
9〜10日目
3月27、28日 カイロ観光〜成田
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いよいよ最終日
なんと今日はじめて朝起きて、眠いと感じた。 私は時差ボケがひどくて、一週間くらいしないとその国の時間に慣れない。
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左の建物の前に機動隊の車のような車が並んでいる |
今回のように短いツアーだと、これで日本に戻ったら一体どうなるのか、心配。
朝食のあと、エジプトドルがなくなったので、5000円分だけ、両替しておく。
8時30分
バスでエジプト考古学博物館に向かう。今日は、デモが予定されているとかで、博物館近くの道路には警察車
(機動隊の車みたいな)が何台も止まっている。
今のムバラク大統領は国民の99パーセントの人が反対だそうだ(ちょっと数字が多すぎる気がする)
博物館に着くとものすごい人。
開館を待つ間に庭におかれている彫刻の写真を撮る。中はヴィデオ・カメラ禁止。
エジプトという国は規則がコロコロ変わるそうで、現在は禁止だそうだ。
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入ってまず主なものをガイドの説明をききながら見ていく。地球の歩き方に載っているものは殆ど全て説明された。
矢張り圧巻はツタンカーメンの秘宝。 椅子、おりたたみミベッド(金属のちょうつがいが使われている、1メートル70センチ)だちょうの羽の扇、棺 などを見て宝物室へ、
金、ラピスラズリ、、トルコ石など使って手のこんだ装飾をされた、胸飾り、ネックレスなど、デザインの素晴らしさ、青い石の美しさ、もうガラスケースの前から動きたくない。
それにしても、これほど素晴らしいものをお墓の中に入れてしまうなんて、来世を信じればこそだろう。それとも、王族はこういう宝飾品はやまほど持っていて、お墓にいれても、まだ、残った人たちは沢山持っていたのかな、などとはしたないことを考えてしまう。
ともかく、お墓に入っていて、盗掘もされなかったからこそ、現代の我々がおがめるのだ。
もっと見たい人は、あとで自由時間にくるようにといわれ、たった5分だけしか部屋にはいられなかった。
主なものを一通りみて、最後にミイラ室(ここは別料金だとか)髪の毛まで残っているミイラもあったが、ミイラになると縮むのか、顔などとても小さいし背もそれほど高くはなさそうだった。
ここで11時35分まで自由時間。
自由時間がもっとほしい。主要な作品を解説していただけるのはありがたいことではあるが、もう少し簡単にして、主要作品の場所の地図を渡すなどして各自好きなものが見られる時間が多いほうがよいのに、と思った。
私はアマルナ美術の部屋に急ぐ。
今回の旅行の直接のきっかけは、テルエルアマルナに都を築いたイクナートンとその家族への関心からなのだから。
今日は、ガイドブックの博物館のページをちぎって持ってきている。でも念のため係りの人に場所確かめる。
今 いるところの反対側の端だ。
途中、グレコ・ローマンの部屋の横を通った。見たいが、時間がなくなるといけないので、奥へ進む。
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奥のつきあたりの部屋で見たかったイクナートンの像を見た。
異常に細長い顔、分厚い唇、長い首。でも実物が大きいので、近くでは細部を一つ一つ見ることになり、写真ほどグロテスクではない。
国家をかえりみず、家族を愛し夢想にふけった王だというが、夢見るような瞳が魅力的であった。
テラコッタに彫った、太陽神に向かって歩む王妃と子供たちの図もあった。
またこの時代は写実主義の時代で、パピルスなどの写実的な植物の絵もあった。
ここが一番見たかった部屋なので、じっくり見ているうちに時間が少なくなってきた。
戻る途中に、牛神のチャペル、という壁画の美しい部屋をみた。どこかのお墓の部屋の壁をそっくり移してきたようだ。
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反対側の階段のところの壁の死者の書をみて、その横の長蛇の列のお手洗いにいくともう20分過ぎ。
ショップで図禄(大きい方は5キロくらいの重さだが、迷わず買ってしまう)、絵葉書、ボールペンなどを買うと丁度時間。
