本語が飛び込んできた。何を話せばいいのか。聞くと 学習院大学で日本文学を学んで今はタリンの大学に通っているそうで、毎週火曜日は家に帰ってきているそうだ。しばらくはなしてケータイをお返しする。また2年くらいしたら日本に行きたいらしい。そうこうしているうちに 目的の カルマ(kaarma kirik) 教会に着いた。
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カルマ教会 |
http://www.eelk.ee/kaarma/
http://kirikud.muinas.ee/?page=3&subpage=86&id=378
正面の写真をとりわすれたので 教会HPからお借りした。(右写真)
事前調査で開いていないのはわかっていたが、外観だけでもと思ってきてみたのだ。
ゆっくり一回りしながら写真を撮る。
運転手さんはそばの家に声をかけているが返事はない。
ところが、ぐるっとまわって正面にくると扉は半分ひらいていてもう半分は
縦格子で入れないが中はのぞけるようになっている
なんという親切!! 歓喜の声をあげそうになった。
カメラをさしいれて写真を撮る。
辺鄙な場所の教会にしては大きく身廊も長めな.
そのためよくはみえなかったが帰ってパソコンで写真を見るとなんと彫刻もうつっていた。
今回の旅行は双眼鏡をもってきていたのだが、この日はバッグに入れていなかった。残念。
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カルマ教会 右が 西(入口) 祭室のある左側壁の窓はロマネスク。
全体はゴシックだが ロマネスクの要素も持っていると言えると思う |
外壁に面白い彫刻がある。 墓石などを 後から嵌め込んだようだ。
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西正面入り口すぐ上 |
上写真の塔の中ほど |
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入口の柱(一応、柱頭?) |
横から |
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北側入り口(三葉形アーチになっている) |
入口の柱簡単な葉模様が彫られている |
敷地は一面の草原で あちこち苔むした十字架が頭をだしている。
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これは 十字架ではなく 柱のようだ。
昔は どのような構造だったのだろう |
格子の隙間からカメラを差し入れてなんとか撮った写真
運転手さんの話では 教会が建つ以前にもともとここには神殿があった、とか。 塔は教会より200年あとだそうだ。傍らの簡単な小屋のようなところに壊れた墓標がおかれているのを教えてくださったりした。
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牧師館のように思える |
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苔むした石垣がいい。 でも ここは 蚊が多かった。 |
大満足。もっと早い時間にホテルについていたら ヴァリャラ教会にも行くのだが 夕食抜きもどうか、と引き上げることにする。 運転手さんは 墓地や古い農家をちょっとまわってくださったが、おりてまでは写真を撮らなかった。
運転手さんの家系は300年前からこの島に住んでいるそうだ。 http://www.saaremaa.ee/index.php?option=com_content&view=article&id=407&Itemid=238
19時50分ホテル帰着 1時間のプチ観光 タクシー代は 40+5(チップ)ユーロ
すぐ入口脇のレストランに滑り込む。
夕食は時間通り始まったらしいが、まだ前菜だったので、ふつうにちゃんと頂けた。同じテーブルの方に 運転手さんのことをお話したりしていたので、あまり味はおぼえていないが。
私の部屋の前はロシア教会。いい一日だった。
サーレマー島の教会についての案内 http://kirikud.muinas.ee/index.php?page=3
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