
8日目
3月26日 ギザ滞在 (アレキサンドリア)

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4時 起床
6時30分 バスで出発、 砂漠ロードをアレキサンドリアへと向かう。
今回の旅で初めてで最後のバスの長旅(220q)。途中トイレストップを挟んで3時間かかる、と言われた。
道中 ガイドさんは、エジプト人の生活その他いろいろ、話してくれた。
*耳の後ろにペンをはさむ習慣は古代にもあった、
*一番悪い日は、オシリス神の殺された日で、その日には、契約とか、結婚はしない。(仏滅?)
*いい曜日は木曜日(明日はお休み)
*金曜日は、天使があちこちにいるから、うるさくしないように、掃除洗濯など、家事は禁止
*いやな客が帰ったあとは壷を割っておく(また、訪ねてこないように) などなど。
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途中にある白い塔で、穴が模様のようにボチボチあいているのがあったので、何かと聞いてみると、ハト小屋。
穴(出入り口)の模様が素敵で小屋などとよぶようなものではないが。
アレキサンドリアに近づくと海が見えてきて、また
道路の横には、無数の小川。
ここは海に注ぐナイルデルタの湿地帯だ。
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9時30分 アレキサンドリアに着いた
アレキサンドリアは BC331年にアレキサンダー大王が市を創設して、AD642年にアラブに征服されるまで、約一千年の間、エジプトの首都として繁栄したところだ。
まず、グレコ・ローマン博物館に行く。
ここの神様はエジプト人とギリシャ人のどちらからも受け入れられるよう考えられた、アピス(オシリス・プタハ神の化身)とゼウスの混合神セラピス、である。
この博物館には、牛(ゼウスは牛だ)や、人間の顔をした、セラピス像がいくつもあった。
作風はどれもギリシャ的でこれまでみてきたエジプト古代の浅浮き彫りとは違う。
ここはヴィデオOKで自由鑑賞の時間も充分あった。
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11時5分 ポンペイの柱。 ここは、セラピス神殿の遺跡で、浴場もあったようだ。 。
当時は300本もの柱があったそうだが、一本だけ、というのは正直言ってまがぬけていると思った。
そのほか、雑草の間にスフィンクスもあった。
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11時30分 コム・エル・シュワッハのカタコンベ
井戸の周りをまわるようにグルグルとまわり階段を地下に降りていく。
中は迷路のようだ。両側にはお棺を収めていたであろう穴が掘られている。
カタコンベというので、キリスト教徒の墓かと思っていたら、どうも様子が違う。
一番奥の壁には、棺台に横たわるミイラとそれを守護するイシス神とネフティス神、子供のホルス神もいるし、アヌビスまでいる。台の横には、メドゥーサ、蛇。
アヌビスというのは、山犬(あるいはジャッカル)頭で、ミイラ作りの神。
夜ミイラを悪しき神々から守ったという。また、ミイラ作りの聖職者はジャッカルの仮面をつけて、アヌビスの代理を務めたそうだ。こういう絵がキリスト教徒のお墓に描かれるはずがないように思う。
この前には柱が二本たっているが、これは時代が違うと思ったので、ガイドに聞くと同じ時代だというが、この柱頭はロマネスク風。
ぜんまいのような渦巻きがでていて、その渦巻き下に人の顔、エジプトでもギリシャ・ローマでもない、と思うのだが。
話が横にそれたが、ガイドブックには、本来は貴族階級の墓だったが三世紀以降共同墓地となった、とあった。
キリスト教徒が再利用したのだろうか。
ここはヴィデオ・カメラ禁止である。かわりに写真集か絵葉書を買いたいと思ったが売ってもいない。
ヴィデオは作品を傷めることはないので、別料金をとっても撮らせてほしいと思った。
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カタコンベを出て、カイトベイ要塞へ向かう。アレキサンドリアの町は信号がなく、狭い道をバスは強引に進む。日本の昭和二十年代といった感じで、壁の落ちた貧しげな家家の横を通った。
