2日目

3月20日 カイロ滞在 


 


2時30分頃から、一時間毎に目が覚める。

5時30分
 起床
6時30分
朝食レストランに下りていく。
菓子パンの種類が豊富、また、チーズ、ハム、卵料理、フルーツも豊富だが、ともかく、ここはエジプト。
おなかが心配なので、トースト、スクランブルエッグ、ピクルスなどをほんの少々とっただけ。


7時    部屋に戻って、出かける支度。
時々、窓の外を眺める。
ナイル川、大河といっても川幅はものすごく広い、というわけではなく、河岸にはホテルらしい高層ビルが多い。

8時40分

バスで、ホテルを出発。
今日から、旅の終りまで、案内のガイドはイマドさん。
名古屋に留学していたことのある、日本語ペラペラの大男。.助手ともう一人、現地の手配会社の人も乗っている。
ガイドさんから道中、エジプトについての話を色々聞いた。

エジプト人は役人になりたがるそうだ。給料は安いが、その20倍ものワイロ収入があるからだ。
ナイル川の水を浄化して飲んでいる、とか、
エジプト人は交通ルールを守らないとか
鹿島建設が、運河の橋や、オペラハウスを作ったなどの話を聞いているうちに

9時5分
ころ、建物の間から、ピラミッドが見えてくる。エジプトに来た、という実感がわく。この走っている通りもピラミッド通り、という。

クフ王のピラミッドは一日に、午前、午後とも 150人しか、入れない。
ここの入場券を買うために、もしかしたら各人が並ばなければいけないかもしれない、といわれていたが(規則がよく変わるそうだ)今回はそういうことはなくて、助手が買いに行った。

バスの中で待っている間に聞いた話。
* ピラミッド作りは決して、強制労働によるものではない、毎年ナイルが氾濫すると、5,6ヶ月農業ができなくなるので、その間、食べも物、飲み物をもらってのピラミッド作りは失業対策になっていたそうだ。

 エジプトの宗教では、死んでから楽園に入れるのはお金を持っている人だけ、でも王様のために何かしてあげれば、お金がなくても楽園に入れる、ということもあって、建設作業に従事したという。

* このような古い時代にこれほどのものが作れる筈はないから、異星人が作った、という説に対しては、ピラミッドの後ろに労働者の町があって、そこから発掘されたものから、作ったのはエジプト人と分かるという話や、王の顔は確かにエジプト人の顔だ、などの話を聞いた。

バスで、クフ王のピラミッドの近くに行く。
このピラミッドは。4700年前に20年かけて、作られたそうだ。
高さは頂上部分が欠けたため、137メートル。
大きいことは、大きいが非常に大きい、というか感じはしない。
何故かと、考えていて、形が角柱ではなく、角錐で、頂点が奥へひいているので、威圧感がないせいだ、と気づいた。
しかし、そばまで、行くと、一つ一つの石は非常に大きい。

その石を少し登ったところに盗掘坑があり、そこで、番人にチケットを見せて中に入る。
写真禁止で、我々はカメラを、ガイドさんに預かってもらったが、カメラを持った外人は、バッグにしまうと言っても絶対駄目、二人組みは、一人ずつお互いの荷物を預かりあって交代で入れ、といわれていた。

さて、中はしばらく行くと、天井の低い登り道で、腰をかがめて進むのだが、二度ほど、頭をぶつけてしまった。
そこを過ぎて、天井の高いところに来て、上を見上げると、両側から、6,7センチ位ずつ、石がせり出すように上にいくほど狭くなるような、積み方をしてあった。(つまり、通路が非常に縦長の等脚台形のトンネル)
その先には、王の玄室。石棺があったが、何か変な臭いがした。
10時25分  太陽の船博物館 へ行く。

太陽の船博物館へ行くところ
右はクフ王のピラミッド

太陽の船博物館
左はカフラー王のピラミッド

太陽の船
長すぎて、全体が入らない

 この太陽の船は、吉村作治さんたちが発見したそうで、3116ピースに分かれていたものを14年かけて復元したそうだ。クフ王の時代のもので、レバノン杉で、作られ、クギは一本も使われていない、という。
太陽の船、は 王が死後、昼は、太陽のように空を旅し、夜は地下の海を西から東へ旅するためのもので、船は昼用、夜用の二隻でセット。全長52mで、建物一杯の大きさなので、全体をカメラに収めることはできなかった。
 この博物館は床を保護するために、帆布製の足カバーをつけることになっているのだが、これが、大きすぎてすぐ脱げてしまって、歩きにくかった。

その後徒歩でカフラー王のピラミッドを見てから、バスで、三つのピラミッドが一望のもとに見渡せるという写真スポットへ行く。
お互いに写真をとりあったり、希望者はラクダに乗ったりして暫し、砂漠を楽しんだ。


