8月17日

 10日目

 フルダ〜フランクフルト〜成田


いよいよ最終日。 パッキングにかなり時間がかかった。 思った程重くはなさそう。
これなら、美術館でもっと分厚い本を買っても良かった。
このロマンチック・ホテルは朝食レストランもすてきだし、お庭も可愛い。

荷物を出したあと、 ホテルの前で写真を撮る。 金鯉亭、という名なのだが、鯉には見えない、、
泳げタイヤキ君 の噴水がある。

鯉の噴水


10時10分  市内徒歩観光 出発
周囲1.6キロメートル の外壁の内部を歩く。
乳製品が取り扱われていた バターマルクト広場

1880年以来続いている居酒屋 市教区教会

昔の市役所

1330年に建てられたフルダで一番古い家

左上は16世紀の建物で、 昔市役所だったこともある塩の商人の家。  塔に滑車をつけて塩を上げ下ろしした。
 

魔女の塔とブラウン管を発明したブラウンさんの家

1772年の表示のある家には神の眼 があった。
ブラウンはマルコーニとほぼ同時期に無線通信機を発明、二人でノーベル物理学賞を分かちあった。
そうだ、昔は魔女裁判があったのだ。こらしめのために放りこんだので、死んだ人はいないと思うと現地ガイドは言っていたが?
  、、ヨーロッパ随一の「魔女狩り」の国であるドイツでは、結局、1500年から1749年に三万人以上が火刑台にのぼったであろうといわれている、、、。   「魔女と聖女」 池上俊一著 講談社現代新書  と書かれている。

町歩きで見かけた看板

市宮殿の前の広場へ。
ここには聖ボニファティウスの銅像が建っている。

聖ボニファティウス像 市の模型、手前が大聖堂、左がミヒャエル教会


ボニファティウスは昨日のエアフルトでも、教会を建てたが、『ドイツの使徒』 と言われた人である。
573年ころ生まれたイギリスのエクセター近くに生まれた人で、 751年にカロリング朝のピピン三世に塗油をほどこした司教は彼であろう、といわれている。
フルダにはこのボニファティウスのお墓があるので来てみたかった。 といっても特に私はボニファティウスが好き、というわけではない。 しかし、ドイツのキリスト教会にとっては忘れてはならない人物である。
時の教皇グレゴリウス二世は当時、フランク王国はガリア典礼だったのを ローマ典礼で統一したいと考えていた。 当時は地域によって典礼が様々。教皇としては全てを自分の威光のもとに従わせたかったのだ。
それで、 まだキリスト教化が進んでいない東フランク、つまりドイツに彼を遣わした。ドイツからオーストリアにかけての司教座は殆ど彼が造った。 
それ以前、西欧のキリスト教化は、ローマの力が弱かったため アイルランドの修道士によってなされていた。 ザンクト・ガレンなどがその例でアイルランド好きの私としては、ボニファティウスより、山の中に庵をむすんで、熊とも話した、というガルスのほうに好感を持っている 

市宮殿へ。 

市宮殿 オランジェリー

教会財産の没収が1813年に行なわれて、司教領主館が市のものとなった。
ここの内部観光は予定表にはなかった。
広間の天井画は、太陽神ヘリオスの息子パエトンの絵。 父の太陽の戦車を勝手に御して、墜落。 
国政に与る者は素人ではだめだ、という戒めだそうだ。
運命の女神 右から、運命の糸を紡ぎ、長さを測り、鋏で切る。

パエドンと戦車 命の女神たち

宮殿を出て、シュロス庭園へ。

ここで、各自写真を撮る。もう11時半。 私は昨日のエアフルトの例があるので、時間がなくて教会を見るのをカットされたら困る、と気が気でなかった。(大変嬉しいことにこれは杞憂だった)

司教総代理の館 の門 西洋橡の木(マロニエ)

いよいよ、聖ミヒャエル教会
9世紀初めのロトンダ(円形の建物や、広間のこと)を取り囲んで立てられている。

聖ミヒャエル教会

修道院

聖ミヒャエル教会の壁のレリーフ


この教会は地下のクリプトが重要、 たった一本の支柱が天井を支えている。
一つの祭壇があり、  周りはトンネル状で通路と小部屋になっている。
ここは修道院長の墓、修道士の内省の場、納骨堂などが考えられるが、まだ定説はないそうだ。

階上は カロリング朝時代の818年〜22年に建てられたロトンダで八本の円柱で支えられている。

クリプト、たった一本の柱で支えられている(絵葉書より) ロトンダとアプシス(絵葉書より)

八本というのは 聖書の『山上の垂訓』に、心の貧しき者は幸いなり など八項目あるからと言われているが、エルサレムの聖墳墓教会の円形からきている、という説もあるという。
壁にはうっすら、大天使ミカエルの壁画(11世紀)が残っていた。(写真禁止) 

