4時30分 起床
7時15分 朝食
9時 出発
10分くらいで テアター・プラッツ(劇場広場、ツヴィンガー宮殿やオペラ座がある)に着いた。 小雨がパラついている
王宮というと普通、華麗な鉄柵で囲われたり堀に囲まれたりして門には衛兵がいる、 という光景を思い浮かべるが、 王国でなくなったせいか、単なる豪壮な建物群だった。(チェコやブルガリアでも衛兵はいたのに)

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オペラ座 |
オペラ座正面入口 シラーとゲーテの像 |

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イタリエニッシェ・ドルフ
(見えないがその向こうがエルベ川) |
王室礼拝堂 |
横の教会は宮廷礼拝堂。
これを建てるために、イタリアから技術者が招かれた。 その人々のための小屋があった場所が、イタリエニッシュ・ドルフ。 その跡に立てられた建物がレストランになっている。
礼拝堂の上には、高さ3メートルの聖人像が78体立っている。
ゼンパー・オペラ座
前の銅像は右がシラー、左がゲーテ。上にはクアドリガ(4頭立て二輪馬車)が載っている。

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向こうに黄色く見えるのが 『君主の行列』のタイル壁画 |
少し階段をのぼって、広場の写真を撮る。
ここがブリュールのテラス。ここからの眺めが素晴らしくて ゲーテは『ヨーロッパのバルコニー』 と称えたとか、フィレンツェのようだ、とかいわれるが、?

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ブリュールのテラスからエルベ川の対岸を見る(あいにくのお天気で暗い) |
昨日バスの中から見た旧市街の眺めの方がいいように思われる。
そこをぐるーっとまわるようにおりてきて、 修復なったフラウエン教会のところに来た。
空爆による、高熱のため、一本の梁が折れ、それによって、全体のバランスが崩れたため、ルター像のある方に倒れてきたのだそうだ。

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フラウエン教会 |
このあたりの建物はどれも砂岩でできていて、もともとはクリーム色だったが、、黒ずんでいるのは、空爆によるものもあるが、空気に触れてだそうだ。
この修復には200億円以上の費用がかかったが、80%は寄付によるそうだ。
空爆後、ドレスデンは東独に入ったので、教会修復に国が熱心ではなかったともいわれ、東西統一まで、瓦礫の山のまま 放置されていた。

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教会の残ったものをひとつそのまま置いてある。
図の黒いところの部分 |
ルター像 |
空爆によって破壊されたものの断片をとっておいて、非常な努力によって修復されたということで評判の教会。でも、何だか色あせたように見えて私にはそれほど美しいとは思えなかった。
それから、『君主の行列』 がタイルで描かれた壁を観にいった。ここは爆撃にあわなかったので昔のまま。(1200度で焼かれたタイルは、町が燃えても残った)

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アウグスト強王 |
それから、アルテ・マイスター絵画館へ。

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ザクセン王ヨハンの騎馬像の奥に絵画館。
位置はこの右手がオペラ座、左手が王室礼拝堂、手前(カメラの位置)がエルベ川 |
絵画館はツヴィンガー宮殿にあるが、この絵画館部分は19世紀にオペラ座を造ったゼンパーによるルネサンス様式になっている。
ガイドの案内にしたがって、まず王たちの肖像画、カナレットの描いたドレスデンの風景から、フェルメール、ラファエロまで、ゆっくり見ていったが、私の見たかったヤン・ファン・エイクの部屋にはいかなかった。

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フェルメール『手紙を読む娘』 |
フェルメール『娼婦宿の女主人』 |

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ジョルジョーネ『まどろみのヴィーナス』 |
フラ・アンジェリコ『受胎告知』 |

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コレッジョ『聖ゲオルギウスの聖母』 |
ラファエロ『システィーナのマドンナ』 |
やっと、自由鑑賞の時間になったが、少ししか時間がない。
絶対にみておきたいヤン・ファン・エイクはなんと、反対側の端を曲がっていった所のへや。
まず、ラファエロの横にある、ボッティチェリをさっとみて、そうそう、パルミジャニーノも見るのだったと、ヴェネチア派の部屋にとウロウロ探す。

