5時に起きて荷物整理
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日の出直前 ホテルの部屋から、
中央に白く見えるのがザーヤンデ川 |
7時15分 朝食 といっても私はヨーグルトにキャロットジャムだけ
8時 出発
バスは暫くザーヤンデ川を見ながら走る。
川岸は公園になっていても緑が多く、噴水もたくさんあって気持ちが良い。
きょうは午前中ずっとバス移動なのでアリーさんがイラン事情を色々話してくれた。
イラン事情
* イラン女性は高すぎる鼻、立派過ぎる胸を整形する。
特にテヘランの女性の50パーセントは鼻の整形をしている。
* 堕胎はイスラム教で禁じられているので闇ドクターがいる。
* これは一昨日聞いたことだが、イランでは結婚のときに離婚の保証金額を決める。これは離婚に関係なく女性が欲しがれば男性は払わなくてはいけない。このお金目当ての女性もいるそうだ。
*人口は革命前は3500万人だったが、革命後は子供は多いほどよいということになり、6800万人になった。
(革命後は全てその前の時代のことを否定するので、子供も あまり産まない、から たくさん産むにかわった)
* 宗教と政治が一緒なので、政治家でターバンをまいた 政治家がいるがこれは聖職者であることを示す
* イランの夏は乾燥しているので過ごしやすい。30度〜35度
夏にもいらっしゃい、ということだが、ともかくこのスカーフは暑苦しい。スカーフ廃止令でも出ないことには、、、。
* イラン男性の夢は[
アメリカの家に住んで、イギリスポンドで給料をもらい、中国料理を食べて、日本人の奥さんをもらうこと]
だそうだ。
(最悪はアメリカ人の奥さん、イギリス料理、中国のお金で給料、日本の家)
ともかく、アリーさんは面白い人だ。
* イラン人は頭がいい。 NASAのスタッフの40パーセントがイラン人だそうだ。本当???
色々なコンテストでも優勝する。
* 革命前はテレビドラマの90パーセントはアメリカもの。革命後は日本となかよくなって、殆どのテレビドラマは日本もの。その中で一番人気があったのが『おしん』(1988年と2004年に放映。最初のときのほうが人気が高かった、時代の流れか?)『北の国から』また黒澤映画も人気だそうだ。
* 一夫多妻制について、
昔は女性は外で働いて 収入を得ることができなかったので未亡人になると困った、つまり生活を助けるための一夫多妻。今は女性の力が強くなったので、都会ではまず全くない。。
* これはアリーさんに聞いた話ではなく、実際に旅行中見かけたことだが、バスでは男女席が分かれているようで、女性は後ろに固まっていた。
* 大学は男女共学だが、それまでは 男女別学。
* 男女が知り合うきっかけ、としては山登りがある。
テヘラン郊外には高い山があるので、男女とも山に相手探しにいく。 女性は、ハイヒールをはいて、お洒落をしていく。美人ほど山のふもとで相手がみつかり、上まで行くのは ブスと年寄り、などと、冗談みたいな話(アリーさんは嘘ではない、と言うが)をして皆を笑わせる。
そのほか、結婚申し込みは男性が女性の家に言って、まず両親にあって、それから、娘が出てきて、、、、など日本の何昔か前みたいな話も聞いた。
* スカーフ着用のイランでも美容院はあり、女性はパーマもかける。
* イラン男性は2年間の徴兵がある
徴兵を終えて初めてパスポートがもらえ結婚もできて、保険にも入れる。徴兵期間はほぼ無給でアリーさんも終えてもらったお金ではジーパン一本買えただけだったそうだ。
高卒時、一回だけ大学入試が受けられ、落ちるとそのまま入隊。でも二年の兵役を終えるとなかなか改めて勉強しようという気にはなれないそうだ。
大学に受かった人は卒業して入隊するが、高卒より仕事は楽。
イラン・イラク戦争の時は陸軍が嫌がられたが、陸・海・空のどこに入るかはグループごとのくじ引き。
アリーさんは海軍だったが免許をもっていたので、バスの運転手をしたといっていた。
* 悪いことをすると、兵役はどんどん延びる。
中近東ではスルーガイド、と言って旅行中ずっと一緒で同じホテルに寝泊りもする現地ガイドが付く。
どの国でも大抵、上手な日本語で現地事情をよく話してくれて、質問にも答えてくれる。そのため、パッケージツアーという現地人との交流のない旅でも、かなりその国のことが分かるのが有難い。
もっとたくさん聞いたが、書ききれないし 忘れたこともあるので、このあたりにしておきます。
9時少し前、、外を見ると砂漠(土漠)地帯。植林をしてはいるが砂埃で白っぽい。
途中 少し、畑や林も見えた。
9時30分 砂漠の中にポツンとモスク(霊廟といっていたような気がする)があり、そこでトイレを借りた。
砂漠ロードだが、道はとても良い。
工場らしきものもあった。
これを書いている日、新聞に、イランのウラン濃縮のことにふれてヤズド近くでもウラン鉱が発見された、とあったが、まさかそれでは? それならもっと警戒が厳重なはずだから、矢張り違うのだろう。
