3日目  

3月21日  カイロ〜ルクソール

 

3時30分  起床 昨日途中だった、絵葉書を書いてしまってから、荷物をつめる。

4時45分  荷物出し

5時30分
 早いがこれでも、飛行機が一時間遅れたので、この出発時間。
バスで、空港へ行く。 
途中で夜が明ける.
7時30分発の飛行機は遅れて8時発になった。
その間にホテルで朝食がとれなかったので、配られたお弁当を食べる。
中味はパンが殆ど( パンが5,6個、バナナ、りんご、マンゴジュース)。                            (飛行機のホルスマークが可愛い)   
菓子パン一個、バナナ、マンゴジュースだけにしておく。

8時10分 発 機内でもランチボックスが配られた。
おなかにはいる余地はないので、ジュースだけもらって、バッグにいれる。

9時10分  ルクソール着 
昔の首都はここテーベ( ギリシャ人がこう呼んだ、ルクソールはイスラム時代の名)だった。

10時15分〜  カルナック神殿 観光
 テーベを首都とした、新王国時代(紀元前1550年〜1080年)は、ピラミッドではなく、岩窟墳墓や、神殿が築かれた。
      神殿がナイル川のそばにつくられているのは、
   *石の運搬  
   *王が戦いに出るとき捧げ物をするが、その捧げ物の運搬のため。
写真で見たことのある、塔門が近づいてくると、いよいよ、エジプト観光も本番という感じになってくる。
塔門の手前のスフィンクスは頭が羊。

カルナック神殿スフィンクス参道

  牡羊の頭のスフィンクス

奥へ進むと大列柱室、本来ここには、屋根があったそうだが今は青天井。
太い柱が林立して、はがれているところもあるがどれにも彫刻がほどこされ、もとは彩色されていたそことが分かる。
ともかく見事で、声も出ない。太い柱、大きな柱頭、ラムセス二世によるものだ。柱の数はは134本あるという。
まん中の二列は高さ21m、柱頭は開花式パピルス、両側の柱は15mで、柱頭彫刻は、未開花式パピルス。
これはまん中をナイルに見立てて、ナイルから離れるとパピルスがよく育たないので、丈も低く、花も咲いていないことを表しているという。
第一中庭から列柱室を見る 開花式パピルスの柱頭
右上が中央の開花式パピルス
柱頭の柱と閉花式パピルス柱頭の柱との
高低差を利用して作られた窓の名残
梁の天井には、彩色された、ヒエログリフが見られる 閉花式パピルス柱頭

 

まっすぐどんどん奥にすすんでいくと至聖所がある。
至聖所には、天井があった。星空を表す、漢字の大の字のような、星のマークが描かれていた。
それから、戻って、アメンホテップ三世の大スカラベを見る。
ここは3回廻ると願いがかなうとかで、沢山の人がグルグルまわっていて、なかなか写真を撮るチャンスがない。
スカラベは日の出とともに出てくるので、太陽神と関係があるとして神聖視されたそうだ。
まだまだ、整理されていない遺跡もあった。

少し自由時間があったので、写真を撮りながら、見て回る。

アメンホテップ三世による
大スカラベ

        二本のオベリスク

ラムセス二世によって作られた
スフィンクスと閉花式パピルス柱


12時
 ルクソール神殿

 塔門の前にラムセス二世像とオベリスクが一本。
 もともとは2本あったのだが、1本は今パリのコンコルド広場に立っている。
 エジプトには、117本のオベリスクがあったが、今は6本しかない。
 イタリアには、17本、イギリスには13本あるそうだ。

Cap0119.jpg (107735 バイト)

入口のラムセス二世像 
右手前はパリのコンコルド広場
にあるオベリスクの台

 

塔門に描かれた
カディシュの戦いの図
塔門前のラムセス二世像の腰掛けにある、
上エジプトと下エジプト統一の図
もうひとつの統一図 、
上エジプトを象徴するのはロータス、
下エジプトを象徴するのはパピルス

ラムセス二世の中庭の
ハトシェプスト女王礼拝堂

 

このあともラムセス二世像は良く出てくる。
それにしてもエジプトは遺跡がよく原型をとどめて残っているものだと感心した。
三年前にトルコのヤズルカヤ・ホアズカレで、ラムセス二世と戦った相手の、ヒッタイトの遺跡を見た。
トルコでは、少しライオンのレリーフなどがあったほかは、広大な野原に土台の枠しか残っていなかった。

