6日目

11月7日

ラヴェンナ、 ポンポーザ


635分 駅へ行きラヴェンナまでの切符を買う。1等にしてみた。(11.8€)
自動販売機の前にジプシーが二人いて 手をさしだされたが、断固ノーを言った。

7時〜 725分 朝食 
サン・マリノにいらっしゃる方たちがお食事の時間がないので、持ち帰ろうとなさったら、ダメといわれて大急ぎでめしあがっていらした。持ち出しはいけないらしい。

735分ホテルを出る。
754分 定刻通り発車。1等も2等も座席の状態は同じ、ただお値段が高い分、乗客が少し違う。
917分ラヴェンナ着

 
 

ラヴェンナ Ravenna
402年 ホノリウス帝は背後が湿地で守られているこの地を都に定めた。
4キロ先のクラッセには アウグストゥス時代からの海軍基地もある。
ホノリウスの妹がガッラ・プラキディア
ガッラ・プラキディアは西ゴート王アラリックに捕虜として連れ去さられ、王の息子アタウルフの妻となったが、彼の死によりローマ側に戻された。
417年 兄に強制されて後のコンスタンティウス三世と結婚、二人の子を得る。(その子たちと三人の肖像メダイヨンがブレシアのテオドリクスの十字架にあった)

オドアケルによってローマが滅ぼされた(476年)後、コンスタンティノープルで教育を受けた東ゴート王テオドリック(493526年)が宮廷を置いた。 
568年 ランゴバルド族の侵入。ビサンティン帝国は 2世紀にわたり、抵抗。
751年 ランゴバルド族の手中に落ちた。 

この間にポー川も流れを変えたので、経済的にも環境の面からも状況が変わっていった。
その後の発展がなかったために ガッラ・プラキデイの時代からテオドリックの時代にかけての建造物が残っている。

ラヴェンナと聞いただけで絢爛たるモザイクを思い出す。なんとしても再訪したい町なのだ。
月曜日にもう一度来るつもりで今日は司教座博物館を観てポンポーザに行く予定。

司教座博物館に向かう途中、サン・フランチェスコ聖堂
S.Fracesco の横を通った。みるともう開いている。7301700 

   
   
 
 
5世紀に起源をもつが 現在の建物は10世紀。 
ここのクリプタ(9から10世紀)は水浸しになっているのだが、近頃は金魚が泳いでいるらしい。まっすぐ中央祭壇のところへ。

 
 
 
 
1€いれると明かりがつく。濁った水の中を鯉のように大きな金魚が泳いでいる。床には古い教会のモザイクが少し残っている。
   
   
身廊の柱はギリシャ大理石で、ネプチューン神殿からもってこられたものだろうといわれとぃる。
壁際には1198 4世紀末の石棺 パウロに新しき律法を授与するキリスト
   
   
ここを出て、ジュゼッペ・マッツイーニ通りをいく、ツ−リストオフィスに行くつもりが、通り過ぎてサンタガタ教会Basilica S.Agata6世紀、ただし再建が異なった時代になされている)まで来てしまったので入ることにする。丈の低い ずんぐりした円塔が特徴的だ。
 
 
 
 
アプシスに6世紀のモザイクがあったが、16888年の地震で壊れてなくなってしまったそうだ。 地震の跡に残ったものなのか、残骸が展示されていた。

 
 
司教座博物館に行く、閉まっている。開館は午後1時〜の張り紙。そんなはずはない、としばらくうろうろして通路を歩いていくと大聖堂に入りこんでしまった。観光客だけでなくミサを待つ正装した人々が大勢いいた。そこで人々を案内している男性に「博物館はオープンしていないのか」と聞いたが分からないようだった。そこを出て洗礼堂に行くとここも今日は午後1時から、とある。ガーン。博物館にもそう書いてあったのだ。1時まで待つ?そうするとポンポーザに行けなくなりそう。

 
 
とりあえずツーリスト・オフィスに行って月曜日にあいているか聞いてみる。聞くと、そういう重要なところは月曜日も開く、と言われたので、これから、ポンポーザに行きたい、というとタクシーバスがあるかもしれないが、今日はどうか? などと言っている。それを待っている時間がないので、タクシーで行くというと、「高いわよ、6070€かかる」といわれたが、それでもいいので、よんでもらえるか、と聞くとOK.それで車が来るまでの間にサン・フランチェスコ教会の前のバールでコーヒーを&トイレタイム。

戻ると丁度タクシーがきたところ。
11時〜1150分 タクシー(チップをたして80€)

 
 地図上の赤マークが ポンポーザ

ラヴェンナの町はずれに砦があった。ブランカネオーネ城塞(15世紀 ヴェネツィア人によって建てられたもの) 

   
   
アドリア海は見えない。時折 運河を横切る。 
   
   

一番海に近づいた場所が  ポルト・ガリヴァルディ

 
 

ポンポーザの駐車場から 教会に向かって歩く。逆光と靄がかかっているせいか塔が朧に見える。

 
 
 
 
この存在を知って十数年、やっと来ることが出来た、と感動で胸が一杯になりながら近づいていく。
 
 
すぐに教会に駆け寄りたい、という思いをおさえて まずチケットオフィスへ。ここは修道院時代、裁判所だったところだ。
   
   

ポンポーザ サンタ・マリア修道院聖堂
 Abbazia di Santa Maria,Pomposa 
http://www.romanico-emiliaromagna.com/index.php/it/monumenti/item/73-abbazia-di-pomposa.html

http://soprintendenzaravenna.beniculturali.it/index.php?it/129/abbazia-di-pomposa-e-museo-pomposiano 
 
修道院平面図 

ベネディクト派の修道士がここに小聖堂を建てたのは6、7世紀ごろとされているが、文書にポンポーザの名が登場するのは874年。
11
世紀になるとラヴェンナ司教座から独立し、ヨーロッパでも屈指の外部から独立した、修道院国家ともいうべき組織となった。その当時の修道院長がグイド。この広い敷地は 公園になっているが、グイド・パーク 名づけられている。

この修道院長の下 同じグイドという名を持つ修道士がいて、聖歌隊の指導者だったらしいが、 彼はド・レ・ミ、、、という階名の発明者として知られている。また、四線譜も発明した(現在は五線譜であるが)それまではネウマ譜(みみずがはったような形で音の上がり下がりを示したもの)歌うことは祈ることであったので、分かりやすい譜面が考えられたということは教会にとって非常の功績だったらしい。現在でも聖歌は四線譜だそうだ。

チケット(5€)を買うと、まず修道院の方へ行くように言われる。

   
   
修道院の食堂だったところの壁画(14世紀前半に描かれた)
 
 左は 最後の晩餐
 
 院長グイドが水をワインに変えた奇跡
彫刻の展示

 
7,8世紀 
 
 6世紀の柱頭
 
 
 

11世紀前半 翼のある鴨 と向き合ったバシリクス

そのUへ続く