5日目  

3月23日  エドフ〜コムオンボ (クルーズ船)



クルーズ船は夜の間に進んで、エドフに着いている。

 
朝食ビュッフェ

パンの種類が豊富 コックさんが好みの具を入れて卵を焼いてくれる
7時30分  出発

なんと、今日は、6隻もの船を渡って(船はおなかをならべて停泊している。)上陸。

今日は、馬車に乗っていく。一台に四人ずつ乗る。
馬車は英国統治時代の名残だそうだ。どの船の船客も皆馬車で行くので、ものすごい数。
それが、われ先にと駆けるので、しっかりつかまっていないと振りおとされそうだ。
ほどなく、ホルス神殿に着く。馬車に乗っているところを各自カメラ渡して撮ってもらうが、しっかり、チップは要求する。

この神殿の入口には、これまでになく多くのお土産物やさんが並んでいる。
ここは、ルクソールなどと較べて新しく、BC3C〜BC1Cにかけて作られたもの。古代エジプトの遺跡の中でもっとも保存状態のよいもの。 

ここの中庭で、ツアーのメンバーをそれぞれ違う神様にみたてて、神話の説明がされた。
 

オシリス神は冥界の神  手に牧杖と殻竿を持つ
イシス神はオシリスの妹にして妻、頭に椅子(玉座)か、牛の角の間に日輪を載せている。
ホルス神はふたりの間の息子で天空の神ハヤブサまたは、ハヤブサの頭を持つ人の姿をしている
セト神 ロバ(あるいは山犬)の頭をした砂漠(暴風)の神 
イシス、オシリスには、セト神という弟がいた。
あるとき、セトに謀られて、オシリスは箱に入ったところ (この箱に入ったときの姿がミイラにみられる腕を組んだ姿) ナイルに流され、それをイシスが地中海でみつけたが、今度は42に体を刻んでエジプト各地に撒き散らされた。
イシスはそれを探しだして繋ぎ合わせたが、一つたりなかった。
それは、ワニ頭のスベク神が食べたからだという。、
呪力で交わってホルスを産んだが、オシリスはこの世での再生は叶わず、冥界にくだり、死後の世界の王になったという。
ホルスは親の敵のセト神と戦って、最高神となった。
王はホルス神の化身と考えられ、目は聖眼として、護符にされた。
 このオシリスのナイルでの≪溺死≫、≪埋葬≫、≪冥界≫、≪再生≫は、ナイルの氾濫、、種まき、土の中にいてその後発芽する、という植物サイクルをこの神話は表現しているともとれるという。

この話に似た話を聞いたおぼえがある。
フェニキアの死と再生の神話だ。
やはり兄妹の神『バール』((豊穣の神、稲妻と雷雨の神)と『アナト神』の話。 
同じように、もう一人の兄弟、『モト』 (大地が火の神によって乾き、穀物や果実が実る季節、大地を掌握し、支配する収穫の神) に殺されたバールを妹が探しにいって、モトをやっつけて、バールを再生させる話だ
    (聖書の起源 山形孝夫著 講談社現代新書) 。影響関係があるに違いない。

家に帰って、調べたら、第二中間期(BC1786年〜1567年)の始め頃 シリアの神々の侵入始まる、とあった。
そうして、セトがヒクソスの国家神バールと同一視される、と。
セトという言葉には力において優れたる者の意味があり、王朝の名にもセテイがある。
セトは下エジプトの王朝神ホルス、の上エジプトの仲間と考えられていて、オシリス神信仰が優勢になると葬り去られことになった(エジプト神話シンボル事典 大修館書店)

 神々の死と再生神話が植物輪廻、雨季と乾季の交代などの自然現象と豊穣祈願の気持ちの表れでもあるようだ。

お話を聞いた後、神殿に入る。

塔門  王が神々の前で敵を打つ図

入口の上に有翼の日輪 (ホルス神の象徴)


          ホルス神殿入口         神殿入口のホルス神


神殿の中が黒く煤けているのは、後の時代にキリスト教徒がここに住んだからだそうだ。
ここの内部の彫刻は実にみごとだった。
第一列柱室の柱の柱頭は直径が1m以上もあると思われる巨大なものだが彫刻がきちんとされ、彩色のあとも少し残っている。
天井が低いせいか、とても大きく感じられて、迫力満点。素晴らしさにただただ感動。
中の至聖所は暗くて特写真がとれなかったが、彫刻は見事だった。
柱と柱の間隔はヨーロッパのゴシックの教会と較べると狭い。
尖頭アーチなどは、考えられていない時代だから、天井を支えるためには、柱と柱の間隔は狭くせざるをえなかったのだろう。まさに柱が林立している、という感じだ。