ここを出て大聖堂へ 1704年〜8年 ヨーハン・ティーツェンホーファーが建てたバロック様式。 
外観はまだしも内部が凄い。白地に金色をふんだんに使ってとても豪華な雰囲気だ。

フルダ大聖堂(拡大写真は正面左の聖ボニファティウス像)
彫刻の意味はよくわからない 洗礼盤なので洗礼者ヨハネだと思うが、、、

主祭壇、上にはマリア被昇天の彫刻
このような豪華な祭壇が脇にいくつもある

クーポラ

この教会は 聖ボニファティウスのお墓があることで名高い。 それを見るために地下に下りる。
最後の審判の日に墓から体をおこしている彫刻が下のだん、上は受難図。 
剣でさされたが聖書でそれを受けたところが彫られている。

ボニファティウスのお墓

ここで、パンフレットをみていると、カール大帝の彫刻の写真がでている。 そこは案内されなかった。
こんなごてごてより、カール大帝の方がみたい。
そのまま聖堂博物館にいったので、そちらに置かれているのかと思ったら、教会内だそうだ。
教会に戻りたいと思っていたら、博物館に入る時間まちで、そのあいだトイレ休憩ということになった。 数が少なく外にもある、というので、そちらにいくことにして、いそいで、教会に入り、見てきた。
 このカール大帝の顔はどこかでみた顔だが、どこだったか思い出せない。

カール大帝の
ゴシック・レリーフ

ここはちゃんと博物館まで、連れて行ってくださってなかなかいい。
彫刻や聖遺物、クラナッハの絵などがあり、楽しめた。

ナウムブルグでみたマグダラのマリアによく似ている

聖遺物箱 ボニファティウスの頭骸冠

一時近くにここをでて、少しバスに乗って昼食レストラン、ヴァイセンミューレへ
お食事はお庭で。
ミューレなので、もしや、とおもって川を見にいくと糸巻きがたの大きな水車がかかっていた。

レストラン入口 中央右に水車

ここではお店でビールを造っているそうで、そのビールを注文なさる方が多かったが私は白ワイン。

サラダ

グヤーシュ

デザート

食後庭を少し散歩して、水車を見る。林檎の木が多く地面に林檎が沢山落ちていた。

水車 庭には林檎の木、沢山林檎が落ちていた

2時15分 レストラン出発 
4時 フランクフルト到着。
マイン川のそばで、バスをとめて、希望者は添乗員とゲーテの家にいくということになったが、我々三人は三越に行く。
ここには少しずつだが、マイセン磁器もザイフェンの木工製品もある。フェイラーのタオル(これは日本より柄の種類が多い)、ゴールドファイルの皮革製品(バッグはあまりなかったような、、。お財布にいいものがあった)など、お店に入ると買わずにすませるということができない。ここでやっと主人へのお土産も買うことができた。(いつも男性用お土産には苦労する)

私はユダヤ博物館にいってみたかったので、先にお店を出て、一人でマイン川沿いの博物館へ。 
でももう5時10分前 あと10分ですよ、といわれたが、入って、ざっと見た。 
ゲットーの模型があった。狭い場所に押し込められたので建物は上へ上へとのびていることがよく分かる。

地図 中央、弧を描いているのがゲットー

ユダヤ人の生活を示す絵や人形があったが説明がドイツ語なのでよくわからなかった。

本などを買って、出てから、マイン川の橋を途中まで歩いた。

マイン川 橋から見たユダヤ博物館
フランクフルトはさすが大都会、川を背にして町を眺めると高層ビル群。

時間があるのでゆっくり集合場所のシュタイゲンベルガーホテル前へ移動。


まだどなたもいらしていない。
時間があるのにホテルの前に突っ立っているのもどうか、せっかくの高級ホテルだ。中をみてみたい。
お手洗いをつかわせてもらうことにしてこの立派なホテルに入ってみた。とっても綺麗。

バスで移動。 
フランクフルト国際空港 
タックスフリーの支払いをしてもらったあとは、免税店でまたお買い物、
いつものようにチョコレートやワインなどを買う。 

ワインはスペインの マルケ・ド・カセレス があったので二本買った。(家に帰ってから、頑張ってもう一本買ってくればよかったと後悔)
添乗員より差し入れのおにぎりを食べて、機内に。
今度は窓際が取れなくて、真ん中に座った。
3-3-3で家族で座ったので、別にうっとうしい思いはしないですんだ。(我々は三人とも小柄)
21時5分発

機内食 一回目 機内食 二回目

夜行便はよく寝られる。食事のときも揺り起こされてやっと眼が覚めたほどだった。
二回目の食事が終わると「間もなく機内販売が終了します」のアナウンス。これは日航だ。「JALカードだと一割引きよ」悪魔のささやきには抗えずあたふたと最後のお買い物をして、荷物をまとめる。こうして
8月18日午後 日本に帰ってきた。
 
そうして 23日 母は無事 元気に84回目の誕生日を迎えることができた。 
母に楽しんでもらえたことが私たち姉妹の一番の喜びである。