8月11日

 4日目

ベルリン〜ライプツィヒ〜マイセン〜ドレスデン


4時30分 起床 今日は移動日
6時 朝食 ビュッフェは種類が豊富 毎日いろいろ試してみた。


7時 荷物出し
7 時45分 出発

ドイツの国章は 鷲。 鷲は食物連鎖の頂点ということで、8世紀のカール大帝以来だそうだ。
ベルリンを出るとすぐ森、20分くらい走ると畑地で林もあるが、樹木の下の方の葉が落ちていて、上の方にしか付いていないのが気になった。

8時45分〜9時5分 トイレストップ
マルシェとレストランを兼ねたところで楽しいところだった。

ここでは半袖Tシャツに裏なしのジャケットを着ていたが、それでも寒かった。
バスに戻るころは小雨。走り出すとかなり強く降って来た。
バスの窓から見ていると、このあたりは都市が分散していて、町があると、しばらく畑地や森があり、また町があって、という繰り返しだ。

10時30分 ライプツヒ
旧東独時代はベルリンに次ぐ、大都会だったそうだ。
ここの現地ガイドは近くのハレ音楽大学の大学院の学生
まず、バスを降りたところにあるバッハ像に敬意を表する。 

バスをおりたところのバッハ像 聖トーマス教会の前のバッハ像

バッハ・ミュージアム

それから、ヨハン・セバスチャン・バッハが、オルガン奏者兼合唱団の指揮者(カントール)を勤めたことで名高い 聖トーマス教会(13世紀建造)に入る。
この教会前にもバッハ像。
隣はバッハも教えたという学校(建物は昔のものではない)があり、通りをへだてたところにはバッハミュージアムがある。
バッハ研究者にとっては大事な場所だそうだ。

教会には バッハのお墓があり、ステンドグラスにはバッハの顔が描かれている。。
ステンドグラスにはルターと、この地で亡くなった メンデルスゾーンの絵もある。でもメンデルスゾーンはハンブルグの銀行家の息子でユダヤ人だったはず。 それがキリスト教会に描かれているのはおかしな気がする。
あとで、ガイドにきいてみると、メンデルスゾーンはキリスト教に改宗したそうだ。

バッハ ルター メンデルスゾーン
生誕150年を記念してつくられた

この教会は ハレンキルヘ(ハレンとはホール、広間式教会という意味)と呼ばれるスタイルである。1496年にその前のロマネスク様式が壊れたのでこのようなゴシックに建て替えられたという。
普通、側廊(教会は小さいと柱によって区切られていないこともあるが、普通はたてに三列とか、大きい教会では五列に分かれている。 真ん中を身廊、横を側廊という)と身廊の屋根は別々だが概観から分かるように同じ一つの屋根になっている。側廊は身廊より天井が低いが、ハレンキルヘは側廊が身廊と同じ高さなので、ゴシック様式で窓を穿つことができる場合、広々と明るい感じがする。

バッハのお墓

聖トーマス教会

ショップでお買い物。 それから市内の徒歩観光
カフェ・バウムは1556年創業のヨーロッパで証明しうる最も古いカフェ兼レストラン。
飾りはコーヒーを伝えたアラビア人とコーヒーの木。(拡大すると中央の彫刻がはっきりします)

カフェ・バウム カフェ・バウムの前の噴水

それから、ニコライ教会へいった。

この教会もハレンキルヘで、天井の高さが同じ

ここは1989年に起こった東ドイツの民主化運動の重要な拠点だ。
ここはもともと月曜集会をやっていたが、、政治的意味を持ち始めたのは、9月29日から。
何故ライプツィヒで起こったのかというと、ドレスデンは坂の下で電波が入らないが、ライプツィヒは少し高い場所にあるので、 ハンガリーからの流出などの報道はいったからだそうだ。
10月17日には12万人、24日には30万人の人がデモに参加したという。(人口は58万人)
教会を出て、横の広場へ。ここで デモが行なわれたそうだ。歴史の現場に立つことができて感動して、何だかゾクゾクしてしまった。
旅行前に 元外交官の春江一也氏の書いた『ベルリンの秋』 を読み返したが、この本には東ドイツ時代の様子がよく書かれている。( ニコライ教会前でのデモのことも書かれている。フィクションだが、当時の雰囲気はこういったものだろうと思う)
それから、少し歩いて、ライプツヒ・ゲバントハウスの前に行った。
前にはメンザの泉、と呼ばれる噴水がある。ここもデモ集会の中心舞台になった広場だ。

