駅に着いてまずチケットを買う。往復といったはずなのによく見ると片道だった。(ドイツ語が通じなかったのかな)

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乗った列車 |
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14時20分発 14時53分 ナウムブルグ着
去年も一人でイギリスで列車にのったので、別に不安感はない。
この路線を特急列車も走るが、窓外の眺めはまったくのローカル線。
車内はすいている。
高速道路だとこのあたりはかなり平野を突っ切る感じだったが、線路の両側は丈の高い草が生えているところも多い。又赤や黒の屋根のメルヘンチックな村々。
各駅停車で、どの駅も全くの田舎の駅。
日本と違って、駅の立て札は停車駅の名前しか書かれていない。(前後の駅名がない)
到着予定の時間で検討をつけて降りる準備をする以外にない。
途中駅では、土地の人や大きなリュックをしょったバックパッカーが乗り降りしていた。
ナウムブルグはマイナーな都市だが、『地球の歩き方』 にはちゃんとのっている。
ナウムブルグの駅前には数台のタクシーがとまっていた。
それでまずニーチェハウスに行ってもらう。(5ユーロ)
10分ほどで、ニーチェハウスに着いた。
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ニーチェハウス正面 |
横の通りから見たところ |
町はずれで、横の壁はもしかしたら、昔は市壁だったのではないかと思った。
私の学生時代は 実存主義の本がよく読まれていた時代。
もう中身は忘れたが(もともとよく理解していたとも言えないのだが) ニーチェの著作もよく読んだものだ。その名残で、ナウムブルグという地名にはピンとくるものがあった。 ニーチェが子供時代を過ごした場所だ。
10年くらい前にスイスのサンモリッツ近くのシルス・マリアのニーチェが夏を過ごした家を訪れたことがある。結果的にはここよりスイスの方がニーチェを偲ぶには良かった。
中は写真撮影禁止である。ここには遺品がない。ここが勉強部屋だった、などということも分からない。あったのは妹エリザベトのショールなど。この妹が曲者。
ヒットラーに心酔していて、(多分、ワイマルの)ニーチェ記念館にヒットラーを招いたりしている。
どういうつもりか、そのヒットラー訪問時の写真が大きく引き伸ばして飾られていた。
ニーチェの 権力への意志 の思想が、政治的に受け取られるとファシズムに通ずる、とはいえ、これではあまりにもあからさまに曲解をそのまま示しているのではないだろうか。
元読者としては遺憾極まりなかった。
あまりいい気分がしないまま、展示をみていると、館の受付にいた人に、最近日本で出版されたニーチェについての本をみせられ、「貴女はこの著者の村上氏の夫人か?」と聞かれた。
ちょうどこの時間に夫人とその著書の後書きに何かかかれたK氏がくることになっていたらしい。
館をでるときにその一行に出会った。
そこを出て、マルクト広場に向かう。 ツアーで今回行ったどの町よりも、普通の小都市だ。こういう何でもない町を歩くのもいいものだ。

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緑の屋根の小屋は屋台ではないかと思う |
正面は薬屋 |
ときおり、綺麗に修復された家もあるが、まだ壁が剥がれたままのところもある。

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100円ショップならぬ1ユーロショップ! |
自分の現在位置を確認するために、ゆっくり壁に貼られた通りの名前をみながら歩いていくと、 ユーデンガッセがあった!
ヒットラーの写真がまだ目の底に残っているときなので、驚きが大きかった。
一体いつごろまでユダヤ人が住んでいたのだろう。。
ユーデンガッセは狭い通りだ。 ちょっと入ってみたが、誰も住んでいないようで、窓が板で打ちつけられていたり、ホコリがつもったりしている。 誰も歩いていない。
空がどんよりくもっているせいか、薄暗くて気持ちが悪いので、2.30メートル進んで、引き返してしまった。
ユーデン・ガッセについて知りたくて、 日本に帰ってから、あれこれ本を読んでみたが、
ドイツは領邦国家にいくつも分かれていて、 都市によってユダヤ人への対し方が異なっているので、ナウムブルグのことは分からない。
あわてて出てきたので、そこにどうやら、通りについて書かれているらしいプレートが張ってあったのに気がつかなくて、 帰ってビデオをまわしてみたら写っているが文字は判読できない。 そこでナウムブルグのインフォーメーションを開いてみた。
そこには
〈1350年からユダヤ人の居住地となり、1494年に強制的に撤去された。家屋、シナゴーグ、学校、銭湯などが徹底的に破壊された〉 と書かれていた。(ここの翻訳は長くドイツに住んだ友人に助けていただいた)
その後再建されたらしく、ある英文のブログに1933年に二度目の排除がなされた、とあった。
それからマルクト広場へ。 ドイツの旧市街は中心に広場があり、そこを市庁舎や大聖堂が囲んでいる。しかし、ここにある教会はヴェンツェル教会で、大聖堂ではない。
ヴェンツェル教会には バッハも弾いたというオルガンがあって、オルガンコンサートで有名。
しかし、いってみたら閉まっていた。

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左が市庁舎 |
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ヴェンツェル教会(マルクト広場側から) |
反対側から見たヴェンツェル教会 |
広場から10分くらい歩いて大聖堂へ。入り口がなかなかみつからなくて少し外を歩いた。