ここの柱はエンタシスのように下がつぼまったようになっているのもあった。
また、組柱もあった。
奥には、アメンホテップ三世誕生神話の間、というのもあったが。ここのレリーフは、殆どみえなくて、ハト小屋と化していた。、アメンホテップ三世は母親が王家の出ではなかったので、王位を正当化するために、自分は神の子であると称した、その絵があったのだが、手など一部分がうっすら残るのみ。後世、偶像崇拝を禁じるキリスト教徒が、削ってしまったからだそうだ。

組柱

13時30分 ラダメス号に乗船
 ナイル河岸には何隻ものクルーズ船が係留。でもまだ船着き場が足りないのか、船腹を並べて船が着いていて、我々の船に行くには手前の船に乗って、そのロビーを横切っていく。
 船室(私は三階)といっても普通のホテルと同じ、少し狭いが、ツインベッド、デスク、テーブル、椅子セットなどがあり、バスタブもついている。ちょっと古い感じ。
 昼食に二階におりる。
 セットメニューで、メインは鶏肉だが、少し甘めでおいしかった。 デザートのケーキも美味しい。
 飲み物。ビール(22エジプトポンド)、コーヒー(8エジプトポンド)、1エジプトポンド=18円
 船での飲み物代はそのつどではなく、まとめて下船の時に払うことになっている。
 
 自己紹介
夫婦二組、15歳のお嬢さんとそのおばあ様、仕事仲間の男性3人組、一人参加の女性3人の12名プラス添乗員。
 私にとってこれまでで、一番少人数。最高齢は82歳の女性。
 15歳から、82歳と年齢幅が広く、また、男性が三人仲間で参加、というのも初めて。
 最多年代は60代と思われる。15歳のお嬢さんはおばあ様からの志望高校合格祝いだそうだ。
 男性三人組は、建築関係だそうで、遺跡に興味を持たれて参加された由。
 エジプトが三回目とか、今年はもう一度来るとかおっしゃる方もいらした。
 部屋に戻って、窓の外を眺める。ナイル西岸がみえる。椰子の木の向こうに岩山、素晴らしい。
 いつの間にか、ウトウトしていて、気がついたら、4時45分。

 5時  船のロビーに集合して、5,6分歩いてファルーカ乗り場へ行く。 
 ファルーカというのは帆掛け舟、風に帆をはらませてゆっくり進むのだが、なかなか気持ちがいい。
 助手みたいな人がお茶をいれてくれる。
 ちょうど夕陽が沈むところで、素晴らしい美しさ。

われわれのラダメス号 岸壁につけないので船腹を並べて、
船伝いに上陸する
ファルーカ

しみじみ、エジプトに来たのだという感がした。
一時間弱乗って、最後は風がなくて、手漕ぎで、桟橋につけた。

その後、希望者だけパピルス屋さんに行く。
まずパピルスで紙を作る実演を見た。
パピルスの皮をむいて中の、砂糖黍の芯みたいなところを薄くそいで押しつぶし,一週間水につけたものを、縦横に並べて重しをかけるだけの簡単な作り方だった。
パピルスという植物は穂先が広がって太陽光線のようなので、尊ばれたそうだ。
このお店には、大きくてきれいなものが色々あったが、持って帰ることを考えて小さいのを一枚だけ買った。 
ツタンカーメンとアンケセナーメンの絵で、カイロ博物館で展示されている『黄金の椅子』の背に描かれている絵である。
アテン神信仰を表していて、太陽から手が出て、その手がアンクを王と王妃にさしだしている。
旅行前に、『光の王妃アンケセナーメン』 クリスチャン・ジャック著『青山出版社)、『消されたファラオ』 グレアム・フィリップ著 などを読んで、旅への期待を高めていたので、イクナートン、ツタン・カーメン関連の何かは記念に買いたかったのだ。

パピルスはエジプトでしか買えないかと思ったが、帰って、丁度開かれていたオリエント博物館のエジプト展や、ベルリンの至宝展でも同じ程度のお値段で売っていた。
種類は勿論このお店のほうが断然多かった。

8時  夕食  ビュッフェ

10時30分頃  寝る。