この神殿が建てられたのはプトレマイオス朝(BC237年から、180年かけて作られた)なので、カルナック神殿などよりかなり新しいとはいえ、日本は弥生式時代なのだ。
その時代にこれほど立派な建造物があったのかと思うとため息しか出ない。ここにはナイルメーターもあった


  第一列柱室の巨大な柱頭の色々。パピルスや椰子の葉模様

8時10分〜50分   
自由時間の後、また馬車で帰るのだが、我々の乗った馬車がいない。
馬車の溜まり場は観光客と馬車でごった返している。御者はもうひとかせぎしに出かけたのか。
暫くさがしてもいないものだから、別の馬車をガイドが[仕切りや] に交渉する。
そうして、やっと馬車に乗れてしばらく走り始めたところで、戻ってくる(行き)に乗った馬車とすれ違った。
それからが大変、ともかく、御者は往復でお金をもらうことになっていて、まだお金を手にしていないのだから、横を並んで走りながら、ワーワー言っている。
船着場についてからも代わりに乗った馬車の御者とと大喧嘩。
生活がかかっているのだから必死だ。ガイドが何とかおさめた。

ところが、馬車がなかなかこなかったせいか、我々の船は川のまん中あたりにいて乗ることができない。
わがツアーをおいて出て行くのか、と思ったが、どうやら、間にはさまっていた船が出港したかららしい。
そのうちやっと、手前の船とおなかをよせあって、船伝いに乗ることができた。

9時40分  乗船、


1時  昼食 移り行く景色を眺めながらの食事は楽しかった。

 

3時40分  コム・オンボ神殿

ここは、クルーズ船の船着場のそばに神殿があるので、徒歩で行く

この神殿は少し小高いところにあるので、眺めが良い。

 神殿の前から眺めたクルーズ船とナイル河


ここは、ホルス神とソベク神(ワニ頭)の二神を祭ってある。
二人の神様なので、入口が二つある、至聖所まで、左右二つある。ここもグレコ・ローマン時代のもの。
彫刻が素晴らしい。別の建物には、ワニのミイラがあった。
  
  ホルス神殿
        この可愛い鳥もホルス神


神殿内のレリーフ。グレコ・ローマン時代なので、線刻でなく、体に丸みがある。



左の写真で、左から、トト神(朱鷺の頭を持つ学問の神)、ネフティス女神(美の神)、王様、(ギリシャ時代の王なので、冠が違う)、セクメト神(ライオンの頭をした女神でラー神の敵対者に破滅をもたらす神)、ホルス神(南北エジプト統一の冠をかぶっている)

   
スベク神殿

  
 ワニ頭のスベク神(左)の前で、イシス女神による王の戴冠式
    
  南エジプトの象徴のロータスの間に
    パピルス

 このまん中がホルス神殿とスベク神殿のさかいめ

 
船に戻って、夕食までフリー。
昨日頼んだ、カルトゥーシュを受け取り、夜のガラベーヤパーティに備えて、ガラベーヤと呼ばれる衣装を借りにいくが体にあったいいものがないのであきらめる。
デッキにあがってみると、椅子にねそべって日光浴をする、ビキニ姿がずらり。
暫く景色をながめていたが、どうも落ち着かないので、部屋に戻り、部屋から移り行くナイルの景色をヴィデオにおさめる。
ところどころ、中の島があったり、岸辺に小さい村のモスクが見えたり、白い鳥が飛んでいたり、同じような景色ではあるが、船が進むにしたがって少しずつ変わるので、久しぶりでゆったりと時の流れにまかせてクルーズを楽しんだ。

 
8時 
 夕食

ガラベーヤを着ているのは我々のグループは15歳のお嬢さんとそのおばあ様と添乗員さんだけ。
お嬢さんのは白いドレスで可愛い。ほかの外人客はガラベーヤ着用が多い。
10歳くらいの女の子は顔もバッチリメイク、クレオパトラのような太いアイラインまでひいている。
男の子たちもアラブ人のような衣装を着けてアラビアンナイトの世界からぬけだしてきたようで、はしゃぎまわっている。(春休みのせいか、外人は家族連れが多い)
彼らは積極的にイヴェントを楽しもうという意欲が感じられる。
私は金ラメのセーターにスカーフをまいた。少しだけ華やかにしたつもり                                        
夕食のあと、4階のホールにいってみた。音楽をかけて踊って音楽が止まったところで、どういう組になるか指示をして、何人かと組になるという、椅子とりゲームみたいなことをやっていた。
例のクレオパトラちゃんは大人気でみんながつかまえたがって最後まで残っていた。
まだまだパーテーイは続くが、、明日は下船する日。
パッキングもしなければいけないので、乗船中の支払いをすませて、部屋に戻った。

クレオパトラちゃん