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パルミジャニーノ『薔薇の聖母』 |
パルミジャニーノの、『薔薇の聖母』 は 若桑みどり著『薔薇のイコノロジー』が
ドレスデン絵画館にある パルミジャニーノの『薔薇の聖母』を、私はまだ実際に見たことがない
から始まるので、私の頭には ドレスデンに行ったら、『薔薇の聖母』をみること、とインプットされてしまっているのだ。私の持っている本は93年に出た新装版だが、最初の本は84年に出ている。
書かれた当時は美術史家といえども、東独には行きにくかったのであろう。
特に私の好みではないが、みておきたい絵である。(この旅日記製作中に若桑みどりさんは亡くなられた。 テレビではとてもエネルギッシュな方にみえたのに、残念なことだ。彼女も無念であったことと思う)
そうして、フランドル絵画の部屋に行く。

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ヤン・ファン・エイク『ドレスデン祭壇画』 開いたところ |

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ここにはヤン・ファン・エイクの『ドレスデンの祭壇画』 があるはずなのに、なかなか見つからない。
係りの人にきくと、そこ、と指差されたところは凄いひとだかり。ちょうどどこかのツアーの一団がいて、小さいから見えなかったのだ。
彼らが離れたのでじっくり観ることができた。
高さが33センチで、中央部分で横が27.5センチ。(絵は、中央が、27cm×21.5cm)
左は大天使ミカエルと寄進者、 右は聖カタリーナ(足元に車輪があるので)。
ブルージュで観た『ファン・デル・パーレの聖母』と顔立ちや鎧、兜が似ているがこれはずっと小さい。
繊細な筆使いに感嘆の声をあげそうになった。
両翼を閉じると裏には グリザイユ(淡彩)で受胎告知が描かれている。 左が大天使ガブリエル、右にマリア様。
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この部屋にはクラナッハや、デューラーの作品もあった。ガラスに明かりが反射して見にくい写真になってしまった。

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クラナッハ、 『敬虔なハインリッヒ侯爵』と
『公爵夫人カタリナ・フォン・メクレンブルグ』 |
デューラー『ベルンハルド・フォン・レーゼンの肖像』 |
大急ぎで下におりて、ショップで、図録や絵葉書を買う。(拡大写真は絵葉書より)
集合時間に少し遅れた。走りまわってやっとほんのひと目だけ見てもどってきたというのに。。みたいとおもっている絵のある人にとっては時間が少なすぎだ。
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時計の下の左右に白いマイセンの鐘 |
それから、中庭をとおり、マイセンの鐘をきく。
丁度12時になるところ。
ここもツヴィンガー宮殿である。
バロック・ロココ建築で17世紀末から18世紀に馬上槍試合の劇場としてアウグスト強王のためにペッペルマンが設計した建物である。
建物と彫刻が一体となった傑作ということらしい。
(これは半世紀ほど後のサン・スーシの人像柱にもうけつがれている)。
(拡大するともう少し彫刻がはっきりします)
素晴らしい というべきなのだろうが、趣味ではない。

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中庭の噴水、中央奥に、クローネントーア(王冠門) |
緑の丸天井 といっても丸天井の部屋ではなく、普通の部屋、
ここでの見ものは、インド・デリーの王国、金塗りのコーヒーセット、など。しかし写真禁止
05年に日本で 開かれたドレスデン国立美術館展 でみたような珊瑚やバロック真珠を用いた小物や、地球儀などいろいろ。 私としては絵画館の方に長くいさせてほしかった。
昼食
ツヴィンガー宮殿横のタッシェンベルグパレス・ホテルの地下にある、ソフィーエン・ケラー
いかにもワインケラーといった感じのつくり、
ウエイトレスのお洋服も可愛い。

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民族衣装風なドレスでウエートレスは皆にこやかだった |
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大砲の弾?利用のろうそくたて |
ミックスサラダ |

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鶏のグリル |
アイアーシェッケ(ドレスデン名物のチーズケーキ) |
このあとは フリータイム
添乗員さんはゼンパーオペラ座 の内部見学に連れて行く、というが我々三人はそれにはついていかないで、町をぶらつくことにした。