両側は一木一草も生えていない山々が連なっている。(上の写真のようなところを走る続ける)
バスのクーラーが効かなくてドンドン暑くなってきた。
11時15分頃 キャラバン・サライ(隊商宿)のあるところで写真ストップ
キャラバンサライは紀元前からあったが、殆ど破壊され今あるのはサファービー朝以降のもの。
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キャラバン・サライ |
見張り塔
カナート用なのか、タイヤ積まれている |
ここにはカナートもある。写真でよく見るのは小山のような土の盛り上がりだが、ここのは、古タイヤがおかれている。深さは2mくらい。山の近くでは深さ50mくらいだそうだ。
キャラバン・サライは人間用と動物用に分かれていて、動物用には駱駝の親子がいた。
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動物用キャラバン・サライに駱駝が |
11時25分 出発 クーラーが効いてきてやれやれ。
12時 トイレストップ 砂漠の中にもモスクや霊廟がある。
セイエ・アライエ・ムハンマドモスクのトイレをかりた。ちょうどお昼でアザーンが聞こえた。
ヨーロッパの教会とちがって、、お祈りの前に手、口、足を清める習慣があるからだろうか、イスラムのモスクには、池だけでなく、ちゃんとトイレがある。
ともかく砂漠のまん中でお水の流れるお手洗いがある、というのは驚異だ。
イランという国の底力を感じてしまった。
ひたすら、岩山を眺めながら、砂漠を走る。退屈ではない。
以前は緑のないところなんて、と思ったが、このような木のない岩山の美しさにもはまってしまうものだ。
1時40分頃 ヤズド到着。 バスには正味5時間乗っていたことになる。
ガーデンホテルのレストランで昼食。
本物のオウムがいてびっくりした。
デザートには小菓子が出た。ココナッツを砂糖と香料で固めたような甘いもの(空港でお土産に買ったが売れ行きはあまりよくなかった)
2時30分 金曜モスク 13世紀の建築。 ここのミナレットはイランで一番高い(52m)
ドームは煉瓦とタイルのミックス。ここのタイルの模様も美しかった。13世紀のモスクはトルコやモロッコのようにポーチ(入り口)が一つだ。(四つあるのはイラン)
このモスクで面白かったのは女性が聖職者に話したいときに壁の奥から顔を見られないではなせるような構造になっていたことである。
その後、ヤズドの旧市街(13世紀)を散歩する。
ドームが連なったようなトンネルをくぐりぬけて、狭い家と家のあいだの路地を歩く。
ある家の入り口、で、二種類のノッカーがあるのを見た。左は男性用、右は女性用。
音の高さが違うので、どちらが来たか分かるようになっている。男性が来ると、家でスカーフをはずしたり上着を脱いでいた女性はそれらを身につけてから開ける。
家には窓がない。 家と家の間を歩いているらしいのだが、塀に挟まれた道としか思えなかった。
窓を造らないのは、女性を見せたくないことと、砂嵐を避けるためである。
家はドアからはいってもすぐには中が見えないように鍵の手になってその奥に中庭があり、窓は中庭に面してあるそうだ。(そこまでは見なかったが、入ってみたかった。)
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バード・ギール |
入り組んだ路地奥に広場があった |
またこの地方独特なものとしてバードギールというものを見た。
これは屋根の上に煙突状に突き出ている、たてに桟がついている塔のこと。ここから取り入れた風で地下の水槽の水を冷やす。いわば天然のクーラー設備の風取り入れ口である。
少しフリータイム
写真を撮ってから、お土産物屋さんに。ここで素敵なショールを見つけた。いかにもペリシャ柄といった織りのもの。あれこれ見ているうちにどれもほしくなって四枚買った。 (綿一枚、10ドル、絹と綿の混紡は15ドル)綿三枚、絹一枚買って39ドルにしてもらった。非常に安くてお土産に好評でもっと買えば良かったと思った。昨日の更紗よりこのほうが良い。しかし、家に帰って見たら、裏はかなり糸がグサグサでひっかかりやすかったが。
拝火教神殿
ゾロアスター教寺院(1936年) ゾロアスター教では善なる神アフラマズダと悪なる神アーリマンがいる、という善悪二元論をとっている。人間は善を実現すべきなのだが、そのためには倫理が重要視される。神殿にあるシンボルの三段になった翼は そのための 良い言葉、良い考え、良い行い を示している。悪に走った人は 死んだときに裁かれ、地獄に落とされる。.世界が終わるときにアフラ・マズダによってつかわされた救世主により善は究極的に悪に勝ち、創りなおされた完全な世界がその後永遠に続く、という。なんだかキリスト教に似ているような気がする。キュロス大王もこの教えにしたがった人だったのかな、と思った。
なおこのシンボルマークの人のひげは(老人のような)経験を表し、右手でアフラマズダを崇拝し、左手のリングは平和を表している。