12時30分 カイトベイ要塞
カイトベイはマムルーク朝最後のスルタン(15C)で、プトレマイオス時代のファロスの灯台の石を使ってこの要塞を作ったそうだ。写真を撮って、暫し海風に吹かれる。
地中海を隔ててヨーロッパの対岸に立っているわけだ。ちょっと感動。
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カイトベイ要塞
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そのあと、海沿いに走って、ソフィテル・ホテルのレストランで、昼食。
窓際なので、東港の湾の向こうにカイトベイ要塞が見える。
きれいなレストランで気持ちよくお食事ができた。
バスでまた来た道を戻る。
今夜は、ナイル川のディナークルーズだ、と言われたが、82歳の老婦人は『もう外に出るのは面倒、夕食はパス』、とおっしゃるので、用心深い私はおなかをこわした時のためにも持ってきた、レトルトのおかゆを片付けていただくことにした。何とか処分しないと、帰りの重量が心配、役立ってよかった。
部屋に戻ると、朝とちがって、ピラミッドがとてもハッキリ見えた。不思議なことに、ここから、見る方がピラミッドが大きく見える。
部屋の窓からの眺め 左が、クフ王、右が、メンカウラー王のピラミッド右の写真は、クフ王のピラミッド
拡大すると、かすかに入口が見えます。左手前の旗がたっているのが、泊まっているホテル。(ほてりはこの字形に曲がっている。)ホテル、ピラミッドの向こうから、すぐに広大なリビア砂漠になる。 |
7時30分 〜船に乗ってクルージング。
結構、豪華な内装、お食事はビュッフェ形式。
満席なのでかなりの行列。
沢山の人を入れるためか、テーブルとテーブルの間隔がせまくて、一度座ると、なかなか、次のお皿をとりにいくことは困難なほどの混み具合だった。
しかし、このディナークルーズはとても楽しかった。
ベリーダンス、とスーフィーダンスのショーがあった。
ナイルからアスワンへのクルーズ船中のガラベーヤパーティでもダンスはあったのだが(私は早くに部屋に戻ったので見なかった)見た方によると、それより今日のダンスの方がずっと上手だそうだ。
ベリーダンサーも宗教のせいか、おなかは薄い布でおおっている。
大体がロシア人らしい。一通り踊ったあと、お客を舞台に引っ張り出して一緒に踊る。とても上手な女性もいた。
我が男性三人組の一人も引っ張りだされた。
特にダンスがお得意というわけではなさそうだが、そこはエリートサラリーマン氏、品良く、またしらけさせずに相方をつとめたのは立派。 |
そのあとのスーフィーダンス スーフィズムとはイスラム教の一派で、くるくるまわっているうちに陶酔状態にはいって、神と一体になる、とかいうのだが、これはショーなので、タンバリンを持って音楽にあわせて、こまのようにくるくるまわる。スカートが綺麗。時にはスカートを首にも着けて、上下二段のスカートがくるくるまわる。
かなり、長時間(時計は見なかったが、30分位)くるくる回っていたが、一向に目をまわしそうな様子は見せない。
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このダンサーもまたお客を舞台にひき出した。
我が15歳のお嬢さんも引っ張り出された。
彼女は小柄なので、スカートを首(肩のあたり)につけられ、そっと一回しされると上手にくるくる回った。
それを見ながら、スカートが回してくれるのではないか、と思った。
裾の重みで引っ張られるように回れるのではないか。まわり始めると、スカートの方がどんどん回っていき足はそれについていくのではないか、と思った。あとで彼女に聞いてみると、矢張りそうだ、と言っていた。
舞台に目を奪われているうちに、夜も更けてきた。
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船の窓からの眺め |
ホテルに戻ると、結婚披露パーティが行われていた。
今日も楽しい充実した一日だった。
でももう旅もおしまいだ。
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