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待ち合わせ場所の池のところで、みんなに会うことができた。
皆さん、ツタンカーメンの宝物室にいらしたそうで、私もそれも見たかったのに、と残念な思いがした。
ところが、バスがなかなか来ない。
近くでデモがあり、12時30分までバスが動けない、という。そこでタクシーに分乗して、昼食レストランに行くことになった。やっと乗れたタクシーがものすごいオンボロ。
おまけに運転手はゴホゴホ咳ばかりしている。この排気ガスでは喉をやられるだろう。
咳をしながらも運転手は陽気で、15歳のお嬢さんに、「明日私はリッチになる、私と結婚しないか」、ともちかけている。
車は調子が悪くて途中でガソリンスタンドにはいって、あれこれしばらくやって、やっと動きだした時にはほかの車を見失っている。
レストランの場所を運転手は知らない、どうなることかとおもったが、途中で人にきいて、大分遅れて1時頃着いた。
サンセットという船のレストランだ。
ビュッフェ。さっさと食事して、1時40分にはもう動けるようになったバスがきたので、サラッディンのシタデルへいった。
ここには、サラッディンの井戸、というのがあると、ガイドブックにのっていたが、聞いてみると今は見学できないそうだ。
去年シリアにいって、サラッデインに関心を持ったので、エジプトで功績をあげアイユーブ朝を開いた、彼に関係するものは見ておきたかったのだが、残念。
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モハメッド・アリ・モスクに入る。モハメッド・アリはボクシングの選手のことではないと何度も冗談めかしてガイドは言う。 |
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モハメッド・アリはアルバニア人(1769〜1849)。当時のエジプトはオスマン朝トルコの支配下にあり、その総督としてやってきた人物で、ルクソール神殿のオベリスクをフランスにあげてしまった人。
このモスクは1842年に建てられたもの。
中庭にはバロック様式の時計があるが、これはルクソール神殿のオベリスクのお礼として贈られたもの。時計は今はもう動かない。常に修復中だとガイドは笑いながら言っていた。
中で、イスラム教の話をガイドから聞く。この人はとても熱心な信者らしい。
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シタデルは高いところにあり、町が眺められる。
スルタン・ハッサン・モスクとその隣の、リファーイー・モスクを遠望。
スルタン・ハッサン・モスクは少し古い建物(14世紀に建てられた)で私の好みだ。あそこの中もはいってみたかった、と思った。
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スルタン・ハッサン・モスク |
リファーイー・モスク |
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3時 空港へ向かう。
途中は荒れ果ててうち捨てられたようになっているモスクが沢山あるところを通った。
デモのため、予定が狂ったが、ともかく、飛行機には間に合いそうだ。
空港で少し時間があるので、ショッピング。
博物館のショップでもドルが使えたので、結局朝の両替は不要だった。
残りのエジプトポンドとドルをあわせて、主人にネクタイを買う。
最後に重い本を買ってしまったので、もう動きたくなくて、椅子に座って、出発を待った。
5時45分発の飛行機
ところが、乗ってしばらくすると、「異常を知らせるす赤ランプがつきましたので、空港に戻ります」 というアナウンス。
この空港の困るところは、飛行機の乗り降りにタラップを使うこと。重い荷物を持っての階段の乗り降りが大変だった。
今日はもう帰れないのかと覚悟したが、2時間遅れで飛行機は出発できた。
今回の旅行は、これまでの私の海外旅行の中では、一番少人数。
そのためか、15歳から、82歳まで、、美人の添乗員さんともども、一つの大家族のように和気藹々とした、雰囲気で旅行することが出来た。
この同じメンバーで同じ添乗員さんと、また行きたいと思うようなとても楽しい旅行でした。
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