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観光馬車 |
今日は日曜日でお店は閉まっている。
暫く歩いていると、マイセン陶磁器のお店があったので入った。
そこは ヒルトンホテルのショップだった。(だから日曜でも開いていたのだ)。
ここにはかなりの種類のマイセン焼きがあった。
昨日迷ってやめにした、 波のたわむれ という地模様に矢車草の花が描かれたティーカップがあったので買ってしまった。 母と妹もそれぞれ買い込んでいた。
ここが宿泊ホテルだと、いいのに、と言いながら荷物を持って、聖母教会に向かう。

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テアタープラッツと宮廷礼拝堂の間をトラムが走っている |
実はこれは朝撮ったもので方向が反対
(ブリュールのテラスから聖母教会に向かう) |
フラウエンキルヘ(聖母教会)ここはプロテスタントの教会(1743年建造)。
ドレスデンはプロテスタントの町だったが、
17世紀末のアウグスト一世(強王と呼ばれた)が、ポーランド王位を継承した時、 ポーランド王はカソリックでなければならなかったので、王はプロテスタントからカソリックに改宗した。
当時は王が改宗すると、国民も皆改宗することになっていたが、町の人々が反対したため、このプロテスタント教会が建てられることになったのだそうだ。
しかしプロテスタントにしては 中はとても華やかでまるで宮殿のよう。教会としては落ち着かない気がする。
(内部は写真禁止なので、買ってきたパンフレットから)
そこへ、オペラ座見学を終えたツアーの一行がやってきた。
これから、クロイツ教会近くの バウムクーヘン屋さんに行く、という。
クロイツ教会は行ってみたかったので、一行についていった。
少し遠くて、母はちょっと疲れたようだった。
この教会は 聖歌隊が有名。テオ・アダムやペーター・シュライアーもこの聖歌隊出身だそうだ。
前身は13世紀の教会だが、現在の姿は1764年〜1814年 に建設されたもの
しかし、内部は古そうだった。(どうやらまだ内部の装飾にまで手が回っていないということらしい)
残念ながら、カメラ禁止で写真はとれなかったが、ロマネスク風なアーチでなかなか良かった。
記念に絵葉書とCDを買った。

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聖十字教会(クロイツキルヘ) |
内部は撮影禁止のため絵葉書から |
それから、バウムクーヘン屋さんへ。
チョコがけ、がおいしかったので、お土産に買った。 日本に持って帰って食べてみたら、パサパサで、ちょっと? というところ。
それから、結局皆と一緒にバスでホテルに戻った。
今晩の夕食もついていない。
添乗員さんが 希望者をビアホールに連れて行く、という。
勿論、母も妹もビアホールなぞ行きたがらない。
私も改めて出るのが面倒 (近くではなく電車を二本乗り継いでいく) ルームサービスを頼むことにした。
日本からもってきた、カップ麺やおかゆがあるし、母はポット持参で美味しい和菓子も持ってきている。
そこで、チーズとターキー入りサラダと、チリコンカルネ(ハンガリー風のパプリカ入りの牛肉煮込み料理) とフライドポテトを各一皿ずつ注文してみた。
すぐに持ってきた、それがまたビックリの分量。
サラダは徑25〜30センチのお皿に山盛り、チリコンカルネも特大スープ皿に入れてあるし、ポテトだけは少なめだった。
三人で頑張って食べてもサラダは半分残り、チリコンカルネはそれぞれティーカップに二杯分ずつでまだ余り、ポテトは丁度なくなった、という分量。
結局カップ麺は入る余地なし。 本当にドイツ人は大食漢だ。
母と妹のお部屋はタオル類が届いていなかった。フロントに電話で頼んだが、結局三時間待っても持ってこないので、フロントに催促に行き(10分後に持ってきた)、ついでに最上階まで上がって景色を見た。

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この通り、ホテルの近くには何もない
(ここは新市街のはずれ) |
遠くに白く見えるのが聖母教会
(拡大するともう少しはっきりが見える) |
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