12時
 バスで、スフィンクスを見に行く。

すぐ横に立ったせいか、スフィンクスはとても大きく感じた。とても一枚岩でつくられているとは思えない。
スフィンクスの前には、トトメス四世の、夢の碑文、というのがかかれている、という説明があった。(見えなかったが)
≪スフィンクスが、 この砂をとりのぞいてくれたら、王にしてあげよう≫、といった夢を見て、砂をとりのぞいたために、トトメスは王になることができたのだそうだ。つまり、スフィンクスによって、王位を正当化したということだ。

スフィンクスの横から、カフラー王のピラミッドまで、道がついているがこれは参道でスフィンクスの近くには、河岸神殿(ミイラ作りの場所)の跡もあった。
 日差しがとても強く暑くて埃っぽいので、薄手のスカーフで、顔全面をおおってしまう。、いい加減疲れてしまった。

12時50分 PEACEレストランで、昼食。

前菜、ナンのようなパン(アエーシ)とこれにつけるペースト、魚のフライ イカリング、デザートに甘いお菓子
左手前が、河岸神殿
そこから、ピラミッドの前の葬祭殿へと、参道がつづいている。
魚フライが熱い鉄皿に載っているがそのお皿ののった木の台がテニスのラケット大なのにびっくり

 

14時30分〜オールドカイロ観光

バスを降りて、ローマ時代の塔を眺めながら、ムアッラカ教会へ行く。
エジプトといえば、ピラミッドだが、キリスト教美術に関心のある私にとって、ここは、とても楽しみにしていた所。

この教会は3、4世紀に建てられ、10世紀に再建、修復されたコプト教会
コプト教は、キリスト教だが、単性論派(キリストは、神か人か、という議論で、キリストは、神である、とする派)である。
ヨーロッパだと、カソリックか、プロテスタント、あるいは英国国教会、とかで、どのようなものかは分かるが、中東地域のキリスト教の各派は、三位一体、とか、キリストの人性、神性など、教義に関わる違いなので、とても理解できないのだが、教会は見ておきたかったのだ。

ムアラッカ教会に行く道で ムアッラカ教会入口

残念ながら、中央部分は修復中で、見られなかったが、天井は木製で、舟底形。
8本の柱が立っているが、これはノアの箱舟に乗ったのが、8人だったからだ。
祭壇は三つあり、真中がマリアの祭壇で、その上のイコンが大事なものだそうだ。

船底天井

この教会で一番大事なマリア様
どこから見てもこちらを見ているように(見える 

教会の壁という壁にはイコンが飾られているが以前はもっと沢山あったそうだ。現在、大半はイコン博物館に展示されているそうだ。
今回その博物館に行けなかったのは、とても残念。

エジプトは、イエスが生まれてすぐヘロデ王の幼児虐殺を逃れるため、聖家族がやってきた所であるし、マルコも布教に来た、ということもあって、人々はキリスト教に親しみやすかったそうだ。

このあと、ベン・エズラ・シナゴーグへ行った。
入る前に、入口で暫く待たされたが、われわれが待っている間にはいった、アラブ系と思われるカップルは、ボディチェックを受けていた。
ここの内部はカメラ禁止。


       
シナゴーグの入口のボディチェック

        
シナゴーグには、ポリスが

内部は螺鈿細工のような、モザイクで装飾され、とても綺麗。このシナゴーグは、カイロ・ゲニザが発見された所。
(ユダヤ人は文書類を神聖視し、捨てずにとっておく習慣があった。土中やゲニザと呼ばれる屋根裏部屋に保管していたそうだ)
このカイロ・ゲニザは『コヘレトの言葉』のヘブライ語原典や、ムハンマドから第一次十字軍時代までのエジプトのユダヤ教徒の歴史に関する無数の文書など、10万頁もあり、今はケンブリッジ大学で研究されている。
文書の見つかった場所を知りたかったがガイドさんは知らなかった。

その後、日程表にはないが、ガイドさんは、聖ジョージ教会へ連れて行ってくださった。
ここは、ギリシャ正教の教会で、聖ジョージの遺骨がまつられている。キンキラキンの祭壇があった。

このオールドカイロには、アムルモスクや、イエス様が逃れてきて身を隠した場所とか、見たかったところが、多くて、これでひきあげてしまうのは残念だった。

      聖ジョージ教会と内部の祭壇の聖ジョージ像      ホテルの部屋からの眺め。
     赤い建物は国立博物館


とはいえ、 疲れて、帰りは一時間ほど渋滞にはまってたというのも気づかず、バスの中でしっかり寝てしまった。

5時5分  ホテル帰着 入浴
  
7時  夕食、
その後、部屋に戻って、ハガキを書きながら、寝てしまった