7日目

 そのV

フィデンツァ


16051613 列車

Fidenza

この町は1927年まで ボルゴ・サン・ドニーノと呼ばれていた。
それは291年 ローマの迫害をのがれてやってきた奴隷ドンニーノがこの地のスティローネ河畔で首を刎ねられたことによる。
彼は聖人としてあがめられ、この地はローマへの巡礼者が立ち寄る聖地となった。このエミリア街道沿いの村はフランチェージーナ街道と交わっている。

列車が一本遅れたため この町の滞在は50分ぐらいしかない。
大聖堂へ行く道をまちがえて 結局通りがかりの方に連れて行っていただいたが、大回りで5分ぐらい時間のロス。

Fidenza Cathedral  1162年に建てられたと思われる。

後陣側から近づいていったが、ところどころに張り付けられている彫刻が面白い。

   
   
   
   
   
   鹿と犬?
南側  
 
 画面左端の塔の中ほどの彫刻が面白いのだが よく撮れていないので買ってきたパンフレットから
 
 巡礼の行列    上写真の右端に下写真がつながる
 
 
彫刻が面白いのは西正面。上半分には彫刻がないが下半分が面白い。
ここもまたはプロテュリュム(柱廊式玄関)がある。
   
  右側入口の屋根の上に巡礼 
正面両脇のニッチ、左ダヴィデ、右がエゼキエル、上の秣石には ドンニーノの生涯
 
 
シモン(ペテロ) その下は獅子の谷のダニエル  右端、ピンクっぽい彫刻はアブラハム
  
 
旧約の予言者。 エノク                          エリア
   
   火の馬が引く日の戦車に乗って天にあがったという
中央扉口はアンテラミ派の作とされる。(12世紀末から3世紀)
左にダヴィデ、右にエゼキエル、 旧約の預言者が重要視されているようだ(通常はペテロとパウロだと思うのだが)エノクやエリアまで描かれている!
 
 
 
 
両側はアンテラミ派の手が加わる以前のもの。向かって左側扉口 12世紀末
 
 左から 2番目は シャルマーニュ大帝
 
 左扉口の左壁には ヘロデ王、 載せなかったが 三人のマギの彫刻もあった。(多分どこかにあったものの嵌め込み)
 
 
右側扉口
 
 
 
 その右側の塔の壁にはアレキサンダー大王
フランス、果ては海をこえてイギリスにまでつながる街道、旅芸人も行き来して巡礼たちもこの物語をきいたであろう。
(エミール・マールの『ロマネスクの図像学 下』に詳しい。 

 
 

中に入る、 内部、身廊は ゴシックだが、側廊は ロマネスク 
   
   悪魔の墜落

クリプタ 柱頭彫刻に面白いものがあった。
 
 
   
   
   
   
   
 サン・ドンニーノの聖遺物箱 15世紀  
   
   
聖堂左側奥の扉が博物館に続く、時間がないので大急ぎで二階に駆け上がる
12
3世紀の鳩型アンフォラ。 洗礼盤 ドラゴンの取っ手のついた聖杯アンテラミ作の聖母子
   
 アンテラミ作の聖母子  鳩型アンフォラ
 
 
 
 
 
 ドラゴンの取っ手のついた聖杯聖ドンニーノの歯を納める聖遺物入れであり、「聖人の歯」がこの杯に 狂犬病をはじめとする咬刺傷による独を治癒する力を与えていると言う。つまりこの杯から聖別された葡萄酒を飲むことで、毒に侵された人は回復する (尾形希和子著、 『教会の怪物たち』より
いそいで写真をとって外に出る。受付の老婦人、おつりを探して引き出しをあちこちあけたり、英語の解説をさがしだしてきたり、 時間がなくてあせっているのに、のろのろしている。(本は20€ イタリア語版しかなかったが買った)

外へ出て今度は正しい道へ。聖ドンニーノの城門下には アウグストゥス時代の橋

 
 

カヴール通りを行く。  

 
 
 
フィデンツァ市庁舎 

走るように歩いたせいか、予定より一本前の電車にのれて17021818

ボローニャ駅で明日のラヴェンナ行きのチケットを買い、スーパーでお水を買って1840分ごろホテルのお部屋に戻った。
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