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永遠の火
ガラス越しなのでよく撮れなかった |
建物の中ではガラス越しに『永遠の火』が燃えているのが見える。
この火は1600年間燃えつづけている、という。
燃やすのは木だけでなく、石油でもガスでも良いが、ここでは長く燃えるようにアーモンドの木を使っているそうだ。
ゾロアスター教の信者はイラン全体で7万人、ヤズドには13000人、世界全体では200万人いる。
ゾロアスター教では無理やり人を信者にすることはしない。そうしたら、その人はもう信者ではなくなるからだそうだ。
ゾロアスターは紀元前1200年から1000年頃の人といわれているが、そういう時代から既にそれぞれの人の宗教=心のあり方 というものを大事にする思想があったということは実に素晴らしいことだ。異端審問などもやった後の時代のことを考えると驚嘆に値する。
またバスにのって少し砂漠地滞の 沈黙の塔 とよばれるゾロアスター教の墓場に行く。
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左が男性用、右が女性用 女性用に向かう |
よく鳥葬、というがこれは間違いで、自然葬または 風葬というべきだそうだ。
鳥葬では(ネパールなどで行なわれる) 鳥が食べやすいように遺体を裁断するが、ここでは (結果的には鳥に食べられるのだが) そういうことはしないで自然に任せるのだそうだ。風葬、といった方が響きはいい。
ゾロアスター教では、土、水、火、を神聖視するのでそれらを汚さないために土葬、水葬、火葬を禁じているためだ。
遺体はダフメとよばれる場所におき、自然に白骨化させる。ここのはパルティア朝から残っているといわれる古いもの。遺体置き場は男性用と女性用に分かれていて女性用に登ったが、さほど高くはないのだが、苦しかった。足場も悪い。円筒形の内部はまん中が1メートルくらい(昔はもっと深かった)掘り下げられている。骨だけになったら、そこへいれ、薬品で骨を溶かしたそうだ。50年くらい前に風葬は禁じられ、麓には土葬のための墓地がある。
松本清張の『火の路』では 髑髏がころがっている光景が書かれていたが、骨のかけららしきものは全くなかった。
登りはきついかったが眺めはよかった。
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骨を入れる穴とカメラを構える私の影 |
上からの眺めが素晴らしかった |
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お葬式をする所 |
左手前は現在のゾロアスター教徒の墓地 |
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ここにもバードギールがあった。
とおくに沈黙の塔 |
帰りに見かけた(たぶん)家族 |
ちょうど日が沈みかけるころで、少しばかり気味の悪さと無常観めいたものを感じた。 帰りにオートバイの四人乗り、五人乗りをみかけた。
6時ごろ キャラバン・ホテル着
ここはコテージ式になっていて、2,3室分ずつの家が広い敷地に点々と配置されている。
夕食に行くときも帰りも翌朝も迷子になった。それに鍵がおもくて 開けにくい。そのためか、ボーイ(ものすごくハンサムだった)が立っていて、道案内してくれたり、ドアを開けてくれたりした。
お部屋はシンプルだがとても広い。ベッドが三つもあった。
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ホテルの敷地
(これは翌朝、レストランからお部屋に戻るところ)
右の建物はレセプショ棟 |
私が泊まったお部屋 |
7時 夕食
時間があると思ってお風呂にはいったら、遅刻。今晩はE社恒例の おそうめんの日。(遅刻したが、私の分はちゃんととっておいてくださった。)茹で加減もよく美味しかった。
またアリーさん差し入れのスイカもデザートに出た。おそうめんもスイカも大好評で、すぐに売り切れ。
おそうめんを茹でたりして、添乗員さんも大変だなあ、と思ったら、茹でるのはホテルの厨房の人だそうだ。彼女の仕事は茹で時間をはかることと、ちゃんとミネラルウオーターでさらしているかどうかを見張っているだけだから、ラクです、と言っていた。
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ピーマンとトマトの肉詰め |
珍しいのか、ホテルの社長さんが「おそうめんを食べたい」とやってきて、いっしょにテーブルに着いた。
飲み物はイラニアン・ビールにする。
ビールと思わないで少し苦味のあるドリンクと考えるべきものだった。
相変わらずビュッフェ方式だが ピーマンに香味野菜入りご飯をつめたもの、トマトにひき肉、ご飯が入ったもの などが今日の新種。
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