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外壁、ロマネスクらしいブラインドアーチが続く |
この教会には ナウムブルグのウタとよばれる女性の彫刻がある。
この町をを訪ねたもう一つの目的はその彫刻をみることである。
やっと入り口をみつけ、入場料(4ユーロ)+カメラ(5ユーロ)を払う。結構とるな、という印象。

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中庭を回廊が巡っている |
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入口脇の壁の彫刻(1230年頃) |
ウタを探しながらゆっくり教会内を見る。 ここはもう博物館と化した教会。
祈りの場という感じはしなかったが、西内陣の仕切りのレリーフの前には 巡礼者グループと思しきヨーロッパ人のグループはいた。
これは1250年頃の作品、とてもリアルで素晴らしかった。

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西内陣仕切り壁 |
その奥に目指す寄進者たち12人のほぼ等身大の彫像がある。
エックハルト(在位1032〜46)は11世紀の人であるが、彫像がつくられたのは1249年以降でナウムブルグのマイスターとしてしか名前の分からない工人によるもので。衣装などは13世紀のものになっている。ヘルマン、エックハルト両夫妻には子供がなかったこともあり資金提供が容易だったそうだ。

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マイセン辺境伯エックハルトUとその妻でポーランド皇女であったウタ(とても暗かったので写真がよくない) |

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ゲルブルグ |
辺境伯ヘルマンとレグリンデス |
それから、この教会のもっとも古い部分である、クリプトにおりてみた。
奥の祭壇のキリスト磔刑像は1160から70年ごろのもの。

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クリプトの最奥の祭壇に古い磔刑像 |
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修復されたのだろう、真っ白 |
この明かりを持つ男も現代作品だ |
東のコワールにもあがってみた。
ドイツの教会にはよくあるタイプで、西正面からはいってまっすぐ奥の東に内陣がある、というのではなく横からはいって東西に祭壇がある。ここでは上の階にある。

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聖書などを置く台(13から14世紀のものらしい) |
1260年ごろのオリジナルのステンドグラスがあるというが、これかどうかは分からない |

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祭壇の石のレリーフは1350年頃のもの |
入り口に戻って、絵葉書を選んでいると、クラナッハの絵
があった。 どこにあるのか聞いてみると、宝物庫 だというので、場所を聞いていってみた。回廊を行くと入り口がみつかったが、ここであらたに入場券が必要だという。もう足がくたびれていたが、また入り口にもどって、2ユーロはらって、チケットを購入。

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チケット には ルーカス・クラナッハ 『マグダラのマリア』 1518〜19年 |
また回廊を回ってやっと入ることができて、クラナッハにお目見え。このあたりの教会はどこもクラナッハの絵を持っているようだ。
他にもご生誕の絵(クラナッハではない) などいい絵があった。
さて、どうしようか、疲れたのでカフェで休みたい気もしたが、何処でタクシーが拾えるか分からないので受け付けの人に聞いてみたら 「私がキャッチします」 と携帯電話を持ちあげてみせた。
「いつ呼びますか?」まだ時間はあるがもう歩きまわる元気はないので「すぐに」、とたのんだ。
教会の前にきたタクシーで、5時半少し前ナウムブルグ駅に着いた。
18時3分発に乗る。念のため近くの人にワイマルに行くことを確かめたら、彼女はよく知らないようで、他の人に聞いていた。ワイマルに着いた時にはそのやりとりを聞いていた別の人が「ワイマル」と教えてくださった。
18時36分ワイマル着。

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ワイマル駅 |
駅の前 |
タクシーで エレファントホテルの前についたのが47分。 7時の待ち合わせ時間には少し早かった。
ほどなくバスで ツアーメンバー到着
一人遅れた方がいらしたが、その方は部屋の安全チェーンのはずし方が分からなかったそうだ。
(私も最初は分からなかったが、妹が知っていた。お部屋回りでも、こういうことを聞いておくことはふつうしないが気をつけたほうがよい)
その前がフリータイムで、各自レストランに行ってよい、ということになっていたので、添乗員は定刻に来た人だけをバスに乗せて連れてきたのだ。誰がバスで一緒にいくのかきちんときいておいて、現れない人がいれば部屋に電話をして確かめるなどすべきだと思った。(逆に、一人参加の場合常に忘れられないようにという配慮することも必要、私は別行動する時は添乗員に予定を話して、おいてきぼりにされないよう気をつけてはいる)この方は何とか開け方がわかって、タクシーでいらした。
ツム・シュバルツェン・ベーレン(黒熊亭) でお食事
もう喉が渇いて脱水状態。 ピルスナービールを注文。

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黒熊亭 |
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チューリンガーソーセージ |

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鹿肉ロースト |
パンケーキ、ブルーベリーソース添え |
食事を終えて出てもまだ少し明るかった。下はエレファントホテルの写真。ワイマルにまた来ることがあったら、今度は絶対、エレファントホテルに泊まりたい。
くたびれ果てて、ホテルに戻ると荷物の整理もしないで、すぐお風呂に入って寝てしまった。
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