昼食後はフリータイム、希望者は添乗員さんと観光を続けるが私は一人歩きを選んだ。近くの聖霊教会も見たいが、兎も角今日はお祭りの日なので、ニコラス教会の開いている時間が気になる。そちらに先に行くことにした。
ニグリステ(ニコラス)通りには露店がいっぱい出ていた。買いたい!!でも教会が先。
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ニグリステ通り |
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バッグ、テーブルクロス、ポットカバー 気になる布製品がいっぱい |
聖ニコラス教会(Niguliste Kirik)
⒓世紀半ばにドイツ商人によって建てられたはじめ その後同じ世紀のおわりごろから次々と拡張されていった。建てられたころはまだ市壁が出来ていなかったので、要塞的な機能も持っていた。1944年ソ連の空爆により破壊されて再建されたが、現在は教会としての機能はなく 博物館になっている。主にこの教会が所蔵していたものだが 他の教会からもってきたものもあるという。一番みたいのは「死の舞踏」だ。教会前広場の案内板にも この絵が示されている。
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ニコラス教会前ヒロばの案内板 |
教会入口 |
(もう記憶があいまいになっているのだが) 確か地下におりてチケットを買い(3.⒌ユーロ)トンネルのようなところから上がって行った。壁には平面図。
ガイドブックにはカメラ禁止とあったが、見回しても教会に禁止マークはない。まず入ったところで正面の祭壇画をパチリ、見ると教会関係者らしい二人が話こんでいる。それでちょっと隠し撮りみたいにして撮ったので写真があまりきれいではない。
聖ニコラウス伝説を描いた祭壇画(1478~1481)ヘルマン・ローデ作
聖ニコラウス は 4世紀、トルコのミラに生まれた人物で、これまでも多くの教会でその姿(壁画)を目にしてきたが、船乗り、商人の守護聖人。
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買ってきた解説書の表紙が 上の祭壇画の一部でした |
この祭壇画は両側を負って閉じられるようになっていて、 閉じたとき見える部分にも絵が描かれている。
マリア様など いかにも北方絵画らしいメムリンクの絵を見るようでようで、静かな宗教的雰囲気
(ヘルマン・ローデは リューベックの画家)
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閉じたとき向かって左になる面にはアレクサンドリアの聖カトリーヌ
(下に車輪がある)
聖母子
聖バルバラ(塔を持っている) |
聖ヴィクター、 聖ニコラス 聖ゲオルギウス(龍退治をしている)
聖ヴィクターという人物を 私は知らない。
思いつくのは、
プロヴァンスのサン・ヴィクトワール山(セザンヌが描いた)
それと、行きたい教会として
マルセイユの サン・ヴィクトワール修道院
(初期キリスト教の遺構)を思いつくくらい。
買ってきた解説書によると、
マルセイユのヴィクターは クリスチャン・ソリジャーで
お墓のあるマルセイユは一大巡礼地とある.
それと、もう一人クサンティンのヴィクターという人もいて
、この二人が混同されているらしい。 |
入場者は数人、でもその人たちも写真は撮っていた。
お目当ての「死の舞踏」15世紀末 ベルント・ノトケ作 は1370年後頃増築された入口右の聖マシュー(聖アンデレ)チャペルにある。
横長すぎる(縦160センチ、横 750センチ)のとガラス(アクリル板?)の反射でいい写真は撮れなかった。これでも横長だが本来の4分の3は失われている。
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死の舞踏 写真を撮った角度が違うので うまくつなげず端の赤い衣の枢機卿が 二つになっています |
絵は 左から タリンの説教師とターバンを巻いた死者と館を持つ死者、教皇と歩く死者、皇帝と振り返りながら ステップを踏む死者、皇后と次を導く死者、枢機卿と死者、 市長と次を誘う死者(『死の舞踏』小池寿子著による)
皇帝から枢機卿までを拡大
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この写真は 色がくすんでいるが、実際に見ると 皇后の衣装などとても豪華。 |
床は墓石で覆い尽くされている。
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床を埋め尽くす 墓石 |
この三体は 同じところでつくられたものではない、
磔刑像は14世紀末、
マリアとヨハネは1410~1430年ごろに造られた