デモのあった広場

ゲバントハウスオーケストラの本拠地とメンザの泉
(この前とオペラ座の間が広場になっている)

ナッシュマルクトにあるゲーテ像
ゲーテはライプツィヒの大学に学んだ
後ろは旧証券取引所
メードラーパッサージュ

そうして、昼食レストランのある、メードラー・パッサージュに行く。 
ヨーロッパにはこういう 洒落たショッピングアーケードがよくある。
昼食まで少し時間があるので自由時間になった。
母をカフェに残して、妹と少し町を歩く。本屋を探したいのだ。 
デパートみたいなところで、市の写真集を買った。
メードラー・パッセージ内の地下にあるアウエルバッハスケラーと言うレストランはとても古くて、ゲーテもここでお食事をしたそうだ。
入り口にファウストとメフィストテレスの銅像がある。

左がメフィストテレス

アウエルバッハス・ケラーの入口

観光客が押しかける超有名レストラン。地下なので狭いかと思ったが非常に大きく内部にはファウスト関連の絵がたくさんあった。

お料理 

ザウアーブラーデン 付け合せはクヌーデル クアーク・コイルヘン ほおずきがついている!

昼食後 マイセンに向かう
マイセンの陶磁器博物館。
しばらく待って、ビデオをみてから、工房見学。白色の磁器を作るのは難しいことだったようだ。
ろくろをつかって、形をつくったり、絵付けをしたりするところを見た。

ハッキリ言って、私にはつまらなかった。
中には工房を見るのが初めて、という方もいらしたかもしれないが、陶器の産地ではどこでも工房を見せられる。 私はリモージュ、デルフト、カッパドキア、で見たがどこでも過程は同じ。全くの時間の無駄。希望者だけに見せればいいのにと思った。
そのあと陶磁器博物館をみて、陶器のパイプオルガン演奏まで、結構待たされた。前のグループは演奏に合わせて皆でコーラスをして五分ほどでおわったが、その程度でいいのではないかと思った。(ここで待たされたせいか町の観光がなかった) 

マイセン陶器の裏には剣のマークがついているが、
時代によってすこしずつちがっている
右から四本目のパイプにマイセン・マーク

そうして、お買い物。これは迷いにまよって楽しかった。
私はブルーオニオンを買うつもりだったが、やめて、バラの花模様のコーヒーカップを一つだけ買った。
この時間にカフェでお茶をした方もいらした。
5時35分 マイセン出発
私はお城や教会が見たかったが、そのままドレスデンに向かった。
せめてもの救いは お城の見える場所で写真ストップをしたこと。
現在のお城は15世紀のものだが、 歴史は10世紀に遡る。ザクセン朝のハイリッヒや、その子オットー大帝のころスラブ人やマジャール人に対する備えとして城砦が築かれたのが始まりである。
1710年、城主はすでにドレスデンに居を移して、なおざりにされていたこの城に陶磁器工場がつくられ、150年間ここで、製造された。(その後は我々がみたところに移された)

エルベ川の対岸にアルブレヒト城(15世紀)

写真を撮った場所に、里程標のような石柱があった。 
バスの中からエルベ川沿いのサイクリングロードが時折見えた。ハンブルグからプラハまで続いているそうだ。エルベ川の橋を渡るところで明日行く旧市街が見えた。
 
6時30分  ドレスデンの NHドレスデン ホテル 到着
ここは旧市街からはかなり離れた新市街のビジネスホテル。

バスの中からドレスデン旧市街を遠望 私の泊まったお部屋

ツインの部屋が少ないらしくて、隣り合った部屋がとれず、私は上の階のシングルルーム。

このホテルに関しては観光ポイントに遠いということで不満な方が多かったようだ。
しかしお部屋は新しい。ベルリンのホテルより広く、豪華ではないが、コンセントが三つもあるなど、機能的で設備は良かった。
7時30分 ホテルで夕食
 
8時50分部屋に戻る