10時45分発
畑や森の中を走った。
ここはチューリンゲンの森
アイゼナハは 中世には 吟遊詩人の歌合戦がおこなわれ、ルターが聖書をドイツ語に訳したりなど、田舎町だけれど色々なことがおこった町。
バッハとルターは200年違いでアイゼナッハの同じギムナジウムに通ったことなどをバスの中できいた。
12時少し前に アイゼナッハのワルトブルグ城の下の駐車場に着く。
そこからミニバスに乗りたい人(結局、母だけがガイド氏と乗った) 以外は10分ばかり登り道を歩く。 これはとてもきつかった。 緑の林の中なので気持ちがいいはずなのだが、周りをみながら、ゆっくりのぼらせてはくれない。ひたすらハアハアいいながらのぼる。ここは絶対ミニバス利用がお薦め。
母とガイドさんは我々より早くついていて、ちゃんとレストランのなかで待っていた。

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ホテルへの上り口 |
アーチをくぐった先がレストラン
左の階段はお城へ行く道 |
12時25分〜13時 昼食 ホテル・アウフ・デル・ワルトブルグのレストラン
レストランからは森と遠くに町が見えて気持ちがよかった。

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キャロットスープ |
野菜のパスタ |
ワルトブルグ城の観光 内部は写真禁止。

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お城の入口、跳ね橋になっている |
入口を振り返る |
丁度「エリザベート展」をやっていたせいか、もの凄い人で 入場制限をしていた。
このエリザベートはハンガリー王女だった人で、ブダペストの聖イシュトバーン寺院に彫刻があったように記憶している。マールブルグのエリザベートと同一人物だそうだ。 ハンガリーから4歳でワルトブルグに来て、14歳でテューリンゲン伯ルードヴィッヒ二世と結婚。1227年ルードヴィッヒが十字軍で亡くなったあと、領地のマールブルグに移り、慈善病院を建て、修道女のような暮らしをして、1231年に24歳で亡くなった。
聖フランシスコに倣い、貧しい人や病気の人の世話をしたが、このことを夫は好まなかった。貧しい人々にパンを配っているところに夫がやってきた時、神はそのパンを薔薇の花に変えて夫の叱責をのがれさせた、という伝説が有名で、それを絵にした壁画もあった。
人が多くて、内部を見るより、仲間を見失わないようにするほうに気をとられてしまった。
壁や天井が綺麗に彩色された部屋もあれば、ロマネスクの教会のクリプトのように太い石柱で支えられ、柱頭に鳥などが彫刻されている部屋などもあって、写真が撮れないのが非常に残念だった。
歌合戦の間などをみて最後にルターが聖書のドイツ語訳をした部屋に行った。
写真で見て狭い部屋かと思っていたが、飾り気はないが部屋は広く、机もがっしりとした、畳一枚まではないがかなり大きなものだった。

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1170年の後期ロマネスク様式の城
手前の新しいのは展示会のために設けられたもの |
ルターの部屋(パンフレットより) |
ルターはラテン語からドイツ語に訳し、その後のドイツ語の規範となったとしか、ここでは聞かなかったが、とても美しく素晴らしいドイツ語に訳した、ということを帰ってからカルチャーセンターの音楽史の先生からおききした。
例えば マタイ伝の山上の垂訓
悲しむ人々は、幸いである Selig sind, die da Leid tragen
ルターは Selig というドイツ語をもちいているが、これは
身も心も洗われる、という感じで、幸い とは深みが全然違う、とM先生は仰っていらした。
(ブラームスはドイツ・レクイエムをこのルター訳の聖書から、聖句を選んで作曲したが,冒頭がこの一節)
丁度いいタイミングでこのお話が聞けたので、ついでに記しておく。 なお Selig は辞書には (現世から解放されて)天の至福にあづかる、とあった。
それから、バスで下のアイゼナハの町におりてバッハハウスへ。 ここは長らくバッハの生家といわれていたが、最近の研究で生家ではないことが分かったそうだ。
中で古楽器の演奏を聴くのだが、その時間を待つあいだ、中庭で写真をとった、お向かいにはバッハの父親の家がある。

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バッハ像が家の前に建っている |
中庭 |
お庭はお花が咲き乱れていて とても美しい。
バッハ博物館は改装されたばかりでとても綺麗。
古楽器を解説しながら色々な楽器で短い曲を演奏した。
そのあと、座り心地のよさそうなゆりかご型の椅子のあるオーディオルームや、ショップもあるので20分のフリータイム。
アイゼナハの町そのものの観光はない。
地図ではルターハウスが近そうなのでちょっとみてみたくなった。
現地ガイドにきくと、20分では、家の前まで行くくらいで中の見学はできないでしょう、ということだったが、ともかく道をきいて(一本道で分かりやすい) いそいでいった。小走りで5分くらいの距離のところにあった。一応中にはいったみた。

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ルターハウス |
入口の看板 |

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売店のある部屋の天井
ルターの紋章であるルターローズを持っている |
売店の横の中庭 |
入るとすぐに売店。 そこで、解説の本などを買って、あたりをちらちら見回す。もう少し時間があればざっと館内を見てまわることができたのにと残念に思いながらいそいで バッハハウスに戻った。
この町には他にもルターが説教した教会など見どころはあるのでもう少しゆっくりすればいいのにと思った。折角来たのにこれで立ち去るのは勿体ない。
16時15分 フルダに向かう。
途中、人工的な灰色の山があった。ボタ山みたいだ、と思ったら、岩塩を取ったあとののボタ山だそうだ。また森の中を走ったがここでもヒースをみた。

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岩塩のボタ山 (拡大すると上にクレーンが) |
ヒース |
18時 フルダのホテル、ゴルディナー・カウプフェン 着
ロマンチックホテルだけあってお部屋は綺麗で広い。。

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妹が泊まった部屋 |
母と私の部屋 |

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窓から外を見る |
部屋に置かれたミネラルウオーター |
19時15分 夕食
別室で我々のグループだけ。
こういうのはちょっとつまらない。土地の人や他のツーリストと一緒のほうが旅行気分がもりあがるのに。
飲み物は旅行会社からのサービス、ということで
私はフランケンの白ワイン、トロッケンを注文
フラスコで出されたが、フランケンワインの瓶と同じ形をしていて可愛い。
辛口ですっきりしていて美味しかった。
一応ゲーテメニューということにはなっていた。
前菜 ライン産サーモン サラダ
メインはチョイスで私は 鱒のディルソース、ライス添え
デザートは ワイマル名物の林檎とアイスクリーム
コーヒーに小菓子

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エプロンに金の鯉 |
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サラダとサーモン |
鱒料理 奥にゲーテの写真の入ったメニュー |

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この旅行最後の晩餐に相応しいご馳走だった。21時30分ごろ部屋に戻る。
パッキングをしなければならないのだがすぐに寝てしまった。
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