8月15日

8日目

ワイマル滞在


7時15分ごろ 朝食

朝食レストランにはコックさんがいて卵を焼いてくれる。
オムレツを頼んだ。
とても美味しかった。

添乗員さんが希望者を近くの公園に散歩に連れて行く、ということになっていたが、ホテルに戻ってバスで中心街まで行くのも面倒なので、 そのまま観光する、と決めたようだ。
朝のうちは小雨だったので、どうなるか未定ということだったが、結局晴れて散歩しながら、ということになった。
母と妹は散歩に出ないで、バスであとからホテルを出ることにした。
8時45分頃出発
ゲーテ公園の散歩

ローマハウス

リスト像

公園といっても広大な森

シェイクスピア像(足元にしゃれこうべ)

広大な公園をゆっくり散歩。 ゲーテの山荘などを見た。(10時に開くので中には入れなかった)
ゲーテは1775年、26歳の時、ワイマルに招かれ、カール・アウグスト大公のもと、枢密院参事官となり、その数年後には大臣となり、平民だったが、ここで帝国貴族に列せられた。そうして、このガルテン・ハウスを与えられたのだ。後に市の中心の館も与えられたがここを別荘として使っていた。

ゲーテのガルテンハウス

ガルテンハウスのお庭

イルム川

10時 リストハウス 到着。前でピクニックをしている人がいた。

ブランチ?・ピクニック

リストハウス入口(右手の家はリストハウスではない)

ここでワイマルのガイドの木村さんにあう。 オペラ歌手(リスト音楽院の声楽の先生)とかで、とても元気のいい方。
母と妹はバスでもうきていた。
リストハウス  ゲーテ、シラー亡き後、ワイマルの名を高める人として、白羽の矢がたったのがリスト。 1842年にワイマルの樂士長になった。
それからバウハウス大学の横を通って大公の墓所へ。 

大公墓所

後ろにロシア教会

墓所の後ろはロシア正教の教会になっている。 カール・アウグストの息子カール・フリードリッヒの妃マリア・パヴロヴナはロシア王女だったので、ロシア教会を立てた。墓所は地下でつながっている。(このお妃様の沢山持参金がワイマルの文化振興に役立ったという)
近くにゲーテの孫で17歳で亡くなったアルマのお墓があった。この代でゲーテの家系は絶えた。

ロシア教会の奥にはロシア正教らしいお墓 ゲーテの孫娘 アルマ のお墓

それから市の中心街へ。 シラーの家、カール・アウグスト大公の母アンナ・アマリア大公妃の住まいであるヴィトムス宮殿国民劇場などの前を歩いた。国民劇場の前にはゲーテとシラーの像。 

右に窓のある部屋がシラーの住まい シラー通りの突き当たりの広場

ヴィトモス宮殿 国民劇場(左がゲーテ

リスト音楽院(もともとはフランシスコ会の修道院で ルターもワイマルに来たときはここに泊り、1518年に来たことを示すプレートが貼ってあった)

リスト音楽院(もとフランシスコ会修道院)

そうしてマルクト広場にもどってきた。

マルクト広場 ホテル・エレファントと黒熊亭

上写真の左の拡大、薬局

市庁舎

左上写真の窓には人ではなく
人形が置かれている

この薬局の内部の様子が
ドクトル・ファウスト』の研究室に書かれているそうだ。


エレファント・ホテル ここに泊りたかった。 
トーマス・マンの『ワイマルのロッテ』
はここに泊ったのだから。 
クラナッハの家、(右の緑の家の手前で写っていない)
市庁舎、などがあるこの広場が町の中心地だ。

それから、ヘルダー教会へ。 ここにはクラナッハの祭壇画がある。
横にはルターも描かれている。 

ヘルダー教会の祭壇画 拡大すると、中央画面の右手に聖書を持つルターが見えます

ここで、午前の観光は終り。ゲーテハウスは午後。 
どういうわけか、昼食はフリー。中心街だからお店はあるので勝手に好きなお店にどうぞ、ということか。 でも好きなお店を選んでゆっくり注文するような時間のゆとりはなさそう。
次のゲーテハウスの時間に間に合うには添乗員さんについていったほうが良いようだ。 
そこで添乗員についていくことにした。 
一品料理、ということで魚料理を食べた。食事は中庭でとったが、そこに古い井戸らしいものがあった

井戸?手洗い場?

午後は現地ガイドはいない。ゲーテハウスは各自勝手にみて、その後自由時間ということになっている。 
私は入り口でバウハウス大学の学生数人に頼まれて、ゲーテについてインタビューされた。急にゲーテについてどう思うかと言われても、困る。まずい英語でなにやらしゃべったが、彼らの役にたったかどうか。

ワイマルは見所はいろいろあり、希望者はお城の美術館につれていく、ということだった。
私はひそかにナウムブルグにいってみたいと考えてネットで列車の時間を調べておいた。 母と妹がどう思うかが問題。 二人とも遠出をするつもりはなく、「行きたいのならいいわよ」。
母は私が放浪癖があるので、好きにすればいいと思っているようだ。 (時々別行動するが、仲が悪いわけではない。好奇心の度合い、というか旅行への意気込みが違うのです)
それで、広場でタクシー拾って、駅へいく。
このフリータイムに近くのナチのブッフェンバルト収容所を見にいらした方もいた。
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