(エストニアのそれぞれ違う教会にあったもの)
十字架の先は ユリの花形、その横や下の四葉型には
四福音書記者が 描かれていたはず。 |
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何処の墓地からもたらされたのか、 カルマ教会を思い出す |
驚いたのは一瞬ヤン・ファン・エイク作かと思われる祭壇画があったこと。
ブルージュの名前のわからない画家(聖ルチア伝説の絵を描いたので、聖ルチア伝説の画家と呼ばれている)が描いたとある。
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上の 扉の部分には グリザイユで お告げの大天使ガブリエルとマリア様
奥の壁には パイプオルガンも見える |
聖アンヌの祭壇 15世紀後半(西エストニアのヒューマー島の教会にあったもの)
聖アンヌはマリアの母で よく見かける絵は聖母子とともにある姿だが、 ここでは冠をかぶったマリアを膝の上にのせている
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聖アンヌの膝にこしかける聖マリア 天使も左に |
それからパッとみて聖クリストファーと思う彫刻。1624年 トビアス・ハインツェ工房
普通クリストファーはキリストを肩にのせているが、これは丸いボールのようなものを背負っている。はっきりしないが、地球である。クリストファー(クリストフォロス)は イエス・キリストに仕えるためには 人の役立つことをすべきだといわれて、流れの急な川で人を渡す手助けをしていた。ある時子供を肩にのせて運んでいると、どんどん重くなってきたので「あなたは何者か」と問うたところそれがイエス・キリストで世界中の罪を背負っているために重いのだ、と言った という言い伝えによるもので、そのためここでは少年イエスではなく丸い地球を載せているのだ。
この写真でははっきりしないが、買ってきた写真集では 黄色い大陸らしきものが判別できる。
聖クリストファーは通行の安全を願ってよく描かれるが地球を背負った像をみたのは 初めて。
この教会は 聖ニコラウスで航海の安全を守る聖人だが、同じように交通の安全を守る、ということで聖クリストファーも像もあるのだと思う。
案内書によるとこの像はトビアス・ハインツェ工房で製作された説教壇を支えていたものだが1944年の爆撃で破壊され、説教壇では唯一これだけが残ったのだそうだ。(説教壇の支え、ということなので子供のイエス様はおそれ多いから地球にしたのかな、これは私の 独り言)
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腰袋も面白い |
他にも 上写真奥に見えるように 彫刻作品がいろいろ、 祭壇画などもまだあったが、
入口にある七枝の大燭台が気にかかった。七枝の燭台、というとユダヤのものと思ってしまう。イスラエルの国章にも使われているほどだから。
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七枝の燭台 |
七枝の燭台 1519年 リューベック
高さ4メートルの真鍮製。中世ヨーロッパではもっとも大きなもの。よく見ると中央にはローソクではなく 聖母子像 が置かれている。(私は気がつかなかったが帰ってニグリステ・ミュージアム案内書を読むと、doubled―sided とあるので後ろ側にも聖母子像はあったのだろう)。
ニグリステ・ミュージアムの案内書によると、七枝燭台は旧約の出エジプト記に出てくるもので、ユダヤ教ではメノーラーとよばれるものだが、キリスト教会でもきわめて早い時代から使われていて、それは人生樹、という解釈がされている、とあった。
ちょっと意外な気もするがヨハネの黙示録では1-16に7つの燭台というのが出てくる。ここでは七つの燭台は七つの教会の意味とある。
先日別の調べものである美術書(紀元千年のヨーロッパ 新潮社)をみていたら、ドイツ、エッセンのザンクト・トリニテード教会の写真に オットー朝の青銅製七枝の復活祭用燭台 が写っていた。(ある所にはあるのだ、そこでは中央にもろうそくが立っている)
『ドイツ中世美術』岡野Heinrich圭一著 専修大学出版局 でも エッセンのものについては 言及されていて
、<、、、樹木に似る7枝の形態から命の樹、、、、「キリスト教会」は「新たなる神殿」也との思想に基づき、七枝燭台もキリスト教に採用された。7枝燭台は ロマネスク期以降に作例が多くなり、、> という記述もみつけて キリスト教会にもあることに納得
非常に見ごたえのある教会博物館だった。ショップで本や絵葉書、マグネットなどを買って満足して教会を出て、次にめざしたのは ドミニコ会修道院
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